第13話

結末(最終話)
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2026/03/26 12:35 更新
sm side


カランとドアベルが鳴る。



スンミン
いらっしゃいませ


いつも通りの声で、いつも通り顔を上げる。
ずっと変わらない光景。

でもひとつだけ
前とは決定的に違うことがある。

カウンターの奥に、エプロン姿で少しぎこちなくコップを並べている人。


スンミン
リノさん、それ逆です


思わず言うと、ぴたりと手が止まる。
ゆっくりこっちを見て、ちょっと不服そうな顔。

相変わらず顔で喋ってるかのように分かりやすい。

スンミン
いや、その向きだと取りにくいんで


軽く笑いながら言うと、眉間に皺を寄せ首をかしげ、少し考えてから向きを直す。

その仕草も可愛くてつい見てしまう。



最初は「カフェを手伝う」なんて言われた時、正直止めようと思った。

ダンス教室の先生もやってるし、無理をする必要ないのにって。


でも


「スンミンの近くに少しでもいたい」


と書かれたメモを見せられて、そんな可愛いことを言われてしまっては何も言えなかった。

スンミン
ふふ、助かってますよ

ぼそっと言うと、リノさんの動きが少しだけ止まって恥ずかしそうにニヤッと笑ってくれた。


声はなくても、表情だけでちゃんと伝わってくる。

むしろ前より分かる気がする。不思議なくらいに。




昼のピークが過ぎて、店内が落ち着く時間。

窓際の席に、ふと目をやる。
あの頃リノさんがよく座っていた場所。

今はそこに座ることはあまりなくなった。

代わりにカウンターの内側にいるから。


スンミン
……なんか変な感じ


コーヒーを淹れながら、ぽつりとこぼす。
リノさんが首を傾げる。

スンミン
リノさん、前はあそこにいたのに、今はこっち側にいる
スンミン
なんか僕たち、夫婦みたいだよね


冗談っぽく言うと一瞬きょとんとしてから、じわじわ耳が赤くなって目を逸らす。

照れてて可愛い。

まあ結構本気なんだけどね。


ーー

夕陽が沈む時間。
お店を閉めて、二人で片付けをするこの時間がなんとなく好き。

特別なことは何もないのに、やけに満たされる。

スンミン
今日ダンス教室は?


仕事のスケジュールを聞くと、口の動きで「休み」と示される。

スンミン
じゃあご飯行きません?
リノさんはこくん、と頷いた。





お店の鍵を閉めて外に出ると、広い空に少しだけ夕焼けが残っている。

空を見ながら歩いていると、ふと手に触れる感覚。

見ると、リノさんがそっと指を絡めてきていた。前より少しだけ自然に。

スンミン
……慣れてきましたね

笑うと、少しだけ睨まれる。
でも手は離さずに、そのまま一緒に歩き出す。


ーー


食事に行った後、いつもの海辺に立ち寄る。
僕たちのお決まりのデートコース。


砂浜で二人並んで座り、夜風にあたる。
とても幸せな時間。

ふと視線を横に向けると、リノさんは海を見ていた。

月の光が水面に揺れて、その光がそのまま目の中に入っているみたい。

息をのむ。

やっぱり、綺麗だと思う。何度見ても。

スンミン
ねえリノさん
スンミン
…踊ってもらってもいいですか?

気づいたらそう言っていた。

リノさんが少しだけ驚いた顔をして、でもすぐに柔らかく目を細める。

いいよ、って顔をしてくれた。



ゆっくりと立ち上がって、波打ち際の方へ歩いていく。


黒い服の裾が風に揺れる。


月明かりの中に溶けるみたいに、その姿が少し遠くなる。


そして静かに動き出した。


音楽なんてなくただ波の音だけ。
その中で彼は踊り始めた。


水を掬うみたいな手
しなやかな足
体が波みたいに揺れる


すごく綺麗で幻想的で

たぶん僕は、このリノさんをずっと昔から知ってる


胸がドクンと鳴り、頭の奥で水が弾ける感覚。

青い海、光、僕の歌。
そして、目の前で踊るこの人。


リノさんは今までもこれからも、ずっとずっと大切な人なんだって確信する。


リノさんはゆっくりと脚を止めた。それが終わりの合図だとわかる。

スンミン
リノさん、すごく綺麗
スンミン
ありがとう


リノさんは照れながらこちらに歩み寄り、また僕の隣に座った。


スンミン
ねえ、リノさん
スンミン
手、出して?


