第4話

真実の鍵を握る男
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2025/06/03 11:00 更新
探偵社のドアを開けた瞬間、甘い煎餅の香りが鼻をくすぐった。
中也は眉をひそめ、散らかった机越しに足を組んでいる男を見つける。

「おい、名探偵。いるか」

「んー? 素敵帽子くんじゃん。珍しいね、君がここに来るなんて」

乱歩はあくびまじりに顔を上げ、煎餅をボリボリと噛んだ。

「くだらねぇ話なら帰るけど、あいにくちょっと、厄介な夢を見てな」

その一言に、乱歩の目の奥がわずかに鋭く光った。

「ほほう? 中也くんが“夢”なんて曖昧なもんで悩むなんて。面白そうじゃん」

「……他人事じゃねぇ。太宰も、似たような夢を見てる。お互い、記憶のねぇはずの過去で、背中合わせに戦ってた」

乱歩はすっと立ち上がり、煎餅の袋をぽんと机に置いた。
その軽やかな仕草とは裏腹に、空気がぴたりと張り詰める。

「なるほどねぇ。転生か、記憶操作か、はたまた並行世界の干渉か……さて、どれだろうね?」

「……おい、真面目に聞いてる」

「もちろん。だって君たち二人が“同じ夢”を見るってのは、ただの偶然じゃ済まないよ。何かの“痕跡”があるってことだ」

中也の眉が動く。

「痕跡?」

「うん。無意識の底、記憶のヒダってやつ。……それにね」

乱歩は少し間を空けてから、ぽつりと呟いた。

「もしも君たちが、“元からそういう存在”だったとしたら……夢じゃなくて、“本来の記憶”かもしれないね?」

ぞくりとした。

中也は目を細め、低く問いかける。

「……本来の、記憶?」

「ま、それを知りたいなら……太宰の夢の中を、もう少し覗かせてもらうしかないね」

「……なあ、名探偵」

中也は乱歩の前に立ち、じっとその顔を見据えた。

「“夢を覗く”って、どういう意味だ。まさか、直接太宰の頭に手ぇ突っ込むわけじゃねぇだろうな」

「ははっ、そんな物理的な方法じゃないってば」

乱歩はあっけらかんと笑いながら、机の引き出しをがさごそと漁り始めた。
中也の視線が、その手元を警戒するように追う。

「変なことはしねぇだろうな。妙な薬とか、変な道具とか……」

「やだなぁ素敵帽子くん、僕を誰だと思ってるの。こう見えて名探偵なんだから、胡散臭い占い師とは違うんだよ?」

「……お前、胡散臭ぇって言われ慣れてる顔してんな」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

そう言いながら、乱歩が机の奥から取り出したのは、何の変哲もない小さな懐中時計だった。
けれどその文字盤の中心には、見慣れない記号のような文様が刻まれている。

「……それは?」

「探偵社の“ちょっとした非公式ツール”。深層意識を可視化する仕掛けだよ。まぁ、簡単に言えば“夢と記憶の接続装置”ってとこかな」

中也は腕を組み、目を細めた。

「そんなもん、本当に信用していいのか」

「大丈夫、使うのはあくまで太宰の同意があってから。無理やり頭の中を覗くようなことはしないよ。……まあ、どうしてもって言うなら、君が押さえつけてくれれば別だけどね?」

「ふざけんな。……ただの夢の話だったら、俺もここまでしねぇ」

中也は吐き捨てるように言ってから、息をついた。
ほんの少し、乱歩のペースに巻き込まれていたのが自分でもわかった。

「でも……太宰が自分で口にしたんだ。“記憶じゃないか”って」

「ほう」

乱歩は懐中時計を手のひらで転がしながら、興味深そうに微笑んだ。

「なら、次は君の役目だ。太宰に“覗かれる覚悟”を決めさせるのは。……素敵帽子くん、怖がってる子には優しくしなよ?」

中也は目をそらした。

「……わかってるよ。あいつにだけは、な」


探偵社を出たあと、足が自然と川辺に向いていた。
朝方の喧騒が嘘みたいに静かで、風がコートの裾を揺らす。

「……夢を覗く、ねぇ」

中也は低くつぶやき、手すりに肘をついた。
曇った水面を見つめるようで、その実、視線の先には何もなかった。

「あいつの頭ン中……見たら、何が出てくるんだろうな」

冗談半分に問いかけてみるが、自分の声が思ったよりも掠れていて、口をつぐむ。
太宰が見ていたという“記憶のような夢”。
そこで彼が中也を呼んだ、その声を思い出すだけで、心の奥がひどくざわついた。

