放課後のチャイムは、私にとって自由の合図ではない。それは、次の「役割」が始まる始業のベルだ。
夕飯の買い物。祖母の着替え。散らかった部屋の掃除。
頭の中でチェックリストをなぞりながら、私は逃げるように校門を抜けた。
駅地下のスーパーで買い込んだ、牛乳や野菜の詰まったビニール袋が、情け容赦なく腕に食い込む。
真っ直ぐ家に帰らなきゃいけない。わかっているのに、足は駅ビルの最上階へと向かっていた。
あそこに行けば、100円玉ひとつで、私は「祖母の世話をする孫」ではなくなれる。
自動ドアが開くと、暴力的なまでの電子音と、埃っぽい暖気が私を包み込んだ。
いつもの、一番端にある格闘ゲームの筐体。
そこに、先客がいた。
(……あ。佐伯くん……?)
隣の筐体に座っているのは、間違いなく同じクラスの佐伯イッテツくんだ。
彼は大きなヘッドフォンを首にかけ、画面を食い入るように見つめている。
授業中の眠たげな瞳とは違う、鋭く、けれどどこか寂しげな熱を帯びた瞳。
私は息を潜め、ひとつ空けた隣の筐体に座った。
100円玉を投入する。コインが吸い込まれる金属音が、妙に大きく響いた気がした。
店内オンラインのロビーに入ると、すぐに『SAIKI』という名前がマッチングリストに現れる。
――やっぱり、そうだ。
ずっと誰とも顔を合わせず下を向いてひっそりとプレイしていた。店内オンラインで何度も対戦してきた、あの真っ直ぐで不器用なプレイヤーの正体。
学校では何を考えているかわからないサボり魔の彼が、画面の中ではこんなにも必死に戦っていた。
私は震える指先で、コントローラーを握った。
対戦が始まる。
画面の中の火花は、いつもよりずっと近く、熱く感じられた。
激しい攻防の末、私のキャラクターが膝をつく。
『YOU LOSE』
いつもの文字。
けれど、今日は不思議と悔しくなかった。
立ち上がろうとした時、隣から「カタン」とヘッドフォンを置く音がした。
佐伯くんが、こちらを向かずに、ポツリと呟いた。
自分の手元を見る。
重い買い物袋を提げて歩き回ったせいで、指先が微かに震え、手のひらにはビニール袋の持ち手の跡が赤く残っていた。
丁寧で、それでいて適度な距離を保った言い方。
私は、足元に置いた重い買い物袋をギュッと握り直した。
今なら、さっき言いそびれた事を言える気がした。
私の呼びかけに、彼の肩がびくんと跳ねる。
佐伯くんは、まるで雷に打たれたように固まった。
長い沈黙。彼が指先で、コントローラーのレバーを無意味にカチカチと動かす音が、狭い空間に響く。
やがて、彼は顔を真っ赤にしながら、さらに視線を伏せて呟いた。
不器用すぎる言い訳。
けれど、彼の耳たぶが、筐体の青白い光に照らされて、燃えるように赤くなっているのが見えた。
最後に付け足されたその言葉は、ひどく控えめで、けれど私の心の奥にじんわりと染み込んでいった。
ここは、誰にも邪魔されない、私たちのシェルターだった。













編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。