褐色の肌、あろうことかその大部分を露わにした少女だった。
暴力的な体つきに薄布を纏っただけのような扇情的な衣装を加えられると、見るものによっては暴力的ではなく、暴力そのものである。
頭部に生えている獣の耳と、臀部にある尻尾――少女が獣人であることは容易に想像がついた。
少女の左目には花柄の眼帯がつけられており、さらに上に目を向けると、一房だけ赤い銀髪が特徴的だ。
銀髪――それだけで揺れ動く心を、それでもおくびにも出さず、クラリル・フェル・ラルダイトは落ち葉を鳴らして少女の前に降り立った。
不用意に距離は詰めず、あくまで魔法使いにとって不利にならない程度の中距離を保つ。しかし、その仕草に油断はない。それは、眼前の少女がこれまで目にした帝国の人間で最強――バルロイやグルービー、モグロを超える実力者だと、肌で感じたから。
油断なく、睨みをきかせて、クラリルは少女から目を離さない。
クラリルの質問に、少女は黙るでも答えるでもなく、何故か困惑するように首を傾げた。
身に纏う強者の風格からは乖離した、子どもっぽさのある仕草。無論それで少女の危険度が下がるわけでもない。
ヴォラキア帝国が擁する『九神将』の座には、九人の帝国最高戦力が座っているというのは水晶宮でユリウスが語った通りだ。
捕捉すると、『九神将』には壱から玖までの番号が割り振られており、数字が若くなるほど序列が高い――すなわち超越者の中の超越者がその席を確保している。
特に『壱』は帝国無双でその名を世界に知らしめた折り紙つきの化け物とされているが、少女――アラキアはその『壱』に次ぐ、帝国堂々二位の実力者である。
向かい合うクラリルとアラキア、状況は硬直している。アラキアが動かない理由はわからないが、クラリルの方からすればそれは最善だった。
クラリルの目的はアラキアの打倒ではなく、ヴィンセントと共に逃げ、事態を収束させること。戦闘は必要最小限にしたいし、誤ってアラキアに取り返しのつかない傷を負わせてしまえば、水晶宮の一件の犯人がラインハルトでないと証明できても両国の関係悪化は免れないだろう。そうなれば、不可侵条約締結は絶望的だ。
このまま、向こうのラインハルトたちが帝国兵を退けるまで何も起きなければ――そう思っていた矢先だった。
アラキアの顔のあたりに、淡い光――微精霊がふらふらと現れる。それを彼女は、
――手で掴み取り、小さな微精霊を口から取り込んだ。
これが『精霊喰らい』と呼ばれるアラキアの異能。食べた精霊の能力を、自身に蓄える外法である。
しかしながら、銀髪に亜人に精霊と、狙ったようにクラリルの琴線に触れてくる。彼女に非はないが、心がざわめくのを感じた。
クラリルの複雑な表情は気にせず、食事を終えたアラキアはぼんやりとした目のまま、手に握った杖を上に掲げる。可愛げのある体から、その印象を押しつぶすマナが放出された。
気の抜けるようなのんびりとした声。そしてアラキアの杖――ただし見た目はこの林のそこらに落ちている木の棒と違わぬものがクラリルに向けられ、その次の瞬間、アラキアからクラリルに向かって、渦巻く獄炎が放出された。
距離減衰があったのか単純に強い魔法を使ったのか、さっきクラリルが防いだ炎よりさらに一段大きい。
この速度であれば《転移》で回避するのは容易いが――クラリルが避ければ、炎は方向から考えてラインハルトたちのいる戦場を直撃する。ヴィンセントを巻き込むと考えていないのだろうか。
どのみち、回避は封じられた。故に、迎撃する。
規模を増した炎に対抗すべく、こちらも先ほどよりマナを多く加えた《幻氷殲滅砲》でお出迎えだ。
炎と氷が拮抗すれば、一つ前のやり取りの繰り返し。この場が霧に包まれる。そうなれば視界不良に陥るわけで、クラリルはすぐに空に脱出――できなかった。
両足が、盛り上がった土に固められている。
危機感を覚え、クラリルが意識的に転移を使う――前に、クラリルの体は空中に投げ出されていた。
普通なら戸惑い、数秒を無為に過ごすだろうが、クラリルには慣れっこ。おそらく、アラキアの追撃に対して《自己防衛機能》の自動回避が発動した。
