第4話

ひめはじめ
176
2020/04/12 16:27

彼に告白された日を、私は鮮明に覚えている。




彼なりに精一杯考えたのであろう。美しく薔薇が咲き乱れる庭の一角で。


キラキラと差し込む光が反射する噴水の音をバックに、一輪の真っ赤なバラを手渡してきた。ただ一言、言葉を添えて。



「俺の恋人になってくれ」



ナワーブ・サベダー。


貴方という人間はこの化け物の心をどれだけ乱せば気がすむのでしょう。


私が奥底に秘めていた、淡くも醜いこの想いを吐き出せずにいることも知らず。


私がどれほど、その言葉を口にしたかったのかも知らず。



私の心を捕らえて離さないその眼。



まっすぐ引き結んだ口元が少し震えていることに気づかないと思いましたか?


貴方は巫山戯たり、からかったりするために、この様な行動する人ではない。


だから、その震えは緊張か、それとも恐怖によるものか。


酷く気分が高揚したことを覚えています。貴方が、私の為に震えてくださることを、私は嬉しく思ったのです。



「ご冗談を。お巫山戯ならお仲間内でなさい」



いつもの様に小馬鹿にするように返した。そうでもしなければ私の何かが壊れてしまいそうで。



「そうだよな。お前は俺がふざけてると思っているのかもしれない。ただの邪魔なサバイバーだと思っているのかもしれない。でも俺は本気なんだ」



それは。その言葉は私が貴方のことを眼中にないとでも思いながら口にしたのですか。それはなんて、あんまりです。


私は貴方を愛しています。貴方が想うよりもずっと前から。それ故に、その告白はあまりにも残酷でした。



あのナワーブ・サベダーに恋をした日。


それは不思議と朧げな記憶だった。左手を向けた私の横を駆け抜け、まっすぐに仲間が座る椅子に走る貴方を初めて見たその日。


覚えているのは、まるで閃光のようだと感じたことだけ。


彼を見ることができるのはゲームの間のみだ。ハンターとは冷酷でなければならない。


プライドを守り、尚且つこの恋心を引きずりながら、今日も私はフィールドに降り立った。


目の端に映る、緑色の。ああ、無いはずの心臓がどくりと音を立てるのだ。


荘園主に聞いてみた。ハンターとサバイバーが恋をすると何かしらの罰を受けるのか。あの気にくわない人間はさも可笑しそうに笑いながら言った。



「君は誰かに恋をしたのか!しかもサバイバーに!これは傑作だ!」



私が誰かを想い患うことはおかしいのでしょうか。生前よりも狭いこの世界ですら、私は誰かを愛することは許されないのですか。


いけ好かない人間は、私の質問に答えてはくれた。

「君達が誰と、どう付き合おうと構わないよ。ただ、ハンターとは狩る者であることを忘れないように。愛される者が苦しむ様を見たくないのならば」


その言葉の意味を理解出来ないほど盲目にはなっていなかった。


この人間は私に冷酷であることを求めている。彼を想い、サバイバーを狩る左手を鈍らせれば、彼に何かしらの罰が下るのだろう。ゲームだけの話ではない。

館での振る舞いも常に監視されている。少しでも隙を見せたら一巻の終わり。

それは彼を心から愛しながらも、伝えられないことを意味している。

私の独りよがりな想いで彼を苦しませるわけにはいかないのだ。握った拳が震えた。

部屋に戻ってからベッドに倒れ込み、冷たいシーツに手を乗せた。ああ、化け物の手だ。そうだ、そもそも自分がこの心内を彼に伝えたところで、彼は気持ち悪いと吐き捨てて終わるだろう。

