2025年、1月3日。
人生で初めての大きな分岐点である「受験」を約一ヶ月後に控え、私は街の自習室にいた。
窓の外は、今にも泣き出しそうなほど低く、薄暗い冬の空が広がっている。
その冷え込みに呼応するように、室内には重たい沈黙が澱(よど)んでいた。
机の上には、使い古して角が丸くなった問題集。
何度もめくり、書き込み、必死に戦ってきたこの数年間。
それは、私が「彼ら」を真っ直ぐに愛し続けてきた時間とも、どこか似ていた。
ふと、張り詰めた糸を緩めるようにスマートフォンに手を伸ばす。
画面に浮かび上がったのは、一通の通知。
「いつも応援してくれているファンの皆様へ。」
その無機質な件名を目にした瞬間、指先から体温が逃げていくのがわかった。
本文を読み終えたときには、もう、自分の立っている場所がどこなのかさえ分からなくなっていた。
逃げるように開いたSNSのタイムライン。
そこには、驚き、悲しみ、怒り――色を失った無数の言葉が、目まぐるしい速さで流れていた。
それらをぼーっと見つめているうちに、信じたくなかった事実が、じわじわと毒のように現実味を帯びていく。
(……勉強しなきゃ。今は、考えちゃだめだ)
自分に言い聞かせ、無理やり視線を問題集に戻した。
現実から逃げ去りたかった。
けれど、印刷された文字はただの記号の羅列に変わり、どうしても頭の中に入ってこない。
ふいに、ページの上に小さな水滴が落ちて、文字を滲ませた。
視界が歪んでいく。
そこでようやく、私は自分が泣いていることに気づいた。
あまりにも静かで、無意識な涙。
それは、私の人生を色鮮やかに照らしていた「七色の虹」が、音もなく消えてしまったことを、心だけが先に理解してしまった証拠だった。
彼らの幸せを願うことは、ファンの義務だと思っていた。
けれど、届いたその一報は、私にとっては祝福の鐘ではなく、これまで築き上げてきた『私と彼ら』の関係性を断ち切る鋭い刃だった。
彼が選んだ未来に、私の居場所は、一ミリも残されていなかった。
私が自習室で歯を食いしばっていられたのは、
私の人生に彼らの音楽が、彼らの存在が、
純粋なまま流れていたからだ。
でもその瞬間、私の中にあった『聖域』に、私ではない誰かの気配が混じり込んだ。
大好きだった歌声が、別の誰かを想って歌われているように聞こえてしまう。
それは、私を支えていた背骨が、突然砂のように崩れていくような感覚だった。
そんな時、最推しの彼がいつか口にした言葉が蘇る。
『俺らがいなくても幸せになってほしい』。
この言葉は優しさなんかじゃない。
いつか今日みたいな日が来ることを予感していた彼からの、あまりにも冷酷な、けれど誠実な予言だ。
この時の私はこう考えることしか出来なかった。
家に帰っても、救いはなかった。
いつもなら優しく迎えてくれるはずの母の言葉さえ、今の私には鋭い棘となって刺さる。
「おめでたいことじゃない」 母はきっと、私を励まそうとしたのだと思う。
けれどその言葉は、私の心の奥底にある空洞をさらに広げるだけだった。
おめでたいなんて、一ミリも思えない。そう思えない自分は、ファン失格なのだろうか。
それからの日々は、まるで泥の中を歩いているようだった。
受験生としての日常は止まってくれない。模試を受け、塾に通い、ペンを握る。
けれど、ふとした瞬間に、無意識のまま口が彼らの歌を刻んでしまう。
(……あ、また歌ってる)
気づくたびに、胸が締め付けられた。
【たどり着くのは幻だとしても 今(ここ)に君がいればいい】
あんなに私を奮い立たせてくれたメロディが、今は自分を傷つける刃に変わっている。
「降りる」という言葉が、何度も頭をよぎる。
けれど、私の生活のすべては彼らでできていた。 カレンダー、スマートフォンの待受、勉強机の片隅。
どこを見ても彼らがいる。
彼らを消すことは、この5年間の自分自身を否定することと同じだった。
執着と絶望の狭間で、私はボロボロになった問題集を抱きしめる。
「助けて」とも言えず、ただ視界を滲ませる毎日。
この真っ暗な雨雲が、一生晴れることはないのだと、あの時の私は本気で信じていた。
――あの「奇跡」が起きる、3月までは。











編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。