――太宰、名前は覚えてるんだ。だけど……中身が、別人みたいで。

違和感はずっと前からあった。
初めて出会ったときから、太宰の笑い方は、何かを隠すみたいで不自然だった。
なのに自分は、そこに昔の彼の影を探そうとしていた。

「バカか、俺は……」

手すりを握る指先に、力がこもる。
太宰の記憶が戻ることで、何かが変わるかもしれない。
けれど、もし――

「もし、全部思い出したって……あいつが“今の俺”を、知らねぇ顔で見るようになったら」

それが、何よりも怖かった。

“昔の太宰”に縋ってるのは、自分の方じゃないか。
それでも、夢の中で名前を呼ばれたとき、ほんの一瞬、嬉しかった。
その事実が、どうしようもなく、悔しかった。

「……ちくしょう」

顔を上げると、雲の切れ間から差す光が目にしみた。

風が通り過ぎるたび、過去と現在の境界が、音もなくにじんでいく。
中也は小さく息をつき、背筋を伸ばした。

「――やるしかねぇよな。俺がやらなきゃ、誰が太宰を引き戻す」

そう、思い出してもらわなきゃ困る。
今の自分を、そして――かつての“俺たち”を。
コンコン――

控えめなノック音に、室内の空気がわずかに揺れた。

「……中也、?」

扉越しに聞こえた声はかすれていた。
中也は返事もせず、そっとドアノブを回す。

太宰はソファに座り、毛布を肩にかけたまま、ぼんやりと窓の外を見ていた。
いつもよりも少しだけ、影が濃い。
あれだけ明るくふるまっていた男が、今はただの“壊れかけた人間”に見える。

「……悪いな、突然」

「いや、別に。君が来るなら……まあ、予想はしてた」

太宰は無理に笑おうとしたが、その口元はうまく動かない。
中也は躊躇わず、向かいの椅子に腰を下ろした。

しばらく、沈黙が降りた。

時計の秒針だけが、淡々と時間を刻んでいく。

「……夢の話を、聞かせてくれ」

中也の言葉に、太宰の指先がぴくりと動いた。

「……また、あの夢のこと?」

「ああ。……お前、自分の名前を呼ぶ声がしたって言ってたな。それ、俺の声だったんじゃねぇのか?」

「……そうかもしれない。でも、確信はないんだ」

太宰は膝に置いた手を握りしめる。

「俺は……夢の中で“誰かを待っていた”。誰かに助けてほしかった。でも、それが誰か思い出せない。顔も、声も、曖昧で……」

「……お前の中で、何かが呼び起こされてんだよ」

中也はわずかに身を乗り出し、目を細めた。

「だから、夢を見てる。違うか?」

太宰の瞳が、怯えたように揺れる。

「……もし、それが記憶だとして。もし本当に俺が“何か”を思い出し始めてるとしたら、どうするんだ、中也」

「……全部思い出せ」

静かな声に、太宰の目が見開かれる。

「……その代わり、俺がそばにいる。どんな過去でも、向き合うのが怖くても……お前が潰れそうになったら、ちゃんと支えてやる」

「……どうして」

「……うるせぇ。理由なんて、今さらだろ」

中也は鼻を鳴らし、目をそらす。

けれど、その拳は小さく震えていた。

「お前の中の“俺”を知りたい。それが、昔の俺でも、今の俺でも……どっちでもいい。とにかく、“太宰治”を取り戻してぇんだよ」

太宰は黙っていた。
ただその顔に、ほんの少しだけ、今までにない温度が戻ったように見えた。

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