朗々たる声が聞こえたのと、フェリスによるユリウスの治療が終わったのは、全く同時のことだった。
ユリウスたちが抜けたばかりの林から、疲労の色を微塵も感じさせずに手を振る『魔帝』――クラリルが現れた。
ユリウスとフェリス、そしてラインハルトは、追手である九神将のグルービーとモグロの撃退に成功した。
途中、ヴォラキア最強の『青き雷光』セシルス・セグムントの襲撃もあったが、ラインハルトのおかげでなんとかそれも撃退している。
この戦いで多くの結果を出した二人が、互いに手を叩き合う。
ヴィンセントからクラリルが戦った相手の正体が『精霊喰らい』だと聞いたときにはユリウスは肝を冷やしたが、さすがはクラリル、杞憂だったらしい。
手を叩き、クラリルとラインハルトを称賛する皇帝の言い分、そこに引っ掛かりを覚えてユリウスが口の中でその言葉を転がすと、ヴィンセントは重々しく頷く。
ヴィンセントの語る帝国主義に、ユリウスたちは眉を寄せる。何故、この流れで帝国の在り方を四人に説くのか。だが、すぐに四者同様の答えが出る。
信じられない顔のフェリスが、クラリルの指摘に頬を強張らせる。しかし、ユリウスもラインハルトも、何よりヴィンセント・ヴォラキアがそれを否定しない。
その説明にフェリスは「そんなの······」と言葉を濁し、黙り込む。
ましてや、ルグニカ王国の使節団が来訪している状況下で実行する利点があろうか、とユリウスはクラリルの意見に心の中で付け足す。他国からの使節団がきていれば、水晶宮の警護はいつも以上に厳重となる。
それを念頭に入れ、その上で無理をする余裕など――
ヴィンセントの発言に、ユリウスはしばし沈黙する。それから、まさかの可能性に思い至り、形のいい眉を顰めながら、ユリウスは皇帝を見つめた。
ヴォラキア帝国の九神将の一人が殺害され、皇帝陛下の身柄が王国騎士に連れ去られた状況だ。何度も懸念している通り、一手間違えれば、両国の開戦は避けられない。
そしてそれこそが、ヴィンセントの首を狙う敵方の目的だとしたら。
我が身を狙われながら、ヴィンセントは上機嫌に口元を緩める。その微笑を見たフェリスが忌々しげに呟くのを、ユリウスは咎めることまではしなかった。
実際、悪趣味と嘆きたくなるような奇妙な状況だ。よもや、王国に忠義を誓い、剣を預けたはずのユリウスたちが、ヴォラキア皇帝の命を守る日がこようとは。
クラリルとヴィンセントの会話を聞いて、ユリウスは一人無念さに目を伏せる。
バルロイと交わした言葉は少なかったが、彼が一角の武人であり、そうなるために血の滲むような鍛練を積んできたことは想像に難くない。そうして、実力主義の帝国で実績を築き上げ、九神将の地位まで辿り着いた人物の最期が、想定外の奇襲。
それはあまりにも――
顎に手を当てて、ユリウスは直前の自分の考えを反芻する。バルロイの死を悼みながら、彼が死した大部屋の状況を改めて思い返し、違和感に気付く。
そして、その違和の原因を突き止めるべく、「ラインハルト」と友人を呼び、
究極的なことを言えば、ラインハルトとクラリルの存在が神龍と同等――否、二人揃えば神龍以上の戦争抑止力となる。これはユリウスだけでなくフェリスも同意見だと思うが、『剣聖』と『魔帝』さえいれば、それだけで戦争など終わりかねない。だとしたら――
ユリウスの推論にフェリスが混乱すると、それを飛び越えてヴィンセントが理解を示した。皇帝は唇を横に裂いて、その黒瞳でユリウスを真っ直ぐに見る。
背筋の凍るような感覚を味わい、ユリウスは頬を引き締め、その視線を見返した。
問いかけに舌が渇くのを感じて、ユリウスは一度、息と唾を呑み込んだ。そして、ラインハルトとフェリスとクラリルの視線を背中に、ヴィンセントへ答える。
敵の狙い、ラインハルトではなく、バルロイが『殺された』のは――