想像しただけで胸が締め付けられるようだ。だが、それが一番良い結末なのかもしれない。

私は狩る者。彼は逃げる者。決して忘れてはならない。
その時に誓った。この叶わない恋心という名のどす黒い宝物を表に出すことなく、守り続けることを。




彼が告白してくれてから。どう答えただろうか。私も愛している、などと答えることはできなかった。


確か、飽きるまで暇つぶしにはなるでしょう、と言ったかもしれない。いつものように、貴方へと視線を向ける度に熱くなるこの胸をこっそり押さえながら。


そう答えたときの貴方の表情といったら。これ以上ないくらい優しい笑みをくれましたね。あの表情が私の脳裏に焼き付いて離れないのです。


付き合うこと自体に問題はない。
それはあの荘園主が自ら口にしたから間違いないはずだ。


だが、彼に愛の言葉を囁いてはならない。ハンターとしての冷酷さが損なわれる。


その身体の温かさをこの肌で感じてはならない。


ハンターに必要な熱は獲物を追いかける時の高揚感とも怒りともつかない感情だけ。


その決まりを破らず、恋人となった彼と過ごす為に、いくつ心を殺しただろうか。貴方が私に好きだ、と言ってくれる度に私は思ってもいない言葉を口にせねばならないのです。


気持ち悪い、と。必要以上に話しかけるな、と。


そんなことはかけらも思っていなかったのです。貴方が好きだと口にすると私はまるで、世界で最も幸福な怪物だと錯覚できるほどに舞い上がるのです。


貴方の声がもっと聴きたかったのです。たわいない話で良い。その優しい声で私に、どうか。


近いうちに彼は私から離れていくだろう。そうなるべく言動に気を使っているのだから。


お茶に誘われれば断り、1on1と銘打ったデートでは本気で叩き潰した。


ゲーム中、私は雑魚を甚振るのが趣味なんですよ、など言いながら何度も貴方の体に左手を振るいましたね。


蹲りながら、高い嗚咽を漏らす貴方の背を何度抱きしめたかったか。ごめんなさい、ごめんなさい。


私の心が壊れても、貴方が壊れるのは嫌なんです。


初めて夜に誘われたときは夢でも見ているのではないかと疑いました。


可愛らしい顔を真っ赤にして照れながら時間を口にした貴方。あれ程の事をされながら、まだ私と共にいることを望んでくれていることに、つい嬉しいと漏らしてしまいました。


貴方がそれを聞き逃さなかったせいで、あの後、私は荘園主に呼び出されたんですよ。その時の様子といったら!


足取りも覚束ず、壁に頭をぶつけながら歩く様を見られ、他のハンターから心配されるわ、倒れるんじゃないかと枕を用意されるわ、大変だったんですよ。


主の要件は、貴方が私を抱く時、処女でなければショックを受けるだろうからここで抱く、というものでした。


さすがの私も血の気が引きましたよ。


断って部屋を出ようとしましたが、それは叶いませんでした。開かないドア。動かない体。


あの気に食わない男が私に近づく様は思い出したくもありません。何度も助けを呼び、許しを乞いました。


貴方をたくさん傷つけた分、貴方にも私を好きにする権利くらいあるのだから。


せめてこの怪物の身体でいいのなら、初めてをもらってほしかった。血まみれの下半身にあいつが入り込んできて。


あの光景を貴方が見ることにならずに済んだのが、唯一の救いです。



身体中に噛み跡を残して貴方の部屋を訪れた時、驚愕に見開かれた目と共に、誰にやられた?