人間が生来持っている五感に加えて、《自己防衛機能》はクラリルの第六感といえる『魔帝の加護』からの情報も余すことなく拾っている。霧で視界が封じられようが、残る五つの感覚で《自己防衛機能》は攻撃を判別する仕組みだ。
自動的に転移が発動した、それを受け入れ、クラリルは現状の把握に努める。
位置は霧の届かない木々の上、さらにアラキアの背後。原理はいくつか考えられるが、彼女も空を飛ぶ技術を会得しているらしい。
背後に突然出現した気配に、ほとんど無意識でアラキアが振り向こうとする。――が、その前にクラリルは魔法陣を描いた。
アラキアの意識がクラリルに向いた直後、警戒が手薄になった地上、霧の中から五本の《拘束魔鎖》が彼女に伸びた。
あっという間にアラキアは《拘束魔鎖》に縛り上げられ、雁字搦めにされる。
このまま地面に引きずり下ろして、氷漬けにでもしようとクラリルは詠唱した。
――クラリルの目には、アラキアが鎖をすり抜けたように見えた。
驚愕で一瞬、誰もその隙を突けないほど刹那だけだが思考が白く染まる。だが、刹那を容赦なく攻め立てるのがこの世界の怪物たちである。
猛然と、当たらずとも肌を焼く火炎がクラリルに放たれた。そんなクラリルの意表を完璧に突いた一撃でも、《自己防衛機能》は見逃してくれない。当然、自動転移でクラリルはアラキアから距離を取る。
――『精霊喰らい』アラキアは、食べた精霊の性質すら己と同期させることができる。
炎の精霊を喰らえば炎に、水の精霊を喰らえば水に、風の精霊を喰らえば風に。アラキアがそのいずれになって《拘束魔鎖》から抜け出したのかはわからない。
だが、一つ確実に言えるのは、
火も、水も、風も、それらを拘束できる鎖はない。アラキアを無力化しようと思うのなら、ただの束縛では生ぬるい。気絶か封印か殺害か、勝利条件は三つに絞られる。
言うまでもなく殺害はお話にならないとして、気絶と封印のどちらの方が手っ取り早いか。
クラリルが空色の瞳を巡らせて思考する間に、アラキアは次弾の装填を完了。取り込んだ精霊の力を解放し、炎と風を合わせた炎竜巻が、アラキアより上の位置で浮遊するクラリルに襲いかかった。
それでも、クラリルにはことごとく当たらない。クラリルがいくらアラキアの攻略法を考えることに集中していても、回避に全力を注ぐ《自己防衛機能》のおかげで白い肌に傷がつけられることはない。
方針を固めて、頭をひねるのをやめたクラリルは再三アラキアの魔法を相殺する。アラキアを見れば、どれだけやっても攻撃が届かないのにどぎまぎしている様子だ。表情には出さないが、戦いが始まったときより広範囲に影響を及ぼす魔法を主体にしているのが確かな証明である。
いい調子だ、とクラリルは唇を緩めた。あちらが冷静さを失えば失うほど、のらりくらり躱すのは容易になる。
そう思っていると、突然クラリルを睥睨していたアラキアの瞳が大きく見開かれる。クラリルは何一つ行動を起こしていない。驚く要素はないはずなのだが――
――転移発動、その場を逃れるのと時を同じくして、さっきまでクラリルがいた空間は爆発に削り取られていた。
爆発、それもいまだに滞留していた霧を吹き飛ばす威力だ。空中で狙われた事実に危機感を覚え、急降下して着地する。そこは林の中なのに、爆炎を受けて生き残った木は一本たりとてない。
アラキアが呆気に取られた理由はこれか、と緊張に頬を強張らせた。
彼女が知らなかったとはいえ、こちらの援軍だと期待するのは楽観的すぎるだろう。あれは紛れもなくクラリルだけを狙ったものだった。
姿の見えない敵だが、障害物が消えたここならこそこそするのは――
――しわがれた声が耳に入ったときには、クラリルの胸は背中から皺だらけの手に貫かれていた。
――オルバルト・ダンクルケンは帝国最強のシノビである。
元々シノビとはカララギ発祥の暗殺者だが、強さに貪欲なヴォラキア帝国がそれを見過ごすはずもなく。競うように、ヴォラキアにもシノビの里というものが生まれた。
オルバルトもまた、シノビの里で生まれ育った一人。幼少期――否、赤子の頃から叩き込まれたシノビの術技は、オルバルトを里の頭領に据え置き、帝国最強の『九神将』の一人と呼ばれるまでにした。
