自分でも、驚いたように声が洩れた。
気が付けば、私の手は
──────行き場を無くしたカナヲの手首を強く掴んでいて。
あまりに唐突な幕切れに、場はただ凍りついたような静寂に沈む。
あんなに遠かった背中が、今この手の中にあることが信じられなくて
自分でも、まだ捕まえた現実味が湧かなかった。
突如、
歓声のような声が上がると同時に、この場の時間が動き出した。
炭治郎のキラキラとした眼差しが私を射抜いている。
熱を帯びて語り続ける炭治郎の声も遠く、
今の私は心ここに在らずというように、断切れの言葉を洩らすことしかできなかった。
カナヲの視線は、解放されたばかりの手首に釘付けになったまま、微かにも動かない。
──────あれ、こんなあっさり……?
今日の訓練は、いつになく拭いきれない疑問に心を支配されているようで
気付いたら、もう日が落ちる時間帯となっていた。
訓練が終わっても、私の中には" どうして "という問いで頭の中が埋め尽くされていて
いつもの会話にも生返事で返してしまったり、その度に心配するような顔で覗き込まれた。
そんなこんなで今、誰かの鼾が響きながら夜が更けていく。
止まらない思考の奔流が、眠りの淵から私を遠ざけていた。
全身訓練は圧勝だった。
逃げも追いも。
私の異常な俊足で、常に勝利を手に取っていた。
けれど──────
そんな私に、カナヲは──────反応出来ていた。
目で追われていた。確かに、私の動きを捉えていた。
あの電光石火のような動きを。
そして、更に不思議なのは
反射訓練では全く歯が立たなかったこと。
どうやら、身体能力が全面的に向上したわけではないらしい。
そして共に、継子の凄さを改めて思い知らされた。
そんな私の尽きることのない悩みは、
答えを見出せぬまま深い眠りの底へと沈んでいった。
其処から、数日後──────。
私たちの圧倒的な成長を見て、危機感を感じたのか
善逸たちもなんとか訓練に参加するようになった。
私たちと同じで、空いてる時間は鍛錬を重ね
全集中・常中 を会得しようと死ぬほど鍛えた。
そんな鍛錬の成果が少しづつ出てくる日々の中
カナヲとの訓練は、
反射訓練でも互角に渡り合えるようになった。
そんな時、私は胡蝶さんにとある件で呼ばれる。
──────診察。
胡蝶さんに従い、以前怪我をした箇所を露わにする。
皮膚に触れている冷たい手が心地良い。
やっと長い訓練が終わることに、私は感謝するような笑みを浮かべた。
診察も終わり、この場から離れようと席を立ち上がる
其の時─────
出し抜けに名前を呼ばれ、私は面食らって彼女の顔を見つめ直した。
いつも浮かべている穏やかな笑みの奥に
何かを探ろうとしている眼差しが、私を捉えている。
柱の胡蝶さんから、そんなことで呼び止められるなんて
一体、どんなことを話されるのだろうか。
私は席を座り直して、胡蝶さんの口が開かれるのを待った。
忘憂散……
" 忘憂散 "なんて言葉は初めて聞き入れた。
心当たりも何も無く、私は疑問が深まるように首を傾げる。
すると、その返答を聞いた胡蝶さんも
何回か目を瞬かせた後、同じく首を傾げた。
悠然と顎に手を当てた彼女は、深淵を見つめるような瞳で目を伏せると
言葉を選び取る。
──────図星だった。
今迄、ずっと。
何かを成そうとする度に、
深い闇に引きずり込まれる感覚が、ただただ苦痛で。
これだけはどうすることも出来なくて、仕方ないと体質のせいにしていたけれど
ここでその話題が出て来てしまえば、もう看過はできない。
全てを見透かされたような心地に、
私は詰めた息を吐き出すことすらできなかった。
善逸からも聞いたと云うことは、誤魔化しは効かない。
私の弱みを握られているようで、居心地が悪かったけれど
この人なら、どうにかしてくれるのかもしれない。
そんな一筋の期待で、私は話を終えない様にした。
──────" 忘憂散 "
胡蝶さんから聞いた話によると
忘憂散とは、かつて大正の裏通りで" 救いの粉 "と謳われた都市伝説のものらしい。
本来、それは薬と呼べる代物ではないもので、
主成分である" 臭化物 "は、人の神経を強制的に沈静化させる劇薬で
かつては精神を病んだ患者を鎮めるために使われていたものだそう。
しかし、この忘憂散には、さらに別の毒が混じっていたんだと。
その粉末は、服用者の脳内で特定の記憶
─────特に強烈な恐怖や悲しみといった、魂に刻まれた" 熱 "を冷やし、
凍りつかせることで、意識の奥底へと封じ込めてしまうと云う。
だが、忘却という恩恵には、必ず等価交換の代償が伴う。
彼女は、私の反応一つ一つを見逃さないとでも云うように、目を細める。
けれど私は、胡蝶さんの言っている言葉の意味を処理するのに手一杯で
彼女の話を自分事として捉えるのが、全くできなかった。
静かに目を伏せた胡蝶さんを余所に、
私はまだ、この話を到底受け入れられないでいた。
忘れさせた?私の記憶を?
──────誰が、何の為に?
