仁side
自室から漏れ出る、脳に響く甘い香り。なんだか頭がクラクラして、顔に熱が集まってくる。ふと、自身の呼吸がいつもより少し荒くなっていることに気付き、少しでも抑えるためにと静かに息を止める。頭のどこかで、冷静であれとアラートが鳴り響く。
いつもと比べれば、それはそれは調子の悪い状態なのだろう。歪みかけた視界を立て直し、微かに聞こえてくる音に耳を澄ます。そして聞き慣れたその声の正体が分かった時にはもう、俺はノックすらせず、ドアノブに手をかけていた。
その名を呼んで、中に入る。香りがガンと強くなり、鼻腔から脳を焼いていく。甘ったるい、しかし本能的に惹かれてしまう、不思議な香り。その源…もぞもぞと動く大きな塊は、どうやら俺の衣類でできているようだった。
その塊の中から聞こえたのは、甘く、少し掠れた声。俺の問いかけに反応するように精一杯絞り出された声は、強い香りに包まれて、そのまま部屋に消えていく。
なんでもない、という嘘を見破ることくらい、恐らく誰にだってできるだろう。俺の部屋に入ってきている点、明らかに様子がおかしい点、未だに顔を見せないよう意地を張っている点…いくらなんでも、状況がいつもとは違いすぎる。
……にも関わらず、素直に言わない瑠衣に、ほんの少しだけ芽生えた悪戯心。
その心を抑えることはしなかった。少し強引に、その塊に手をかける。1番上にあったその布をぐいと引っ張ると、見覚えのある服が目に入る。
瑠衣を包み込んでいる俺の衣類を1つ1つ取り上げ、瑠衣の姿を確認する。
しかし、そこで瑠衣が見せた顔に、俺は射止められたように言葉を失ってしまった。切なそうな顔でこちらを見上げたと思えば、その目には大粒の涙。衣類を退かしたことによって、敏感に反応する身体も、漏れ出てしまう声も、荒い息遣いも、ダイレクトに耳に響いてくる。
なんだかこちらがおかしくなりそうで、別の所へ視線を移す。きゅっと握られたその手には、またもや俺の服。
…これは所謂、巣作りというやつ、だろうか。
ーーーそれは、つまり。
お前、もしかして。
ーーー常に栄えるTOKYO CITYには、優秀な人材…αが多く集う。一方、αの母数が増えたことにより、Ωへの暴力的・性的な被害は当たり前に増加していった。これを少しでも防ぐために、この辺りでは第2の性に関する検査を受けることが義務づけられており、Ωには無償で抑制剤を配布することになっている。ネストに入る際もその情報は必須とされ、第2の性は所属するハウス内で共有しておくように言われている。
……瑠衣は、βだった筈だ。
しかし、この状況は、Ωに見られるヒートと呼ばれるものではなかろうか。
まさかと思って口を開くと、言い終わる前に強く否定されてしまった。少し驚いて、それ以上言葉が出せなくなる。そんな俺に、瑠衣は真っ赤な顔を向けて畳み掛ける。
瑠衣の言葉は、そこで途切れてしまった。しかし、その言葉の先が、瑠衣の口から出されることはない。固く結ばれた唇は、よく見たら微かに震えている。
1つ、また1つと、俺の服を瑠衣の上から退かしていく。遠くに置こうとすると切なそうな瞳を向けられるため、身体の横に退けるだけに留めてやる。そうして漸く見えた瑠衣の身体は、猫のようにくるりと丸まり、きゅっと何かを握っている。これは…俺のタンクトップか。

固く結ばれた口が、何かを言うことはない。それでも、これだけは離すまいと、その手には力が込められていた。
Ωの性を考えれば分かる事だ。巣作りをするために好むのは、αの香りが強いもの。スカジャンを俺が着てしまっている今、最も俺の香りが強かったのが、タンクトップだったのだろう。
瑠衣の下半身を指し、軽く盛り上がっているその部分にゆっくりと近付いていく。瑠衣自身、自分はΩではない、と主張しているのだ。今自分がヒートに陥っている状態に近いということに、本人も気付いているのだろう。
ならば、話は早い。
タンクトップは手にしたまま、俺の腕をぎゅっと握ってくる。手に込められる力はいつも以上に弱々しいが、諦めて離すこともない。今日は、少しばかり頑なだ。今にも泣きそうな顔をして、耳まで真っ赤に染めた顔で言っても、説得力の欠片もないと言うのに。
そんな事を言ってくる。こいつは本当に、どれだけ甘えるのが下手なのだろう。
