第7話

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2022/09/25 06:47 更新





「…ヒョン」

「ん…?」

「出ましょう、この街」


静まり返った、深夜のアジトの中。
テヨンの決心によって、ここにいるアンドロイドは着実に人間と立ち向かう準備を始めていた。機械と人間がぶつかり合う混沌の只中にある街に出て声を上げるのがいかに危険か分かっていながら。今のチャンスを逃してしまえば自分たちはずっと隠れたままだと覚悟を決めた。

柔らかなソファに横たわっていたドヨンは、ジェヒョンの言葉にゆっくりと体を起こした。彼の手元にある二枚のバスチケットを見て、その行先はここから少し遠い穏やかな地域であることが分かる。何故それを持っているのかどうかより、ここに来る為に家を出たジェヒョンが避難するという提案をした事に些か驚きを隠せないまま。


「テヨニヒョンが、貴方の事に気付いて避難を勧めてくれました」


ジェヒョンは静かにそう言いながら、肩からズレたブランケットをかけ直してやった。
テヨンの言う通り、彼は人間で、自分は彼の事を自分が死んでもいいくらい大事だと思っている。それは自分に“死”という概念のないモノだからではなくて、ただ彼が大事だ、生きて欲しいその一心で。ここに居続けてもきっと体調を崩してしまうし、寒空の下を危ない中で歩かせたとしても早めに避難所へ行った方がいい。


「あなたが大事だ。俺も行きます」

「…え、…」


ドヨンは咄嗟に顔を上げた。
ジェヒョンは仲間たちと一緒に戦いたくてこの場所に来たのに。自分だってまだここで何か出来るはず。ドヨンは自分のせいでジェヒョンにそんな選択をさせてしまったのではないかと、慌てたように眉を下げた。

そんなドヨンの肩に手を置いて、ゆっくりと首を振る。


「俺の選択です。俺が、そうしたいと思った」


だから気負わないで、どうか守らせて欲しい。
自分が居なくても彼らアンドロイドは上手くするはず、結果がどうなろうと人間の心や目に自分達が生きていることを示す事になるだろう。自分に感情が与えられたのも、テヨンが一部部品を分けてくれたのも、全ては彼と生きて帰るためだと思った。

ゆっくりとドヨンの背中に手を回して抱き寄せると、ジェヒョンは冷えた体を温めようとするようにブランケットを寄せて。


「ジェヒョナ、いいの…?」

「貴方と一緒にいれるなら本望です」


何かを守る為に造られたアンドロイドだけれど、彼以外に誰かを守ろうとは思わない。初めて抱いた感情の中で芽生えた愛おしいという気持ちは、自分を動かす全ての原動力だ。

焚き火がゆらゆらと揺れて、ドヨンの顔を綺麗に照らした。黒い瞳は十分な水分量に潤み、すっと通った鼻の下にある唇は寒さから少し色が悪くなっていた。目にかかる黒髪を指で退けながら、頬と耳の裏に手のひらを這わせる。手のひらと同じ大きさの彼の顔をそっと撫でると、そのまま後頭部に手を添えて顔を近づけた。お互いの鼻が触れた後、ゆっくりと唇を押し当てて微かな体温を享受する。何度か、確かめ合うように。
やがて唇を離すと、寒い中でも上昇した体温で火照った顔をしたドヨンと目が合った。何も言わないで、またもう一度接吻を繰り返す。激しくなることも緩くなることもない、一定の加減で。

ようやっと離れた唇は、ドヨンの唾液で少しばかり光った。


「…もう1回、いいですか」

「………ここまでしておいて、聞かないで」


ドヨンの小さな声は、恥ずかしさと緊張に震えていた。それは人間にとって拒絶反応の現れではないことを理解して心拍数と体温が上昇しているのを感じ取ったとき、どこまでも愛おしく感じた。ドヨンの寝そべっていたソファに片足を乗せると、そのまま半ば押し倒すような体勢で口付けた。彼の半身を腕一本で支えながら、足の間に片脚を滑り込ませつつ。


