家に着くと、俺は真っ先にキッチンへ向かった。皿を洗わずに出てきてもうたからな。
流し場には何枚かの皿と器が乱雑に置かれていた。彼がお粥を食べたであろう器もちゃんとあった。
ちゃんと食ってくれとったんや。
俺はまた少しだけ嬉しくなった。
皿洗いを終わらせて、今度は彼に頼まれた着替えを用意するために彼の部屋に行く。
昨日、彼が倒れるという緊急事態があったにも関わらず、部屋はいつも通りで適度に生活感のある普通の部屋だった。
彼のクローゼットを開けて服と下着を数セット取り出し、大きめのカバンに入れる。彼が煙草の許可をもらえるか分からないが、彼の好きな銘柄の煙草を一箱と、俺とお揃いのライターもカバンの中に突っ込んだ。
いつもならここで一服しようとするが、今はそんな気分になれなかった。あの煙に彼がどうしても重なってしまうから。
自分で自覚するほどのヘビースモーカーだった俺が煙草を吸いたくないと思うなんて、よほどのことだ。
煙草のない生活は、俺の味わっている非日常をさらに強く感じさせる要因となった。
ここにいても気が沈むだけだ。
カバンのチャックを閉める。
そういえば、彼の保険証やそれ関連の書類を持ってこいって医者に言われとったか。気が動転しとってあんま覚えてへんけど...。
取り敢えずそれっぽい書類やらなんやら全てをリビングの棚から取り出してカバンに詰め込んだ。
その棚には二人で撮った写真が何枚も飾られている。
チーノも寂しいやろうし、一枚くらい持ってやるか。
そう思い手を伸ばしたが、途中で引っ込めた。
何を考えてるんだ、俺は。夫婦やカップルでもあるまい。ただの男友達だぞ?普通に考えて気持ち悪いよな?
写真はそのままに、カバン、それから自分の携帯電話と財布だけ持って家の鍵を閉めた。
俺だったら写真、嬉しいけど、チーノはちゃうよなぁ...。
「はあ……」
俺ってそんなに寂しがりやか?割と単独行動好きなタイプやねんけど...。
彼の診断結果次第では、家で一人で生活することにもなりかねない。俺は結構不安だった。彼のいない生活が。
彼の検査は夕方には終わると聞かされている。携帯電話で時間を確認するとまだ真昼間。
何をして暇を潰そうか。とにかく、今はしたいことが何もない。煙草も、ゲームも、全部。
かといって先ほど諸々の準備をして家を出てきたばかり。だから家に帰る気も起きなかった。
結局、かなり早めではあるが、彼の病室に向かうことにした。
道中、スーパーで患者への贈り物として定番の果物を購入してそれも鞄に入れた。彼が検査から帰ってきたら一緒に食べよう。
スーパーから病院へとまた歩き出す。
あれ、そういえば俺、ナイフ持ってないから果物切れへんわ。
かなり遠回りになるがホームセンターにでも寄って果物ナイフも買っていこう。
炎天下、照りつける太陽の下を俺は歩いた。汗が額から垂れて嫌な気分だった。
ホームセンターで果物ナイフとついでに冷えたスポーツドリンクを買って、少し休んでからまた俺は歩いた。
病院に着いたのは4時頃。家を出たのは1時頃。だいぶ歩いた。
鞄から果物ナイフを取り出して机の上に置く。喜んでくれるだろうか。
彼が来るまでの間、冷房のよく効いた病室で休んでいた。
キンキンだったはずのスポーツドリンクが温くなった頃に、彼は看護師に連れられて病室に戻ってきた。
ーーー
診断の結果は夜には出るとだけ、彼の付き添いの看護師に言われ、彼は戻ってきた。
机に置いた果物ナイフを見るや否や、彼は嬉々とした様子で——
「え、待って!もしかして、これって果物ナイフやんな?!ってことは!」
と目を輝かせて俺に言う。
そうだった、そういえばこいつも飯を食ってないか。ようやく一日ぶりの飯にありつけるってわけや。そりゃこんな可愛い顔にもなるわな。
