第2話

プロローグ
3,082
2021/06/22 09:01
がたごと、がたごと、広い広い合衆国を横断する列車はひたすら進む。
二十世紀に入って十数年ばかり経つが、人間はいまだこうして地を這いつくばって旅をしている。早くあの広い空をひとっ飛びできないものだろうかと、緋野蒼司郎ひのそうじろうは列車の窓から外を眺めていた。
そこには、どこまでも渇いた荒野が地平線の向こうまで続いている。
蒼司郎の生国──皇御国では考えられない光景だった。かの国ではだいたいどんなところでも草なり樹木なり山なり川なりがあるのだ。
老紳士
退屈そうですな、麗しいお嬢さん
あくびを嚙み殺していると、向かいの席に座っていた老紳士がゆっくりとした聞き取りやすい英語で話しかけてくる。
異国人と対するにしては、言葉も態度もとても丁寧だったし、身なりもいい。これはずいぶんとしっかりとした本物の紳士のようだ。蒼司郎はそう思いながら英語で返事をする。
緋野蒼司郎
緋野蒼司郎
そうですね、これだけ長い列車の旅は初めてなものですから
老紳士
ずいぶんとお若い御婦人と見えますが、供もなしにお一人で遠くまで行かれるのですな。どちらまで?
蒼司郎はどのタイミングで老紳士の言葉の訂正を求めようかと考える。
緋野蒼司郎
緋野蒼司郎
目的地は、アトランティス魔女連盟領です
老紳士
ほう、あの──沈まなかった魔法帝国のかけらへ向かわれるのですか。そうなると、麗しいお嬢さんは魔女志望の──
さすがにこれ以上は勘違いを長引かせたくなかったので、急いで老紳士の言葉を遮った。
緋野蒼司郎
緋野蒼司郎
あの、お褒めの言葉はとても嬉しいのですが──残念ながら、自分は男です
その言葉に、老紳士は眼鏡をくいっと上げ目を丸くして蒼司郎をまじまじと見つめる。
それを、黒い瞳でまばたきもせずに見つめ返す。
蒼司郎は『お嬢さん』でこそないが、十六歳になる美しい少年だった。
肌はつやがあり、ぱっちりとした瞳は黒目がちでまつげも長い。
皇御国からの船旅と合衆国での滞在中に黒髪は肩に触れるぐらいに伸びたので、邪魔にならないように紐でくくってまとめてある。
身につけているのは、ジャケットの裾がやや長めの紺色の男性物スーツ。外国からの雑誌で見た流行の形を真似て、蒼司郎が自ら仕立てたものだ。首にはネクタイではなく、父母がお守り代わりにと持たせてくれた緋野家の家紋が象嵌細工で施されているループタイ。
手荷物は仕立て道具一式が入った頑丈な革トランクと、木目が美しい飴色のステッキ。
ほぅ、と老紳士は感心したようにため息をつく。
老紳士
これは失礼しました。それで、この時期にそこに向かわれるのなら入学試験ですか?
緋野蒼司郎
緋野蒼司郎
えぇ、そんなところです
その時だった、蒼司郎の後ろの席から若い女性の声がした。
婦人
まぁ、アトランティス魔女連盟領まで行かれる方が? 奇遇ですね、私もそちらへ向かうのですわ
座席からひょこっとお茶目に顔をのぞかせたのは、年の頃二十代半ばほどの婦人だった。それも、今度こそ正真正銘の麗しい婦人だ。最近流行している直線的なラインの女性物スーツと、小さめの帽子がよく似合っている。
彼女は好奇心に満ちたきらきらとした瞳で、蒼司郎を見つめた。
婦人
そうですか、あなたが──
女性が何かを言いかけたその時、車両の後方に続く扉が乱暴に開かれた。
乱入してきたのは、ばらばらの種類の銃を手にしたいかにも粗野な男たち。
彼らは銃を見せつけ、乗客たちを口汚く罵倒し、威圧する。
列車ジャック。
国民であれば誰でも銃が手に入るこの国らしい犯罪だ。
その時だ──尋常ならざる様子に、とうとう後ろの方の席にいた子どもが泣き出してしまった。
母親がなんとか静かにさせようとしているのだが、それすら粗野な男たちにとってはカンにさわるものだったらしい。彼らはとても単純な方法で子どもを黙らせようとする。すなわち、銃の引き金に指をかけて──
鈍い音が、車両に響いた。

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