オルバルト・ダンクルケンは帝国最強のシノビである。
しかしオルバルトは『帝国最強』でも、『最強のシノビ』でもない。
セシルス・セグムントとアラキアを差し置いて帝国最強を標榜するつもりはないし、シノビの本家本元、カララギ都市国家の『礼賛者』を無視して世界最強のシノビを名乗るわけにもいかない。
どこまでいっても、オルバルトは帝国最強のシノビなのだ。
オルバルト・ダンクルケンは帝国最強のシノビである。
そんなオルバルトには、唯一セシルスにもアラキアにも、他の九神将にも帝国民の誰にも負けないと自負するものがある。――手数の多さだ。
戦いというのは、相手の不得意に自分の得意を押し付けること。
それがオルバルトのシノビとしての戦い方の基礎だ。そうしてあらゆる相手の不得意を突くため、オルバルトはあえて尖った得意分野を持たなかった。
そうした生き方を九十年続けてきたので、ついた異名は『悪辣翁』。もっともオルバルト本人は、
と、忌々しく思う異名なのだが。
話が逸れたが、オルバルトは万事において最大限の力を発揮できるよう、多方面に手を伸ばしている。使える術はなんでも使うし、奥の手だって一つや二つではない。
これは、そんな奥の手の内の一つだった。
長い白金の頭髪の裏に隠された心の臓を貫いて、オルバルトは呵呵大笑する。
慌てて振り向いた水色の瞳がオルバルトを射貫き、振り払うように風が巻き起こるが、それに巻き込まれる前にオルバルトは跳躍し、王国騎士と同じく地面に下りてきたアラキアの隣に並び立った。
――『魔帝』クラリル・フェル・ラルダイト。
それが現在ヴォラキア皇帝を誘拐している一団の一人であり、オルバルトが相対している人物だ。
セシルスや『礼賛者』と互角かそれ以上と目される王国の切り札。王国にはさらに彼女と同格の『剣聖』がいるらしいので、あちらの人外魔境ぶりは老いぼれには強すぎる。
実際、彼女の実力は噂以上だった。だが、これで趨勢は決した。
オルバルトの貫手を受けた『魔帝』が、キョロキョロと自身の体を見回す。だが、傷らしい傷はない。オルバルトの腕にも彼女の血はついていない。
オルバルトが飄々と言った直後、クラリルも起きた異変に気が付いた。
彼女が纏うルグニカの騎士の制服、それと彼女の体の大きさが、みるみるうちに合わなくなってきているのだ。それも服がどうこうというわけではなく、どちらかといえばどうこうしているのは服の所有者の方だ。
――クラリルの肉体が、どんどん縮んでいくのである。
当たり前にはなるが、生物は成長するにつれて多くの技術を会得していく。
オルバルトが歳を食っていった結果シノビの長となったのは前述の通り。経験を積み重ねて、どんな生き物もすくすくと育っていく。
シノビの先立ちたちは、どうやってそんな発想に至ったのか、それらの修練や努力を無に帰す業を開発した。
オルバルト自身、オドをこねくり回しているだけで、どうして体が縮むなんて事態に発展するのかは知らないが、有用なのは間違いない。使えるものなら何でも使う、だ。
最終的に対象を五歳から十歳ほどまで若返らせる、『幼児化』の秘術とでも呼ぶべき奥の手である。
――重ねて言うが、オルバルト・ダンクルケンは帝国最強のシノビである。
オルバルトには確信があった。『幼児化』の秘術に対する絶対的な確信だ。
それはヴォラキア最強のセシルスすらも、この術を食らえば弱体化は免れないという確信。
もっともセシルスが『選帝の儀』で敵兵を一掃したのは十代半ばの出来事なので、弱くなっても楽に勝てるとは言い切れないのが侮れないところだ。
それでも、殺しやすくはなる。殺しやすくは、なると――思っていた。
オルバルトには聞き覚えのない、『魔帝』のみに許された魔法が、詠唱される。
途端――クラリルの体の変化が止まった。
それだけではない。秘術で縮められていた体が逆再生するかのように、元の年齢に追い付いていくのだ。
初めて目にする異常な光景に、オルバルトも、並ぶアラキアも呆気に取られる。そうしている内に、クラリルの姿は元通りだ。
オルバルトには一つ誤算があった。
――オルバルトが『幼児化』も使いこなす帝国で最も手数の多いシノビならば、クラリルは『幼児化』にも対応できる世界で最も多くの手札を持つ魔法使いだったのだ。
