第6話

小さな女の子だった
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2024/08/15 15:43 更新
葵ちゃんが野球をやめたのは中学二年のとき。
家も近いので、中学ももちろん一緒だった。

やめる以前は応援に良く行っていた。
中学にあがる頃には、恥ずかしさからか「来んな」とも言われた事を覚えている。完全に無視をして応援に行き、後々になって先輩たちに彼女かと冷やかされたと文句を言われた。
うるせぇ、言わせておけ。

試合を見に行っていなかった人たちから見れば、藤堂葵は急に野球をやらなくなったように写っただろうか。
私は一部始終を見ていた。

あの時の試合。
シニア組の練習風景。
グラウンドから消えた葵ちゃんの姿。

中学野球を熱心に見ている女の子なんて、私の周りにはいなかった。興味がないのは当たり前かもしれない。泥臭い野球より、華やかなアイドルや小さくてかわいい化粧品に夢中だったから。
私も、葵ちゃんがいるから野球を見ていた。

その世界から、葵ちゃんだけが消えた。


野球をしなくなっただけで、学校へは来ているのを見かける。
同じクラスではなかったので、ちゃんと授業中にクラスにいるのかは分からないが、大きな問題になっているところは見たことはない。

最近、葵ちゃんは私を避ける。

中学に入ってから暫く、なんとなく女の子から距離を置きがちになる男子生徒が多く、当たり前のように葵ちゃんもその一人。仲が良かったのに、いきなり突き放されてしまったようで寂しくもあったが仕方ない。
その時分よりも、今のほうが酷かった。

野球をしなくなった葵ちゃんは常にイライラしていて、短かった髪も伸びて金色になってしまった。
非行に走る背中を心配しながら見守っている事など露知らず、喧嘩に明け暮れ、家に帰ればすぐに走り込みに出ていく。彼のお姉さんから聞いて知った。

そんな姿を見るのがつらかった。
あんなに野球がすきで、真摯に向き合ってきて、たどり着いた先がこんな場所なんて。

葵ちゃんじゃなければ良かったのに。

良くそう思った。
放課後、私は葵ちゃんのクラスに立ち寄った。
いないとは思っていたが、とりあえず見に行く。

教室の出入口前でキョロキョロしていると、数人で固まって笑いあっていた一人が気づいてくれ、片手を上げて尋ねる。
女子生徒
どうしたのー?
誰か待ってた?
あなた
葵ちゃん……藤堂葵くんって帰った?
私の声を聞いて、輪の中の男の子がひょいと頭を上げる。
男子生徒
あ、藤堂の彼女?
女子生徒
黙ってなって。
女の子がポカリと男の子の頭を軽く殴る。
痛がる男の子を見て、昔の私たちみたいだなと思った。
女子生徒
ごめんね。
藤堂くんなら、ついさっき帰ったと思うよ。
カバン持って出てったから。
あなた
わかった。ありがとう。
感謝の言葉を言い終わらないうちに、私は廊下を駆けた。
ついさっき出たのなら、間に合うはずだ。

慌ただしく階段を下り、靴を履き替えるのももどかしく、家に向かう道を全力で走る。大きな背中に、陽光を跳ね返す金色が見えた時、思わず私は大きな声で名前を呼んだ。
あなた
葵ちゃん!
瞬間、彼の足が止まったように見えたが、何も聞こえなかったように再び歩き出してしまう。
ゼイゼイと苦しい呼吸を繰り返しながら葵ちゃんの隣に並ぶと、ようやく私は走るのをやめて重い足取りで徒歩に変えた。