――場所は水晶宮より北へ数キロ、広大な山岳地帯の入口へと移る。
管理人不在の管理小屋の中、顔を突き合わせている逃亡者たち。その話し合いの中、ユリウスの語った推測に、ラインハルトとフェリスとクラリルは顔を見合わせる。
ユリウスの語った内容、それはつまり――
王国騎士が九神将と皇帝を害したとなれば、帝国全てが敵になる。――現状も、その一歩手前には陥っているが、状況さえ作れば敵方のやることはない。邪魔者の口封じは、追手となる九神将が成し遂げてくれる。
しかし、そうなってはいない。主にラインハルトのおかげで、未だヴィンセントとユリウスたちの首は繋がっている。これなら、王国と帝国の戦争を食い止める希望もある。
ヴィンセントの称賛に、ラインハルトが便乗する。その評価を過分と受け止めつつ、しかし状況は単純化された代わりに、困難な部分も浮き彫りになった。
勝利条件がはっきりした以上、敵も死に物狂いでこちらを止めにくるということ。そしてその中には、あのバルロイ・テメグリフも含まれているはず。
故に、油断ならない状況が予想され――
周囲を睥睨するユリウスの隣で、地団駄を踏むフェリスが不満を爆発させる。
ヴィンセントを連れて水晶宮へ戻ること、それを勝利条件と定めた方針が決まり、管理小屋を飛び出したところで、一行は無数の敵意に足を止めていた。
ユリウスと同じく、周囲を警戒するラインハルトが後手に回ったことに眉尻を下げる。不本意そうな彼の態度は珍しいが、その自省も仕方のない状況だ。
なにせ、見落とすには無理のある気配に周囲を取り囲まれている。
おずおずと、クラリルの後ろに隠れるフェリス。クラリルの言う通りなら、管理小屋の周囲に現れた気配の数はこちらの十倍以上――それがヴォラキアの正規兵ではなく、件の黒幕の刺客であることは間違いない。
刺客の姿は視認できず、完璧に木々と一体になった隠密具合だ。準精霊の導きに従って目を凝らしても、その姿は判然としない。
腕を組み、ヴィンセントは尊大な態度のまま、自分を取り囲む気配に目をやり、
辛辣なヴィンセントの物言いに、周囲から向けられる敵意が一層強くなる。元々、皇帝を弑逆しに集まったものたちだ。その最後の躊躇いも、今の一言で完全に消える。
途端、聞こえ始めるのはキチキチと、こちらを威嚇するような耳障りな音――
猛然と、凄まじい勢いと速度で管理小屋に殺到するのは、その背中から薄い皮膜のような翅を生やした人影だ。人と同じ五体を持ち、しかし、決定的に異なった部分がいくつも見られる異形。翅もその一部であり、他にも触覚や複眼、差異は数多くある。
だが、共通しているのは、それがいずれも虫と酷似した特徴ということだ。
吶喊してくる敵を見て、ヴィンセントが口にした警告にラインハルトが応じる。
虫籠族とは、多様な亜人族の入り乱れるヴォラキア帝国にのみ存在する少数種族――幼少の頃から、虫籠族は特殊な力を持つ『虫』を体内に入れ、その虫と生涯を共にする。生命の源であるオドをその虫と分かち合い、半ば魂ごと合一することで肉体を共有、虫の力を引き出すことができるようになるという。
その特性が、彼らの一種多様な外見に如実に反映される。取り込んだ虫の力を解放する瞬間、彼らはその肉体の大部分に虫の特徴を現出させるのだ。
虫の狩りは機械的で、感情に振り回される熱がない。それが人間大の狩猟に活かされるとなれば、合理的で残酷な脅威が相対した敵を容赦なく殺戮する。
翅で宙を舞い、口から伸びる管で毒液を打ち込み、変質した腕を強靭な鎌として獲物を引き裂き、鋼板すら貫く角で敵を穿ち、硬化した肉体の突進が相手をひき潰す。
虫籠族特有の、人体構造に囚われない攻撃が次々とこちらへ襲いかかってくる――
――その全てが蹴散らされるのだから、彼らにとっては悪夢という他あるまい。
