それは、偶然だった。
倉庫の整理。
古いファイル。
使われなくなった棚。
誰も期待していない作業の中で、
一冊のノートが落ちた。
表紙は色あせていて、
学年も、クラスも書いていない。
ただ、
端のほうに小さく文字があった。
「……けちゃ」
読めた、はずだった。
でも、
声に出そうとした瞬間、
喉が詰まる。
音にならない。
口は動くのに、
空気が震えない。
「なにそれ?」
聞かれて、
ノートを差し出す。
相手は首をかしげる。
「……白紙じゃん」
違う。
確かに、書いてある。
インクの跡も、
筆圧も、
ちゃんと残っている。
なのに、
“文字として”認識されない。
目には映るのに、
意味に変換されない。
それを見ているうちに、
胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。
理由は分からない。
思い出もない。
顔も浮かばない。
それでも、
なぜか泣きそうになる。
「なんか、やだね」
誰かがそう言って、
ノートを閉じた。
閉じた瞬間、
その感情も少し薄れる。
強すぎる違和感は、
人の手で自然に封印される。
その日の夜。
夢に、
言葉のない声が出てきた。
口は動く。
確かに、何かを呼んでいる。
でも、
聞き取れない。
ただ、
懐かしい。
とても、
懐かしい。
目が覚めると、
涙が一滴だけ落ちていた。
どうして泣いたのか、
説明できないまま。
翌日、
そのノートは見つからなかった。
捨てられたのか、
移動されたのか、
最初から無かったのか。
誰にも分からない。
分からないことは、
議題にならない。
世界は今日も、
問題なく回っている。
ただ、
時々ふと、
理由もなく、
胸の奥が痛む瞬間がある。
何か大切なものを
落としてきた気がして。
でも、
何を落としたのかは
思い出せない。
名前を失った存在は、
“思い出される権利”も失う。
それでも、
文字だけが、
どこかでまだ息をしている。
読まれないまま。
呼ばれないまま。
——けちゃ。
それは、
世界に残った
最後の痕跡だった。
アンケート
きづくのは __ ?
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編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。