第21話

🦋第6章 継承 藤の下の約束
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2025/10/19 06:00 更新
春の風が、蝶屋敷の庭を撫でていく。
 桃色と白が混じる藤の花が、重なり合うように垂れていた。
 その下に立つ少女──栗花落つむぎは、静かに箒を動かしていた。

 あれから幾年かの月日が流れた。
 蝶屋敷の主となった栗花落カナヲのもとで、つむぎは薬学も治療も学び、今では自分の手で誰かを癒せるようになっていた。
 けれど、その瞳の奥にはいつもあの日の自分がいた。
 怯え、声も出せず、ただ助けられることしかできなかった“あの少女”が。

 ──もう、誰もあんな思いをしないように。

 つむぎは箒を立てかけ、空を見上げた。
 藤の花びらが風に乗って舞い上がる。
 その瞬間、庭の隅からかすかな嗚咽が聞こえた。

 「……泣いてるの?」

 声を向けた先に、小さな影があった。
 年の頃はかつての自分と同じくらい。
 着物の裾は泥に汚れ、髪は乱れていた。
 少女は怯えたように顔を上げ、つむぎを見た。

 「こわい……行くところが、ないの」

 その声を聞いた瞬間、胸の奥が痛んだ。
 まるで過去の自分が、もう一度目の前に現れたようだった。

 つむぎはそっと膝をつき、少女と目線を合わせた。
 「大丈夫。もう、怖くないですよ」
 穏やかに微笑みながら、手を差し出す。

 少女はためらいながらも、その手を握った。
 指先が震えていたけれど、離そうとはしなかった。

 「ここは蝶屋敷。傷ついた人が、また歩けるようになる場所です」
 少女の瞳が少しだけ揺れる。
 つむぎは続けて、小さく囁いた。
 「……私もね、昔はあなたと同じだったの」

 その言葉に、少女は瞬きをした。
 「……ほんとうに?」
 「ええ。助けてもらって、やっと笑えるようになったの」

 つむぎは藤棚の下でそっと少女の髪を撫でた。
 花びらが肩に落ち、桃色の光が二人を包む。
 その光の中に、かすかに蝶の羽音が重なったような気がした。

 「怖いことは、ここに置いていきましょう」
 「……うん」
 少女の声が震えながらも、少しだけ明るく響いた。

 屋敷の方から、カナヲの声が聞こえた。
 「つむぎー、湯がわいたわよ」
 「はい、すぐ行きます!」

 つむぎは少女の手を引いて立ち上がる。
 春風が吹き抜け、藤の花びらが二人の足もとを流れるように舞った。

 (カナヲ姉さん。──私、ようやく少しだけ、あなたのようになれた気がします)

 その胸の奥で、静かに灯るものがあった。
 それは“優しさ”という名の継承。
 確かに、彼女の中で息づいていた。
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