前の話
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瑠衣side
オッサンが出ていったと同時に、沈黙が流れる。目の前には送信完了の文字が書かれており、これを送信したのは数分前。他に終わっていないレポートもない。
そう、オッサンが指摘した通り、オレには書くべきレポートなどもうないのだ。それでも残りたかったのは…
…下手な嘘をついてまで、残りたかったのは…その理由は、仁と話したかったからである。
話したい…いや、そうでもない。話したいことは間違いなくあるのだが、自分の中で全く収拾がつかないのだ。
もやもやする。むしゃくしゃする。何かが詰まって、取り除けない。
ソファに寝そべっていた仁が起き上がり、体勢を整えた。…かと思えば、こちらに視線を向けてくる。
はぁ、とため息でも付きそうな仁の顔に、また何かもやもやした感情を覚える。
元はと言えば、お前が…仁が。
呆れた様子の仁に我慢ならず、ガタンと音を立てて立ち上がる。
ズカズカと仁の前に行き、少しだけ見開かれたその目をキッと睨みつける。
…が、その後に続く言葉も、ぶつけたい感情もない。分からない。本当に分からないのだ。
少し俯きながら吐き出すように答える。
あぁもう、分からない。
こんなんじゃ、ただの八つ当たりだ。最低すぎないか、オレ。
睨んでいた目が少しずつ潤む。今にも涙が零れそうな程に。…もうだめだ、あまりにも気持ちの整理ができない。帰ろう。
顔を上げたくなくて、横目で仁の方向を見やる。…と、瑠衣の視界のぎりぎりに、控えめに広げられた仁の腕が映った。
おいで、なんて気の利いた言葉、くれないけど。
少し躊躇ってから、ゆっくりとその腕に収まる。ソファに座る仁の膝に乗り、腕を仁の首に回して抱きついてみる。むしゃくしゃするから、いつもより強めにぎゅっとしてみたり。
ぽつり、と呟く。
じわ、と目頭が熱くなる。
ぎゅう、と抱きついていた筈の手がふわりと離される。
ウザがられただろうか。そう思って恐る恐る仁を見ると、その目は柔らかく笑っていた。
ごし、と涙を拭われる。その動きはちょっと雑で、でもすごく安心するもので。
更に溢れ出す涙は、全く止まる様子がない。
ぎょっとした仁の顔が物珍しくて、オレは泣いたまま笑ってしまった。
結局何に悩んでいたかは分からないが、仁のこの顔を見れただけでも良しとするか。そんな事を考えていると、今度は仁の方から抱き寄せられる。
仁はオレを抱きしめたまま、時々優しく背中をさすってくれた。その手が大きくて温かくて、いつになく安心感を覚える。
ほかほかしたものが、胸の中に広がる。
ぼんやりとした頭のまま、仁の手に擦り寄る。微睡みに落ちていく意識の中で、「…こっちのセリフだ」という仁の声が、聞こえた気がしたーーー
仁side
すぅすぅと寝息が聞こえる。大号泣したかと思えば、こんな体勢のまま寝やがって。先程瑠衣が発した言葉が、頭の中で反芻する。
はぁ、とため息をつき、さらりと瑠衣の髪を撫でる。
痛みを感じなくなった瑠衣の血痕が“視えた”時、俺がどれだけ焦ったか。血を流して倒れている姿を“視た”時、微かにせよ確認できた規則正しい呼吸にどれだけ安心したか。あの時、瑠衣は反射的にか否か、傷口を抑えながら倒れていた。もしそれによって止血ができていなければ、ここに瑠衣はいなかったかもしれない。
柄にもないと思いつつ、その身体を支える両手に力を込める。瑠衣は子供体温で温かい。その温もりにまた、安堵のため息をつく。
いつも瑠衣から目が離せない。そうさせているのは、己の恋愛感情だけではないはずだ。いつもいつも、こいつは俺の頭から離れてくれない。
勿論、離す気もないけれど。
いつになく焦った瑠衣の声を思い出す。
そして、怒りの込もった声。
いつも好戦的な瑠衣が、
あんな、怒りに満ちた声のトーンで喧嘩に臨むなんて、
少し…ほんの少しだけ、予想外だった。
それ程に、こいつにとって仲間とは…自分とは、大切な存在なのか。
焦って、怒って、泣いて、笑って。忙しい奴だ。ただその1つ1つの感情に関わるのが…その原因が俺なのは、少し、気分が良い。
俺がお前に振り回されているように。
そう告げる代わりに、俺は瑠衣の髪に軽くキスを落として、眠りについた。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。