翅による接近を足捌きと転移で躱し、迫る毒液の管を手刀で落とす。風を切る大鎌を、穿つ大角をそれぞれ押さえ、建物を倒壊させかねない鋼鉄の吶喊をやはり転移で避けきって――いずれの初見殺しでも、ラインハルトとクラリルを汚せない。
その信じ難い事実を前に、肩から生えた角の一撃を受け止められた男が呻く。彼は凝然と目を見張り、ラインハルトとクラリルを睨みながら声を震わせた。
男の次なる驚愕と、クラリルの呆れ声が同時に起こる。実際、彼の直感という表現、それは『初見の加護』の説明としては微妙に言葉足らずだ。
ラインハルトの持つ『初見の加護』は、初めて見る攻撃に対して、それを防ぐための直感が働く、といったものらしい。早い話、攻撃の予兆を感じ取る力だ。故に、感じても反応できなければ無意味な加護だが、ラインハルトの場合は身体能力で追い付けないことを心配する必要がない。
そんなラインハルトが掴んだ両者を引き寄せ、大鎌と大角の男が激しい音を立てて激突する。
その間、毒の触手を持つ刺客がラインハルトの背中を狙うが、
クラリルの指先から尋常ならざる速度で液体が発射され、それを腹に食らった刺客が貫かれない程度に微妙に手加減された一撃の下に倒れる。
クラリルが行使した今の魔法は、ユリウスにも見覚えがない。おそらく、虫籠族の毒液の男の攻撃を魔法にしたものだろう。直前の「完成した」という発言から、その気になればすでに毒も撃ち込めるものと思われる。
一方のラインハルトはクラリルが新たに開発した魔法の試運転をしている間に、新たに五人の虫籠族と相対し、その全員を昏倒させていた。
『初見の加護』で虫籠族独特の術にも対応するラインハルト。それにさらに付け加えて――
振るわれる大鎌が、再度の角の一撃が、死角からの攻撃さえも易々と避けられる。
それは、一度見た攻撃への反応速度が格段に向上する『再見の加護』の効果だ。初見の攻撃も、初見と同じ攻撃も、等しくラインハルトを傷付けられない。それは当然《自己防衛機能》に守られているクラリルも同じこと。
クラリルとラインハルトとの決闘では、毎回激しい攻撃の応酬に反して二人が当たっている回数は数えられるほどしかない。
ラインハルトは《自己防衛機能》の、クラリルは『初見の加護』と『再見の加護』をはじめとした回避系の加護の穴を突かなくてはならないためだ。
双方、心の内まで通じ合っているにも拘らず楽に傷すら付けられない相手。――それを今顔を知ったばかりの虫籠族が、どうやって対抗しろというのか。
その光景を見やり、低く呟くヴィンセントの言葉が状況を端的に表している。
生中な剣よりも強靭で切れ味の鋭いラインハルトの手刀が、飛びかかってくる虫籠族を次々と斬って捨てていく。じりじりと機を待つばかりのものたちは、何もできないまま遠方から先制してくる魔法に焼かれていく。あるいはその光景は、人間が羽虫を叩くような、戦いというよりも作業に近いものだった。
とはいえ、敵の数も数だ。多勢に無勢は否めない。
攻撃の嵐に対応しながら、ラインハルトがクラリルへ向けて叫んだ。そうしてクラリルがこちらを見たことで、二人でこの場はラインハルトが殿になるという作戦を練り上げたのは十分に伝わってくる。
勝利条件は敵の壊滅ではない。となれば、ユリウスたちの目標は初志貫徹だ。
不平を漏らすヴィンセントを連れて、水晶宮へ戻るための逃走劇が始まる。
暴風が羽虫を散らすように、虫籠族の大部分はラインハルトに阻まれてこちらを追えない。一部、翅によって上空から襲いくるものもいるが、
剣を振るったユリウスの声に、赤と緑の準精霊が呼応し、炎を巻いた風が吹き上がる。その灼熱の風に翅を焼かれ、虫籠族は悲鳴を上げながら地へと落ちた。
地へと落とされ、翅を燃やされた虫籠族がなおもこちらへ手を伸ばす姿が見える。それらもまた、ユリウスたちを追いかけてきたクラリルの一撃に意識を刈り取られていた。