わざとらしく、甘い声色で問いかける。ピクリと反応する瑠衣を見ると、こちらが我慢できなくなりそうだ。ただでさえ、自身の理性を抑えるのに必死なのに。
…なのに、こいつは。
いつもは、強がりで、前向きで、弱音など殆ど吐かない。そんな瑠衣が、まさか怖いなどと言うなんて。甘え下手だとは思っていた、が、いざこのように言われると、それはそれで。
焦る瑠衣とは反対に、俺はどこか冷静だった。…いや、脳がなんとなく澄んだような気がするだけで、どこも冷静ではない。
ただ俺の中のどこかで、何かがぷつんと切れた音がした。
相当怖いのだろう。相当限界なのだろう。今や頬を真っ赤に染めながら、それでも自身のものには触れることなく、弱々しく俺の袖を握っている。だとしたら、可愛がってやらないと酷というやつだ。自分の中の加虐心が、優しさを上回る。今日はなんだか、優しくしてやれないような気がした。
瑠衣side
片手には仁のタンクトップ、もう片方の手には先程脱ぎ捨てられたスカジャン。頭の下に回された仁の腕に抱き寄せられながら、与えられる快感に身を捩る。ゆるゆると上下する仁の手に、我慢できずに声が漏れる。クラクラするくらいに強い、仁の匂い。それに囲まれる充足感と、脳を焼くような快感。今まで味わったことの無いその刺激を、身体は勝手に求めてしまう。
大好きな香りに包まれて、ものすごく気持ち良くて、もう何も考えられない。布が擦れる音にすら身体が反応し、腰のあたりがぞくぞくする。
そうして無意識に反った背を、仁の指先がなぞるように触れてくる。ずっと、ずっとずっと、気持ち良い。気持ち良いのが、止まってくれない。
びくびくと身体が痙攣する。シーツを汚す、白濁したそれの生温かさが、少しだけオレを冷静にする。オレ、今、仁の手で。
こんなに脳は働いていないのに、甘えるように仁の目を見てしまう。そうして、その目に映る光景に、ごくりと唾を飲む。なんで、こんなに、物足りないんだ。もっと…もっと、触れてほしい。沢山、甘やかして、それで。…こっちも、気持ちは良い、けど、欲しいのは…求めてしまうのは。
自身の後孔が、切なくなってきゅぅ…と締まる。
なんだ、この感覚。
触って、なんて言ったら、幻滅されてしまうだろうか。息を整えながら、切なさにきゅっと唇を噛む。なんだよ、これ。オレの身体、どうなってんだよ。
耳元で聞こえた、大好きな人の声。低くてかっこよくて、熱を帯びたその声に、またも身体が反応してしまう。その声の主は、オレの胸を弄びながら、首筋へと移動していく。そうして首筋に沿わされた舌の動きに合わせて、またオレの腰が浮く。悔しい。なんで、こんなに。
ちゅぅッ…
そんなことを考えていると、吸い付くような音がして、更に快感が走る。
もう、嫌だ。
早く、仁がほしい。
そんなことを、思ってしまったのが、いけなかったのだろうか。
オレの元へと顔を埋める仁は、離れる様子がない。それもその筈だ。オレの腕はいつの間にか仁の背に回され、その身体をぎゅっと抱きしめるような形になっている。
別に、なんだろう。だって、オレは仁がほしくて、仁にもっと気持ち良くしてほしくて、後ろも…触ってほしくて、…沢山沢山、甘やかしてほしくて。
言わなきゃ、ダメなことは分かってる。こいつが、こういうところを察してくれるような優しい奴じゃないなんて、今更だ。
それにオレも、もう耐えられない。我慢できない。
横になったまま、自分の手で片足を持ち上げ、脚を開く。もう片方の手で隠すようにしながらそこに触れると、既に柔らかくなっていた。
いつもだったらこうはならないのに。
でも、本能には、抗えない。
くちゅりと音を鳴らしながら、指先をずらす。そのままゆっくりと指を開き、その場所を露わにする。仁、ここまで、やったんだから、いい加減に。
目が潤んで、視界がぼやける。それでも、見上げた先には仁がいて、その目はこちらを向いている…それだけは、しっかりと理解できた。
見られてる。今、仁に。
そうして短く返事をした仁は、ゆっくりとオレに近づいて、その場所に顔を埋めてきた。
違う。触って、とは、言ったけど。
舌で、やってなんて、言ってない。
今までこんなことされたことなくて、こんなとこ舐められたことがなくて、羞恥心が押し寄せる。顔にどんどん熱が集まっていくのに、気持ち良さは容赦なく蓄積していく。