やっと二人になれたが、まずは落ち着かなければ。
荒く息をつきながら待つ。けれど、葵ちゃんの尖った声が先だった。
藤堂葵
その呼び方、やめろって言ったろ。
子どもの時の呼び方が気に入らないようで、何度か注意されていたのは確かだ。しかし、小さい頃から慣れ親しんだ名前の呼び方を急に変えるというのは難しい。
浅く息をしながら、なんとか喉を震わせる。
あなた
ごめん。
でも間に合って良かったー。
はぁ、と一呼吸置き、できるだけ暗くならないように声量を保つ。
あなた
学校じゃ全然話せないから。
一緒に帰りたいなって思ってたの。
葵ちゃんは答えない。
前を向いたまま、私の事なんて一度も見ない。
声が届いているのかさえ分からない。
あなた
あお……藤堂くんの家にも久しく行ってないし、みんなに会いたいなーとも思っててさ。時間が合えば行きたいなって。
藤堂くんさ、今週どっか
藤堂葵
お前さ。
低い温度で言葉を制する。

ピタリと、私は話すのをやめ、ついでに歩くのもやめた。
隣を歩いていた葵ちゃんも同じように止まり、私を見下ろす。冷ややかな視線が突き刺さり、どうして、と胸の奥で呟く。
藤堂葵
俺に関わるの、やめてくれ。
どうして。

大きな拳で殴られるより痛かった。
何も言えなかった。

周りとの関わりを断ってしまったのはいつからだったか。
がむしゃらに身体を酷使し始めたのはいつからだったか。
……私の名前を呼ばなくなったのは、いつからだったか。

サッと影が射した私の目に気がついたのか、少しばかり気まずそうに葵ちゃんは目線を逸らして、家の方へ歩き出してしまう。
藤堂葵
……悪いな。
私は残された。
一人。
葵ちゃんの背中を見送る。

どうして。
一緒にいられた日々はあんなに楽しくて、野球をしている貴方の背中はあんなにキラキラしていて、勝った日も負けた日も生意気なくらいデカい口叩いて……。
当たり前に、そんな日が続くんだって思っていたのに。

遠のいていく姿を見つめながら、悔しくて、悲しくて、何も出来ない自分に腹が立って、目頭が熱くなるのを感じていた。
じんじんと喉の奥が痛み、鼻の奥がツンとするのを感じていた。

キツく奥歯を噛んで堪える。
ぎゅっとカバンを握り締める。
手の平に爪が食い込むが、痛みなど感じなかった。
藤堂葵
なに泣きそうな顔してんだよ。
近くから声がして、私はゆっくり顔を上げた。
隣に立つ葵ちゃんが心配そうに私を見つめていた。

帰りがけ、野球用品を買いたいと言っていた彼に付き添って店に入って、アレコレと店員と話している彼の横顔を見ていたら過去を思い出してしまっていたらしい。
買い物をしていたら、急に隣で泣き出しそうになった人間がいて、葵ちゃんはさぞ驚いたろう。
ちょっと笑えた。

私の百面相に、彼は眉を顰める。
藤堂葵
どしたんだ、お前。
あなた
なんでもない。
笑って、目元を乱暴に拭う。

買い物袋を下げた葵ちゃんと連れ立って店を後にした。
新しい手入れの道具を買えたようで、機嫌のよさそうな口元が笑みの形に歪んでいる。
それだけで、私も嬉しい。

あの日々も、今日に繋がる為のものだったというのなら、それで良かったのだと思う。
私が彼を救えたのでなくても、こうしてまた輝く姿が見れるのなら。

ピタリと、その場に立ち止まる。
気がついた葵ちゃんも、少し先を歩いてから同じように立ち止まった。
藤堂葵
おーい、どうした。
あなた
よかった。
藤堂葵
何が。
あなた
楽しそうで。
葵ちゃんの長い髪が風に揺れる。

フッと微笑み、彼が呼ぶ。
藤堂葵
帰るぞ、あなた。
私の名前を呼んでくれた。
泣きそうなほど、安心する。

早く来いよ、と肩越しにせっつく彼の元へ小走りに向かう。
私も名前を呼ぶ。
躊躇いなく、何度でも。

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