それは、夢だった。
誰の夢かは分からない。
見ている本人ですら、
起きた瞬間には内容を説明できなかった。
ただ、
胸の奥に引っかかる感覚だけが残った。
——誰かが、いた。
顔は思い出せない。
声も、名前もない。
でも確かに、
「そこにいるのが当たり前」な誰か。
目覚ましが鳴り、
その感覚は薄れる。
学校へ行く。
いつも通りの道。
いつも通りの教室。
空いている席。
誰も疑問に思わない場所。
それなのに、
その夢を見た生徒だけが、
一瞬だけ足を止めた。
「……あれ?」
理由はない。
説明もできない。
ただ、
胸の奥がちくりと痛んだ。
座席表を見る。
一つ余白がある。
名前が入るはずだった場所。
でも、
そこに何を書くかは分からない。
分からないものは、
書けない。
授業が始まると、
違和感は薄れていく。
テスト。
提出物。
部活の話。
現実は忙しく、
夢の残骸を拾い続ける余裕をくれない。
昼休み、
窓の外を見る。
なぜか、
「誰かと並んで見ていた気がする」。
でも横には誰もいない。
笑ったような、
困ったような、
そんな気配だけが残る。
——気のせい。
そう思った瞬間、
世界は元に戻る。
夢は、
現実に持ち込まれないように
ちゃんと作られている。
放課後、
誰かがふとつぶやく。
「……名前、なんだったっけ」
隣の人が聞き返す。
「何の?」
「……いや、なんでもない」
会話はそこで終わる。
続かなかったことは、
存在しなかったのと同じになる。
夜。
同じ夢を、
別の誰かも見ていた。
内容は同じ。
でも、共有されることはない。
なぜなら、
夢に出てくるその人には、
呼ぶための言葉が存在しないから。
名前を持たない存在は、
現実に定着できない。
ただ、
眠っている間だけ、
ほんの一瞬だけ、
誰かの世界に、
影を落とす。
朝になれば、
また消える。
記録されず、
語られず、
思い出にもならないまま。
——それでも。
夢の中でだけ、
確かに誰かは笑っていた。
それが誰なのか、
誰も知らないまま。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!