少し、あと少しだけ。



「、っ…ん」



自分にない、貴方の体温を感じさせて。







* * * *








「あの子達、本当に大丈夫かな」

「きっとやります。成功させてくれる」


雪が道を覆うその中を歩きながら、ふと呟いたドヨンの言葉。数時間前に、倉庫の出口で彼らと違う道を進んだ。お互い無事にいい未来が待っていることを誓って、全員と抱き合った。ドヨンは結局、皆に自分が人間であることを明るみにして「助けがいるなら呼んで」と。あれだけ人間を毛嫌いしていたヘチャンも、ドヨンにだけは一人の仲間として深々とした抱擁を交わしていた。彼と会うのは、ああして仲良く話すのは最後だったかもしれない。もっと話せば良かった、テヨンに沢山のお礼を言えば良かったと、遠いバス停に向かう道中に何度も思ってしまう。

生きて会うと誓ったから、必ず、生きて彼らと顔を合わせなければ。


「……行きましょう」


ジェヒョンは、ドヨンの手を引いて進んだ。
今は何も考えず、バスに乗って別地区へと無事に向かうことだけを考えればいい。本当なら車に乗って向かうべき距離を雪の中歩かせているのだ、人間であるドヨンの身の保証はされていない。道中で凍え死ぬことさえなければいい。昨夜、唇から感じたあの体温を再び感じることが出来ればいい。

どこの店もビルもマンションも、電気のひとつもついていない。既に全員が避難しに出てしまったのか、人の気配はしなかった。所々に配置された軍用車と簡易的な柵が、少し遠くからはこちらにまで響く銃声があった。恐らく逃げようとしたアンドロイドが捕まったのだろう。ぐっと握るジェヒョンの手に力が籠った。


「…あと2時間ほど歩きます、夜になるかも」

「平気、頑張ろう」


寒空の下を、雪で濡れた体は体温を徐々に奪っていく。ドヨンが風邪を引いてしまう前に目的地に着かなければならないのに、その目的地まで短時間で辿り着ける交通手段は既に昨日の時点で閉鎖されてしまったらしかった。バス停の電気もついておらず、地下鉄の入口には柵が立っている。本当にこの選択が正しかったのかどうか分からなくなる中でも、ドヨンは平気な顔で、気丈に振舞って見せた。寒さすら感じさせないように軽快に歩いて、色々と抱え始めているジェヒョンを少しでも落ち着かせてやろうとして。

しばらく歩けば、少し緑の多い道へ差し掛かった。
車道と歩道の境目が雪で覆われて分からない。車も人も通らない長い道路は果てしないが、この先に目的地があるのだ。持っているバスチケットを使えるのはそこしか無い。ジェヒョンはコートを脱ぐと、ドヨンの肩に被せる。自分は黒い長Tシャツ1枚だけになってしまったけれど、何にも寒くない。ドヨンの微かに震える唇が、凍える体を示唆していた。

ぐっ、と足を踏み込んで先を進んだのは、ドヨンだった。冷えきった手を握って、この道を進もうか躊躇してしまっていたジェヒョンを誘導するように。寒くて辛いはずなのに、彼はいつまでも強い。


「……ヒョン」

「なあに」

「…いえ、」


何かを言いかけて、口を閉じた。
弱音を吐きそうになってやめた。貴方は弱音のひとつも吐いていないのに、自分が吐いていては意味がない。ドヨンの手をしっかりと握り直すと、ジェヒョンはどこが影のかかった顔をそのままに歩いた。




それから、何十分が経っただろうか。




髪を濡らす雪は冷たい。
息を吐く度に舞う白い息は絶え間ない。日が暮れた時間帯では気温も下がりゆき、ドヨンは時々足を痛そうにしている。それどころかふらつく様子だってあって、咄嗟に支えなければきっと危なかった。


「…ヒョン、ちょっとすみません」


ぐい、と手を引きながら足を止めると、反射的にこちらへ体を向けたドヨンの額に手を当てた。自分自身の機体がキュ、と動いて、彼の体温を計っていく。


「しんどいですか」

「……んーん…」


体温が上がった。悪い方向で。
彼は平気を装うとするけれど隠せていない。バレバレだ。しんどそうな瞳は熱を孕んでいるし、時々頭痛に顔を歪める表情。数日前からずっと寒い場所にいるんだ、こうなるのも当たり前か。どこが寄った道にモーテルでもないかと辺りを見回すが、そうして探しているうちにもドヨンは足を進めようとする。


「休みましょう、倒れますよ」

「駄目…今、止まったら、進めなくなる」


意識のあるうちに進もう、彼はそう言って手を引こうとした。けれどジェヒョンは折れずに腕を引き返して、「駄目だ」と強く言う。熱に緩んだ瞳がこちらを射止めて、何かを言いたげに目線を離さない。軸かぶれて、真っ直ぐ立てていない。