私の中の、新たな違和感が思考を殴る。
心当たりのある人物は全く居ない。
私に薬を飲ませた人なんて──────
いや
いた。
……いた気がする。確かに。
師範に預かられる前、その時に……。
優しい声で喋りかけてくれる、誰かに。
もう少しで、思い出せそうなのに。
それ以上、靄がかかった記憶が晴れることは無かった。
そんな私の煩悶する姿を
胡蝶さんは、元から知っていたかのように言葉を続ける。
淡々と薬を用意する彼女の手際を、私は何も口を挟まず視線で追った。
診察終わり、馴染みのある病室に足を踏み入れると、
共に、聞き覚えのある声がどこかから投げ掛けられた。
私は自分のベッドへ腰を下ろすと、
さっき貰った薬をさっそく内服しようと薬袋を開ける。
いつもなら、何か突っこむはずの言葉も
今だと、喉に詰まったようで何も言い出せなかった。
そんな普段とはかけ離れた私の姿を見て
善逸は私を瞬きもせず見つめると
気遣わしげな顔のまま、口を開きかけた
だが──────
善逸の開きかけた口は、そんな私の言葉に吸い込まれるように結ばれる。
彼は、其の言葉の意味を思い出すようにして反芻した。
沈黙がこの場に落ちる間、私の分包袋を取り出す音だけがこの部屋に響く。
白く小さな結晶が、袋越しに輝いて見えた。
静寂を破るように呟かれた言葉の内容は、予想してたものとは違って。
思わず善逸に視線を移すと、何かを思い出すように腕を組んでいた。
善逸の言葉に吸い寄せられるように、私は疑心を持ちながらも聞き入ってしまう。
粉薬が水に溶かされてから、もう随分と時間が経っていた。
訝しげに見つめると、彼は取り繕うような口ぶりで気圧する。
けれど、次の瞬間には
何か聞きたいことがあるように、身を乗り出してきた。
並々ならぬ、決意を秘めた眼差しで。
普段通りの彼にどこか安堵感に包まれながら
私は小さく息を吐く。
そんな拍子抜けしたため息をついた後
言葉の形を成そうと、唇を動かす。
聞き糺す声が、沈んで聞こえた。
戸惑いを隠せないその眼差しを受け止め、
私は静かに続きを口にした。
感情を抑えたはずのその言葉は、
小さく震えていた。
善逸が、言葉を探してまごついている。
けれど、私はそんな気遣いを撥ねつけるように、わざと軽い調子で言い捨てた。
ここでやっと、薬が入っている湯飲みを手に持つ。
けれど、さっきの言葉を真に受けていない善逸は
隠しきれない虚勢を透かし見るように、眉を寄せた。
再びの沈黙──────。
それを切り裂いたのは──────私の咳き込みだった。
慌てた足音が近づく中、
私の飲み終えていない湯飲みの中身が揺れる。
薬を溶かした水が通った所全て、焼けるように痛む。
胡蝶さんが言っていた通りだ。
ひどく塩辛い。涙が出てくる程。
これを──────毎日飲むの?
暗澹たる気持ちで、湯飲みを見捉える。
手はまだ動かない。
意を決して再び、口元まで寄せたものの
あと数センチの距離が、今の私には果てしなく遠く感じた。
口に含んだ後の惨状を予感して、
私はただ、おろおろと視線を泳がすことしかできない。
──────其の時だ。
急にベッドから立ち上がったと思えば、
急ぎ足でどこかへ向かおうとしていた。
戸を開ける音が大きく響き渡る。
病室に一人、ポツリと残されたまま
善逸が去ったあとを、魂が抜けたように見送った。
ゴクッ──────
数分後だろうか──────
息を切らした善逸が、やっと扉から姿を現す。
手に、何かの包みを持って。
彼はその言葉を受け止めるも、直ぐには返さない。
足元がふらつきながらも、こちらに近寄ってくると
息を整えながら、途切れ途切れで言葉を紡いだ。
──────私のベッドに、同じく腰掛ける。
彼の振る舞いに戸惑いを感じながらも、
差し出されたその手に視線を落とした。
──────包みだ。
その包みの中身は、
絵の具を溶かしたような、淡く透き通る小さな結晶の球体が幾つもあって
正に──────
放心としている私の顔を、柔らかい表情が覗き込む。
まさか、私の為に──────
想定外の熱が胸に飛び込んできて、数秒、思考が真っ白に染まった。
数秒、善逸の優しい顔をまじまじと見つめていたが、
こみ上げる気恥ずかしさに耐えきれず、ふと視線を逃した。
──────照れ隠し。
けれど、不器用な強がりに込められた本音を汲み取ったらしい。
善逸は、満足そうに口角を上げると共に
ふっ、と肩の力を抜いた。
そんな善逸を横目に流しながら、
私の手はその包みの中身へと伸びる。
幾つか摘み取って、口の中へと放り込むと
まだ薬の余韻が残っていた口内に、柔らかい甘味が塗り潰してくれた。
思わず、息を吐くように言葉が洩れた。
口元が無意識に緩む私を、善逸は暖かい表情で見守ると
彼の手も、包みにへと移動した。
ぱくっ。
二人きりしかいない病室は
穏やかな雰囲気に包まれていて
裏にある不穏な空気を隠すように
笑い声で、満ちていた。
この後引き受けることになる、死地に赴くような任務なんて
何も知らないまま、
──────ただただ、この空間が長く続くことを祈っていた。












編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。