リノさんはきょとんと目を見開いてから、両手を出す。

少し緊張が走るけど、あくまでスマートにかっこつける。


僕はリノさんの左手をとり、薬指にリングをはめた。


シンプルな指輪で、決して派手じゃない。
でも、ずっとつけていられるもの。


リノさんは指をじっと見つめてから僕に目線を合わせる。


スンミン
やっと形にできました
スンミン
リノさん
スンミン
これからも、ずっと一緒にいてくれませんか?


リノさんの目から涙が溢れ落ちそうになる。

落ち着いてるのに、実は感受性が豊かで可愛い人。

リノさんは口を動かし言葉を僕に伝えてくれた。


「ありがとう」
「大好き」



その笑顔で心がふんわりと満たされた。



次の瞬間

波が強く打ち寄せ、風が変わった。
まるで祝福しているみたいに、月の光が強くなり海が揺れる。


視界が白く揺れて、
一瞬だけ見えた。

リノさんの姿が
尾を持つ美しい人魚の姿に変わる


同時に自分の体も、水に溶ける感覚

指先が鱗のようにきらめいて、水の中にいるのに息が苦しくない


むしろ懐かしい


スンミン
…戻った…?


呟くと、リノさんがすぐそばで笑った。



その瞬間は、長くは続かなかった。


ふっと光が消えて、気づけばまた砂浜の上に座っていた。

一瞬の出来事。
変わらない静かな夜の海。


隣にいるリノさんを見ると、リノさんも何かを見たように目を合わせる。


さっきの記憶の断片と、目の前の現実がぴたりと重なった。

スンミン
あ……


言葉にならない声が漏れる。

全部は戻ってないけど、でも確かに繋がった。


スンミン
……思い出した、かもしれないです
スンミン
全部じゃないですけど


リノさんの目が大きく揺れる。
信じられないって顔。

そっとリノさんの手を取る。

スンミン
やっぱり海の中でも
スンミン
隣にいてくれましたね


リノさんの目に、涙が浮かぶ。
その反応で正解だって分かる。


スンミン
歌ってたの、僕で
スンミン
踊ってたの、リノさんで


その光景が、ぼんやりと浮かぶ。
完全じゃなくてもいい。
これだけあれば、十分だった。

スンミン
でも、思い出したから好きなんじゃないです
スンミン
思い出す前から好きでした


過去の僕も、リノさんが大切な人で
今の僕も、リノさんが大切


リノさんの手を、少し強く握る。



スンミン
だから
スンミン
これからも愛してます


その瞬間、リノさんの喉が小さく震える。




リノ
スン、ミン…
リノ
愛してる
スンミン
……え?


リノさんは自分の喉に触れて、少し驚いた顔をしている。


聞こえた声は、なんだか懐かしくて愛しくて。


それからもう一度ゆっくりと口を開くけど、また声は出なくなってた。


スンミン
… 大丈夫です、ゆっくりで
スンミン
もうリノさんのこと分かりますから


過去もこれからも全部ちゃんと受け取る。

そっと、額にキスを落とす。


スンミン
…帰る場所は海じゃなくて
スンミン
リノさんの隣がいいです


恥ずかしくて、冗談まじりに言ってみる。
でも、本音だった。

海じゃなくて、この人の隣を選びたかった。

リノさんが、ゆっくり頷く。


涙をこぼしながら笑ってくれて。

その表情を見た瞬間、胸の奥の何かがすっとほどけた気がした。


海にいた頃も、人間になってからも、遠回りした時間も全部含めて

やっと、ここに辿り着いた気がする。


リノさんの手を、もう一度握り直した




もう離れないように







END





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