夜の医務室は、静寂そのものだった
私は、部屋の隅で膝を抱えていた
……いいえ、正確には「座って」さえいない
何も、触れたくなかった
床に触れれば、この建物を壊してしまう
空気に触れることさえ恐ろしい
極限まで張り詰めた意識は、無意識に足元から『事象』を放出し、
私の体を数センチだけ地面から浮かせていた。
どこにも接地しない、孤独な浮遊。
中也の重力が、私をこの世界に繋ぎ止めていた唯一の錨だったのだと、失ってから思い知らされる
その名を零した、直後
闇の中から染み出してきたのは、低く、湿った声
入り口に、包帯を巻いた男───
太宰治が立っていた
彼はゆっくりときた足取りで歩み寄る
恐怖でさらに高く浮き上がろうとした私の腕を、
彼が掴んだ
──その瞬間
『事象』が霧散し、身体の重さが戻って、
私は床に叩きつけられた
彼の異能力、人間失格だろう
這いつくばる私を、太宰は冷たく見下ろした
彼は私の頬を片手で掴み、無理やり視線を固定させる
(……死んだ、と思ってる……?)
太宰さんの言葉に、一瞬だけ思考が止まる
嘘だ
あの中也が、私の死をそんなに簡単に信じるはずがない
遺体だって上がっていないのに
彼は、泥をかき分けてでも私を見つけ出してくれたはずだ
ありえない、ありえない
太宰さんの言葉を否定する
……けれど
気が動転した私の脳裏に、あの時の熱風が蘇る
私が放ったあの『事象』
中也が、苦痛に顔を歪めて私から手を離した瞬間
もし、もし
私をパートナーと認めてくれていた中也の心を、
私自身が焼き切ってしまっていたとしたら?
「もうどうでもいい」と、
彼に思わせてしまうほどのことを、私が彼にしていたとしたら
分かっている
頭のどこかでは、太宰さんの言っていることが「おかしい」と分かっているのに
(否定、しきれない)
確信が揺らぐ
中也との絆が、砂の城のように崩れていく気がして、
私は呼吸の仕方を忘れた
自分でも、こんな嘘を信じるなんてどうかしていると思うのに、震えが止まらない
太宰は、椅子に掛けていたボロボロになった私の服を
無造作に掴み上げた
必死に床を這い、手を伸ばしたが、
太宰その手をひょいっとかわす
やれやれ、とでも言いたげに肩をすくめる彼
彼の言葉に、被せるようにして否定する
そんなわけがない!
彼を壊したいなんて、一度だって思ったことはない
彼に笑っていてほしくて、彼に生きていてほしくて、
私は────
叫んだ直後、血の気が引いた
太宰さんの目が、わずかに細められる
愛しているなら、彼との繋がりを捨てろ
彼と一緒にいれば、私は彼を焼き尽くす、ならば「死んだ」ということにした方がよいのではないか
太宰の言葉は、正論という名となって、
私の逃げ道を完全に塞いだ
太宰が闇の中へ去っていく
中也の重力の残滓が残るその服を、
ゴミのように引きずりながら
私の指先には、冷たい床の感触しか残らなかった。
中也。ごめんなさい。
私はもう、あなたの名前を呼ぶことさえ、許されない












編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。