山裾から林道へ入り、遠目に見える水晶宮へと皇帝を連れて登城する。城壁を風で乗り越えれば、帝国兵の目を盗むことも難しくはない。あとは――
そう思った矢先だ。
届いた声に、ユリウスたち四人は反射的に足を止めていた。
ユリウスとフェリスは、その声に聞き覚えがある。あるからこそ、間の悪さと不覚を取った点に歯噛みした。クラリルは凝然と目を見張り、ヴィンセントは冷たい切れ長な瞳で声のした方向を見る。
木々の隙間から飛び出して、忙しない一人の若者がやってきた。
奇妙な風体をした青年だ。明るい青と、派手な桃色の着衣――西にある、カララギ都市国家の民族衣裳であるキモノを纏い、足下には草を編んで作られた履物のゾーリを履いている。濃い青の髪を後ろで縛り、どこか人懐っこい笑みを浮かべた青年は、その腰に刀剣――これもまたカララギ由来の武器、『刀』を二振り下げている。
一見、それはいささか珍しい格好をしただけの若者に思える。柔らかく整い、女性と見紛うような中性的な顔立ちと、細い体もその印象を助長するだろう。
だが、そうした上辺の印象は、青年と直接対峙すれば即座に掻き消える。――今、目の前にやってきているのは、想像の埒外の存在だと。
初めて実物を目にしたクラリルの呟きを、ユリウスは肯定した。
セシルス・セグムント――それが青年の素性であり、九神将で最も有名な人物。正真正銘の怪物、ヴォラキア最強だ。
二人が静かに言を交わしている間にも、話題のセシルス自身はしげしげとこちらを眺めたかと思うと、「やや!」と叫ぶ。
事情を説明しようとした語り口が雷速で塗り潰され、圧倒されたユリウスは閉口してしまう。その光景を見て、背後のヴィンセントが深く大きくため息をついた。
立場あるものとしては致命的な弱点、それがセシルスを説得しようとしたユリウスの目論見を完膚なきまでに打ち砕いた。黙り込むユリウスの代わりに、今度はフェリスが「ちょっとちょっと」とクラリルを手で差し示して、
フェリスの警告を軽く流して、セシルスは腰の刀をチャキチャキ鳴らす。
赤鞘と青鞘の二本の刀からは途轍もない鬼気が、鞘に収まっているにも拘らず漏れ出している。
その圧迫感は、二刀の刃が尋常ならざる魔剣、聖剣の類である証明だ。
一番刀と二番刀――先ほどユリウスが剣を合わせたときには、五番刀だけを使うセシルスに食い下がるのがやっとだった。今のセシルスとユリウスが一人で相対すれば、瞬く間に首が飛んでいるだろう。もちろん、ユリウスのだ。
視線をセシルスに釘付けにしたままのクラリル、短い意思の疎通はそれほど彼女に余裕がないことを表している。
一瞬の思案があり、ユリウスはセシルスにクラリルを一人でぶつけるのが最適解だと判断した。颯爽と皇帝の下へ走り、佇むヴィンセントの腕を掴んで水晶宮へ向けて再び前進する。去り際、フェリスがクラリルの背中に応援を届け、それに彼女は小さく頷いた。
離れるユリウスに聞こえたのは、刀が鞘から解放された金属音。加えて、クラリルを中心にしてマナが鳴動を始める。
そして――
次の瞬間、雷光と魔法が真正面から激突する。
剣風吹き荒れる戦場を背に、ユリウスは課せられた使命を果たすため、逸る足に力を入れたのだった。
これでなんでクラリルとラインハルトを一緒に戦わせないのかがわかったかと思います。
一方的すぎて面白くならない! 別ゲーになる!
あと前の話(『悪辣』)で文章が一部抜けたまま公開されててビビり散らかしました。すでに修正済みです。
作者が熱出したので次の日曜日の投稿はお休みするかもしれません。すみません。
季節の変わり目だから体調には気を付けよう!w












編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。