環奈は記憶喪失の自分がもどかしくて仕方なかった。
これまで知り合った者たちは皆、自分の事を知っている。
知らないのは自分だけ、という状況が何だかもどかしい。
そして実弥を知れば知るほど、もっと彼の事を知りたくなってしまう自分がいた‥‥。
入浴を終えた環奈は借りた浴衣に袖を通し、居間へとやってきた。
居間にいた実弥とバチッと目が合ったが、不自然にそらされてしまった。
とは言われたものの、一人その場に残されると手持ち無沙汰にそわそわしてしまう。
環奈はとりあえず行儀よく正座をしていた。
しばらくして耳をすませると、台所の方で何やら物音が聞こえ、行ってみると玄弥が夕食の支度をしていた。
環奈に気付いた玄弥が微笑んでそう言った。
環奈は迷わずそう言った。
こうして、玄弥とふたりで炊事をすることになった環奈は、談笑しながら手を動かした。
急に玄弥が声を震わせて泣き始めた。
環奈はおろおろと側にあった手ぬぐいを差し出す。
玄弥の言葉に環奈の胸は締め付けられる思いがした。
未だに信じられないが、これまで出会ってきた人たちの話を聞く限り、自分は一度死んだ人間なのだと思わざるを得ない。
気付けば、環奈の目にも涙が込み上げていた。
風呂を終えた実弥が台所にやってきた。
バッと実弥から顔をそらした玄弥が、袖でゴシゴシと目を拭っていた。
穏やかに微笑む実弥が加わり、三人で仲良く炊事を始めた。
夕食も間もなく出来上がる頃、環奈が料理に添える薬味を切っていると、人差し指の指先に鋭い痛みが走った。
包丁で指先を怪我した環奈は、血の滴る指先を見て息を飲んだ。
絶対に犯してはいけない罪を犯してしまったような
恐怖が環奈を襲う。
呼吸が瞬く間に荒く速くなり、窒息しそうな思いがした。
環奈が混乱状態に陥っていた矢先、環奈の指先は実弥にパクッ‥‥と食べられていた。
環奈は咄嗟にそう思った。
血を流してはいけない、自分に流れる血には災いが宿っている。
その事実だけが、強烈に環奈の意識によみがえる。
そう言いながら実弥が手際よく環奈の指先を小さな布で結んでくれた。
人差し指がドクドクと脈打っている‥‥。
それは傷のせいなのか、それとも彼のぬくもりに触れたせいなのか‥‥環奈にはわからなかった。











編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!