「…貴方が辛いのは……嫌です」


切実な声で、そう告げる。
感情なんて持たなければ良かった。ただのアンドロイドのままだったら、仲間達と離れる辛さなんて、貴方を想って胸を痛めることもなかった。彼は自分の選択を尊重して着いて来てくれたのに、何せ体の造りが違うだけでこうも。本来、自分は彼に抱くべきじゃない気持ちだってある。プラスチックの塊が、細胞を持つ彼と繋がろうなんて無理な話だ。

2人の間に、沈黙が訪れる。


しかし、その瞬間。


遠くから車の音がして、ヘッドライトが自分達を眩く照らす。軽自動車は横を通り過ぎることなく、ゆっくりと横で止まった。暗くて中の人間は分からないが、ジェヒョンはドヨンを庇うようにゆっくりと胸へ抱き寄せて車の方へ目を向ける。

ドアが開くと共に出てきた、長身の男の影。
ゆっくりとこちらに近づいて来て、様子を伺うように少し体を曲げている。


「…大丈夫……?」


聞こえる声でそう問いかけてきた男は、ジェヒョンの腕の中にまだ一人人間がいることに気付くや否や心配そうな顔を深めた。時々、ジェヒョンの顔を確認するように見つめながら。


「こんな所で何してるの、危ないよ」

「……交通機関が全部止まって、歩いてしか目的地に行けないんです」


けれど、想定内の形で立ち往生してしまった。
誰も悪くない。そう思いたいのに、自分の選択がこうしてしまったと、悪い考えばかり頭を埋め尽くす。
長身の男の後ろからもう1人、少々小柄な男が様子を見にやってきた。

背の高い男は続ける。


「どこに行きたいの?」

「避難地区に続くバス停まで」

「……乗せてってあげる。ただ病人を抱えてそのままは危ないよ」


男はそう言って近付いた。
警戒をするまでもない優しげな声と顔は、ジェヒョンの腕の中にいるドヨンの肌に触れた。ドヨンは既に目を開くのも辛いといったように眉を寄せて、ジェヒョンの胸や腕に体重を預けている。はあ、と時折聞こえる苦しげな吐息も熱い。


「高熱だし、もしかしたら吐いちゃったりするかも。家においで、様子を見てから避難地区に急ぎな」

「……いいんですか」

「いいよ。そんな子誰が見捨てるのさ」


男は優しく微笑むと、背を向けて車の方へと歩いていく。ジェヒョンはドヨンの軽い体をゆっくりと抱き上げると、車の後方座席の扉を開けた。既に前へ座っている彼らは心配そうにドヨンと自分を見つめて、手前にあったブランケットを渡して。助手席にいる男は、背の高い男が話す代わりに何も喋らない。


「君たち名前は?俺はジャニー、隣がテイル」

「…ジェヒョンと、ドヨンです」

「そう。いい名前だね」


車が、ゆっくりと走り出す。
ドヨンは熱で苦しいのか、時々身を捩って口で息を吐いた。冷や汗が頭を濡らす。


「ジェヒョン、君は薄着だけど平気?」

「はい…」


問われた言葉に、思い出す。
もし彼らがアンドロイド反対派だったら、自分達は否応なくまた外に出される。もしかすれば壊されてしまうかもしれない。そうなった場合、ドヨンの安否が保証されなくなる。警備用のアンドロイドとしての機能があるとはいえ、対抗しきれない技を使われたりすれば終わりだ。何せ長身に加えて体格もいい。純粋な気持ちで助けてくれた人間に向かって推察するような真似はしたくないが、仕方ない事だと割り切って。


「……君さ」


ジャニーが、ハンドルを片手で動かしながら真っ直ぐな国道を走る。



「JH-214型だよね」



どく、と心臓が止まりそうになった。
汗はかかないのに、どっと寒気がして冷や汗が出る感覚。ジャニーの方を見ることが出来ない。自然とドヨンを守るように手を添えて、目を泳がせる。



けれど続いたのは、また優しげな声。




「大丈夫、そんな緊張しないでよ」



自分が緊張しているのが馬鹿みたいに優しい声で、ジャニーは笑ってみせた。






「JN-209」






型番を言った後、彼はルームミラーを通じて目を合わせた。






「俺もアンドロイドだよ」

















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