戦闘の合図を発したクラリル、その背後に五つの魔法陣が展開された。術への対処から息つく間もなく、クラリルの攻撃が放出される。
いったいいくつ同時に魔法を使っているのか、炎と氷と風と光線と土砂が戦場を死地へ書き換える。どれか一つでも当たれば、そのまま魔法の洪水に押し潰されそうになる豪快なマナの使い方――
世界の色すら塗り替える芸術の一撃に、逃げ道はない。それならばと道なき道を通って、攻撃を躱しきる。
たった今アラキアがそうしたように、空を飛んで避ける手段のないオルバルトの最善だ。高速に加えて連続で糸を針に通すような所業、集中力を使う。使う。使っても、魔帝が止まったわけではない。
相変わらず、クラリルが呟いた言葉の意味はわからない。されどわからなくていい。――すぐにわかるのだから。
――漆黒に煌めく巨大な魔石が一つ、星が堕ちるが如く降ってくることぐらい、わかるのだから。
ここ数年で出した覚えのない、本気の声でアラキアの名を呼ぶ。
別段アラキアと仲良しこよしだったわけではないが、なんだかんだで初めて会ってから七年ぐらい経つアラキアとの関係。長命のオルバルトにとっては長いとも短いともとれない微妙な期間だが、その七年がアラキアに、オルバルトの意図を伝える。
アラキアが空中で静止したのは、あの星に対応するマナを貯めるため。ならばオルバルトがやることは一つ、出来る限りの補助しかない。
小柄な体をさらに屈めて、直後、バネのようにオルバルトが跳躍。それでもアラキアの高さにすら届かないが、オルバルトの握るクナイを星に届けるだけの距離は稼いだ。
クナイなのに爆発する特注品を星とぶつけて、星の勢いを削ぐ。そこに準備を終えたアラキアの、超火力の炎が炸裂した。
だが、星の質量は絶大にして膨大。オルバルトがいくらか削ったとはいえ、星を止めるという所業は人の身にできることではないのか――
顔を顰めるアラキアを落下しながら見上げて、しかしオルバルトはニヤリと歯を見せた。
そのオルバルトの呟きが聞こえたのかはわからないが、呟くと同時、アラキアの炎の火勢が一段と上がる。
一段だけではまだ星に敵わない。だが、続けて二段三段と上がれば話は別だ。上がって、上がって、上げ続けて――
――星が、ようやくその中心をぶち抜かれた。
すっかり更地になってしまった林の地面に手足を投げ出し、オルバルトは大笑する。
視線を少し横にずらすと、アラキアも横たわりとまではいかないものの、座り込んで動けずにいた。
アラキアが星を穿ったあと、中核を失った星は魔法らしく形も指向性も持たないマナに還元され、大気の一部となって完全に消滅した。
紛い物とはいえ星の衝突を止め、なんとかこの更地が巨大な窪地にさらに様変わりする事態には発展しなかったが、代償として九神将が二人揃って余力を大きく削られ、『魔帝』は姿を消してしまった。
アラキアの提案におざなりに答えて、オルバルトは魔帝の瞳と同じ色の空を見上げる。
九神将としてはヴィンセントを何としても王国側から奪還しなくてはならないが、思えば長生きしてきて帝国から皇帝が消えることは一度もなかった。それを眺めるのもまた一興か――そう思うと同時に、そんなことよりももっと強い感情が芽生えるのを感じた。
それは――
ヴォラキアの大地に、しわがれた笑い声が木霊したのだった。
アラキア&オルバルト戦は書いてて本当に楽しかったです。全員無法だから何でもさせられる!
《拘束魔鎖》
鎖を出して、相手を拘束する魔法。
《成長》
肉体を成長させる魔法。《転生》と共に使えるかなと思って開発されたが、転生の事実を隠すため結局使用されなかった。
また、《成長》と反対の効果を持つ《逆成長》という魔法も存在する。
《魔岩墜星弾》
マナで作った魔石を、隕石のように落とす魔法。クラリルは本来なら一気にいくつも落とせるが、『服従の指輪』の弱体化と、アラキアたちへの被害を考慮した結果一つに留めた。












編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。