第5話

第二章 一話:世界が色を失った日
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2026/02/26 11:38 更新





その日は、あまりにも穏やかな朝だった



昨日、彼女は少し体調が良さそうで、『明日は海に行きたいね』なんて



約束をして眠りについた






俺はキッチンでコーヒーを淹れ、彼女を起こしにに寝室へ向かった


寝顔を見て、いつものように冗談を言って、おはようのキスをする


そんな当たり前の


『アイドルじゃない俺の日常』が続いていく



はずだった




(なまえ)
あなた
⋯⋯あの、どちらさまでしょうか





彼女の口から溢れたその一言が、鋭い氷の刃になって俺の鼓動を止めた







⋯⋯冗談だよね?





そう笑って返そうとしたけれど、彼女の瞳を見て、言葉が喉に張り付いた






そこに宿っていたのは、昨日までの深い愛でも、最近の不安でもない


知らない男を警戒する



純粋で、透明な『他人への拒絶』だった









羽風 薫
羽風 薫
⋯⋯あ、ごめん。
⋯そうだよね




俺は、震えそうになる膝を必死で押さえて、一歩後ろに下がった


鏡の前で何度も練習した、完璧な笑顔を作る


でも、今この瞬間の笑顔が、人生で一番、醜くて歪んでいる自覚があった






羽風 薫
羽風 薫
泥棒じゃないよ。
俺は⋯⋯そう
羽風 薫
羽風 薫
君の、『親切な隣人』⋯⋯かな






嘘だ













俺は君の、










羽風 薫
羽風 薫
(恋人だ)







君を誰よりも愛していて、



君の人生のすべてを知っている男なんだ





そう叫びたい衝動を、噛み締めて飲み込む














俺の名前は『羽風薫』





でも、今の彼女の世界には、





そんな名前の椅子はもうどこにも用意されていない












羽風 薫
羽風 薫
びっくりさせてごめんね。
⋯⋯お腹、空いてない?良かったら、一緒に朝ごはん食べない?





震える声で提案すると、彼女はまだ疑わしそうに、でも少しだけ安心したように頷いた


その仕草ひとつに、俺は千切れそうなほどの愛おしさと、


吐き気がするほどの絶望を感じていた












羽風 薫
羽風 薫
(今日、俺はあなたの下の名前の中で一度死んだ。)
羽風 薫
羽風 薫
(そして、今日から俺は、彼女にとっての『ただの他人』として、)








もう一度、













羽風 薫
羽風 薫
(彼女を口説き落とさなきゃいけない)








終わりのない地獄のような、それでいて、彼女の側にいられる唯一の救い





















俺の











羽風 薫
羽風 薫
(――綿らしい『初恋』が始まった)

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