彼はベッドに座り、俺が林檎の皮を剥き終わるのをじっと待っていた。
「「うまあ〜〜……」」
同時に口に入れれば、同じ言葉がこれもまた同時に零れた。果肉は瑞々しく爽やかで、夏にぴったりだな、なんて思った。
目の前で果実を頬張る彼を見て、高校時代のことを思い出した。
2人だけで海に行って、スイカ割りなんかしたな。なんやっけ、えっと。確かチーノが食い過ぎて腹を下したんやったか。
つい最近の出来事だと思っていたが、思い出そうとすると容易には引き出せなかった。
こうやって忘れていくんやな、。
なぜか心が締め付けられるように寂しくなった。
「着替え持ってきてくれてありがとな。え、保険証も入れてくれたん?!まじ有能すぎやろショッピお前!」
一人で物思いに耽っていれば、彼は林檎を頬張りながら鞄の中を確認していた。色々取り出しては、ありがとうとお礼を言った。
俺やってそんくらい出来るわ。もっと頼ってくれたってええんやぞ。全く。
俺は少しだけ得意げになって鼻を鳴らした。
「……おま、煙草はあかんやろさすがに」
「どーせ、欲しがる癖に」
俺が入れてあげた煙草とライターを取り出すと、彼は笑い出した。
笑顔が見れるなら持ってきて正解だった。
写真、持ってきてたらどんな反応したんだろう。今みたいに笑ってくれたんかな。さっきみたいに、ありがとうって言ってくれたんかな。それとも、気持ち悪いって言われたんかな。
分からない。
そんなことを考えているとは露知らず、彼はまた一つ林檎を頬張る。
聞いてしまえば気まずくなるのは目に見えているから、それだけは避けたくて、何も言えずに果物の皮剥きを再開した。
しばらくすると医者が何やら紙切れを数枚持って病室に入ってきた。その面構えは決していい知らせを持ってきたというわけではなさそうだった。
悪いとこ、見つかったんか、チーノ。
医者はベッド横の簡易的な折りたたみ椅子に座ると、神妙な面持ちで告げた。
「まだ検査結果が出ていないものもあります。しかし現段階では、大変申し上げにくいのですが……」
嫌や。聞きたくない。
俺たちが聞かされたのは、悪い知らせを持ってくる医者の決まり文句。それから長くて難しい単語が連なる病名の書かれた書類を何枚か渡された。
真っ青になって冷や汗をかく俺の横で、彼は全て分かっていたかのように涼しい顔をしていた。なんでこんなにもこいつは平然とした態度を取れるんや。
病気の説明を受けている時も、これから始める治療の話の時も、彼は取り乱すことなく聞いていた。怖い。
俺を置いて煙になろうとする彼が。置いていかれて一人ぼっちの生活を送ることが。彼の温もりを感じられなくなることが。
気づけば俺は目の縁に大きな雫を溜めていた。
一通りの説明を終えて医者が部屋から出ていった後、彼は俺の涙に気づき、傍に来るよう手招きをした。俺は素直に彼の座るベッドに近づくと、言う。
「ほんまに、ごめん……」
その言葉を境に俺の涙腺は緩んでしまい、大粒の涙が次々と滴り落ちる。
もし、神様がいるのなら。
どうか、どうか俺と彼に時間をください。
別れる決心をつけて、こんなにも苦しい想いの正体を解き明かすまでの時間を。







![[参加型?]空の上で最後の遺言を、](https://novel-img-gcs.prepics-cdn.com/prcmnovel-tokyo-prod-converted-images/p/fLidrLhRSUUik4ZkTr7M83BhU0V2/cover/01KCTXMWS5RZ2WT40YN9XJ0C3Y_resized_240x340.jpg)




編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。