そんなとこで、喋らないでほしい。仁のことを見たくても、あまりの恥ずかしさに見ることさえままならない。その景色でさえいやらしすぎて、もうどうにかなりそうなのに。
今、なんて。
そんなことを思った時には、もう遅くて。
仁の指先があてがわれ、つぷ…とオレの中へと入ってくる。一度侵入を許した指はもう止まってはくれなくて、わざと内側をなぞるようにして、抽挿が繰り返されていく。
なんか、変だ、やっぱり。Ωって、こんな感じなのだろうか。仁に触れられたところが、熱くて、きゅうってして、意識がそこにしか向けられなくなる。押し寄せる快感の波に、素直に飲まれてしまいたい。
耳元で囁かれて、もうおかしくなりそうだった。とろりとした目で見つめた先には、にやりと笑う仁がいて。
仁は基本的に不器用だ。だからなのか、前戯はオレが1人でするよりも激しくて、すぐに達してしまいそうになる。いつもからかいたくなるその短所にまで、今や翻弄されてしまっている、とか、こんなのって。
あぁ、もうそろそろ、我慢できない。
びくびくと身体が痙攣する。気持ち良い。はぁはぁと肩で息をついて、息を整える。ゆったりと引き抜かれる仁の指に、また腰が動いてしまうのが恥ずかしい。呼吸を整えながら仁を見上げると、優しくキスを落とされる。甘くて優しいその唇が、なんだか今は少し物足りないくらい、仁がほしかった。仁のものに、してほしい。
なのに。
すぐ近くに感じていた温もりが、すっと離れていく。
やだ。待って。
行かないで。
そう、言いたかったのに。
その一言に、伸ばしかけた手が止まる。仁は引き出しの前で立ち止まると、その奥から小さな箱を取り出した。中から1つ袋を取り出し、ぴり、と破りながら、こちらに戻ってくる。
そう言うと、仁はするりとボトムスに手をかける。鋭く立ち上がった仁のそれに、先程取り出したものを付けていく。そんな景色に、どういう訳か、オレは釘付けだった。
横になったまま、近づいてくる仁を待つ。きっと、もっと、沢山、欲しいものをくれるのだろう。これからされるであろうことに期待を膨らませて、オレはごくりと唾を飲み込んだ。
杖道side
瑠衣の様子がおかしいから調べてくれ、と仁から連絡があったのは、昨日の朝だった。その後、ネストに要請し、届いた薬を飲ませたのが昨日の夜。どうやら瑠衣は、薬の影響で一時的にΩになっていたようだ。一晩経って、瑠衣の様態もすっかり回復したようだった。
仁が目を逸らす。大方、「Ωであれば、番にできたのに。」…とでも、思っているのだろう。勿論、そんなことをしなくとも、瑠衣が仁の恋人であることには変わりない。その上、瑠衣の調子が戻って嬉しいのも事実だろうから、本人としては少し複雑な気持ちなのだろう。
なんせ、初めてなのだから。
仁が、Ωのフェロモンによって発情したのは。
αには、Ωのフェロモン耐性を強化する薬が支給されている。仁はそれを摂取している上、元々の女嫌いも幸いしてか、ヒート状態のΩが近くにいても影響を受けてこなかった。それこそ、運命の番でなければ振り回されることはないのではと思うくらい、耐性があったのだ。
にも関わらず、薬の効果で一時的にΩとなった瑠衣には、敵わなかった。
つまり、それは。
この2人は、所謂運命で。
恐らく、瑠衣はいつもより仁が意地悪だった、くらいにしか思っていないだろう。なんなら、そんなことを考える余裕はなかったかもしれない。しかし仁は気付いた筈だ。瑠衣に対する抑えられない悪戯心は、瑠衣自身から出ているフェロモンが原因であることに。本能的に、瑠衣への気持ちを抑えられなくなっていたことに。
ふと、瑠衣の項に、ちらとキスマークが見える。もしも本当に瑠衣がΩになってしまっていたらと、仁なりに気を遣ったのだろう。噛み付きたい本能を抑え、何度も同じところに唇を落とした痕。仁の独占欲を垣間見たその時、面白くなさそうな目の仁が口を開いた。
余計なことは言うな、か。
…やれやれだ。
とはいえ、瑠衣が無意識に振り回しているようでは、何を言おうと意味はない。今日もまた、満更ではなさそうな仁のため息が、事務所の空気に溶けていった。
















編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。