と貴方は聞きましたね。頑張って皮膚が赤くなるほど擦って、ナカも出されたものを全てシャワーで洗い流しましたが、流石に時間が足りませんでした。



「主ですよ。何か問題でも?ああ、使い古しはお気に召さないと。ならば一人で自分を慰めるといい。わざわざ怪物を抱く理由はないだろう」



そう答えた私に貴方は叱ってくれましたね。自分を大事にしろ、と。

嫌なことはしなくていい、お前には俺がいるんだから、と。

それ以上言わずとも。私だって、貴方に助けてもらいたかった。


貴方と初めての夜をロマンチックに愛し合いながら過ごしたかった。でも、ダメなんです。



私は、貴方が大切だから。許して。



その後、貴方との初めての情事。愛しあうところを見せてはならない。そればかりが頭の中を締めていました。


だから言ったんです。



「慣らさずとも、主のお陰でまだ柔らかい筈ですよ。勝手に突っ込んでとっとと出しなさい」



それを聞いた時、貴方は口を真っ直ぐに引き結んで。その時知ったんですよ。


その仕草は貴方が悲しんでいるものだと。


主に荒らされた後孔は酷く痛み、まだ血が垂れていました。気にせず入れろ、と何度も言ったのに、貴方は黙って薬を塗り込んでくれましたね。


染みた傷がじくじくして、涙が出てきました。痛みのせいではない、嬉しかった。その優しさが痛かったからです。


それから何度か身体を重ねました。その度に私は、慣らすな、入れたら勝手に動いて勝手に出せ、と貴方に言いました。


貴方は始めの方こそ、そんなことをするわけにはいかない、と優しく抱こうとしてくれました。


しかし、そうしないのなら、と私が爪を振るい、ベッドから降りることを何度か繰り返せば、口を引き結んで私の願いを叶えてくれるようになりました。


例え、偽りの愛し合う行為であっても、私にとってあの時間はこの世界の何よりも素晴らしいものでしたよ。貴方はただ快感を追ってくれればいいだけ。


私の事など気にしないで。


情事が終わればシャワーを浴びる事もなく、すぐに部屋を出ていました。


あれは一緒にいたらどうしても私が我慢できなくなるからであって、決して嫌いだとかそういった負の感情によるものではありません。


貴方が隣で寝て欲しいと私を見るたびに、心が負けそうになった。


でも、一時の快楽で貴方を失いたくないのです。


貴方が1人で枕を涙で濡らしていることを知った時。私は荘園に来てから初めて涙を流しました。


私はいつのまにこんなにも弱くなってしまったのでしょう。貴方がいないとここにいる意味が無いだなんて。その貴方を守ることもできない。



「リッパーはん。あんたはん、傭兵の坊やとお付き合いしとるんやろ」



それは新年が明けて…次の日だったでしょうか。


皆が浴びるほどお酒を飲み、騒いでいる中、私はぼんやり1人貴方のことを考えていました。


その様子を見て、美智子さんが声をかけてくださったのです。



「それが何か?特にご迷惑はおかけしていないはずです」



「あんたはんも正直にならんといかんよ。正月くらい、その厚い皮脱いだらどうなん」



そう言って目の前にどん、と置かれた大きな酒瓶。おちょこ、など子供の使うものだと言わんばかりの大きさのお椀に注がれる日本酒は初めて嗅ぐ香りでした。



「あんなぁ、私らハンターやけどそこまでしなくともええと思うんやわ。無理矢理、冷たい人の振りして。なんも知らんと思ったら大間違い。女を舐めたらいかんどす」



冷たい人の振り。


ええ、私は常にこの仮面と共に演技を続けなければならないんです。冷酷で、容赦のない孤高のハンター。


それがここで私が存在していられる理由。



「そんなわけあらへんやろ。あれだけ愛されておいて、それだけが存在理由なんて、あんたはんおかしいわぁ。ほら、飲み」



酒が並々と注がれた椀を渡される。一口、体が熱くなるような酒だ。今までに飲んだことが無い。



「あんたはんにええ事教えてあげます。新年には三ヶ日言うてなぁ。休む日って言うもんが私の国にあるんよ」



お休みの日?



「そう。勿論、主はんもお休みやと。ナイチンゲールはんから聞きましたから」



なら、明日。明日まで主は私が何をしようと見ていないはず。


……でもダメです。私はあの人を守るためとはいえ、酷いことをし続けました。


もう、あの人は私を心から愛してはくれないでしょう。



「やっぱり正直やないねぇ。ならもう一つ教えてあげます。あんたはんが彼氏に正直になれるようにおまじない。……姫はじめ、ご存知ないでしょう」



酒がとくとくと椀に注がれた。



体がかっかっと燃えるように熱い。廊下は相反するようにひんやりと冷たい空気が流れ、酔いが回った体に気持ちいい。


ところでここはどこでしょう?


わたしは姫はじめ、というものをナワーブくんとしたいんです。ナワーブくんのお部屋……ここですね。


知ってますとも、それくらい。


バタン、と音を立てて扉を開いた。目当ての人物はいない。まだ宴会の途中だろうか。
足元がふらふらする。


自分の部屋よりもやや小ぶりなベッドに倒れこんだ。嗅ぎ慣れた匂い。大好きなあのひとの。


ナワーブくん、ナワーブくん。早くもどってきてください。こんやだけ。こんやだけ、わたし、しょうじきものになりますから。


わがままをいってもいいんでしょう?姫はじめというものは。わたし、あなたにたくさんたくさん、ぎゅーってされたいんです。


すきなひと同士がするような、あれ。やってみたかったんです。あなたの温もりがほしい。


いままでできなかったこと、たくさんしましょう。



許されるのはこんやだけ。
だってわたし、あなたがだいすきなんです。


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