第10話

エルクスオウンと本当のバレンタイン
578
2024/03/12 13:00
「紹介、しようか?」

『助かる!!』

彼からのありがたい申し出に笑顔でお礼を言うと、その唇はあっという間に彼に塞がれていた。


『んっ…!何よ、急に…。』

「別に~?」

大口のクライアントだから失敗したくない。
先方の話も聞きながらより、ぴったりの広告を何が何でも作ってやりたい。
彼の手助けは思ってもみない助け船だった。
「ね、どうしてそんなに仕事頑張れるの?」

『どういうこと?』

「あなたちゃんの仕事が、
どんなのかはわからないけどさ、
競争激しそうだし。」

『そうだね~…。』



なんで仕事を頑張れるのか…そんなことをまじまじと考えたこともなかった。
確かに競争も激しいし、クライアントに納得してもらえなかった時はとっても落ち込む。
残業だって多いし、楽な仕事かと言われたら、全くもってそんなことはない。

美味しいお酒を飲むため?
綺麗な広告を作るため?
今いる会社で一番になりたいから?


グラスを揺らしながら、自問自答してみるけれどピンとくる答えは一つもない。


『…、なんでだろうね。健太郎は?』

「俺?」

『うん、なんでバーテンダーなの?』

「……、なんでだろうね。」

二人で笑いあって夜は更けていく、静かに、グラスの音だけが響く空間はとても心地が良かった。
〈14時にこの間のカフェで。〉


朝早くにその連絡が来て、その時間前後の仕事を無理やり午前中に終わらせてカフェに向かった。
でも、現場にいたのはなぜか松永さんお一人だけで。



『あれ、健太郎は?』

「少し準備に時間かかるから遅れてくるって。」

『……まぁいっか。』

「いいんですか?」

『まあ、どうせ仕事の話になるので…』

簡潔に仕事の話をして、先日作ってもらった広告を見せると、真剣に考え込んだ顔の松永さん。
なるほど、ミーコちゃんが彼のことをかっこいいと思うのもよくわかる。


『たしかに高級感が売りなんですが、
それだけではなくて…
柔らかい食感と口どけの中に
甘さと大人のほろ苦さがあって…』


「なるほど、いただきます。」

もらってきた試食を、松永さんは美味いな、と笑ってくれた。
甘いものが苦手な私でも嫌にならない上品な甘さとほろ苦さで、これなら私でも食べられると思ったんだ。

『私、甘いものが苦手なんですけど、
これは食べられたんですよね。』

「それってすごく売り文句になると思いますよ。」

『…、確かに。』


ぱっと顔を上げると、何かを思いついたと言わんばかりの松永さんと目が合う。
いいものが作れそうだ、彼に任せると決めてよかった…、確かにそう思った。
「お待たせ〜……って、あれ?」

『遅かったね、狙った?』

「違うよ?
もしかして、もう終わった?」

『もう少し、
いちばんデリケートな話するから、
ちょっと待って。』

「えー…置いてけぼり?」

『そもそも遅れてきたのはそっちでしょ!』

デリケート…というのは報酬のお話。
先方は大口だから今回の1件で、デザイン報酬はかなりの額になるだろう。


『松永さん、恐らくですが…』

「……いいんですか。」

『決まれば、ですけど。
もちろん私も後押しします。
この話、お受けしていただけますか?』

「………、是非。」

『ありがとうございます。』

「終わった???」

『はいはい、お待たせ。』
そこからは仲良くランチの時間。
まだ外は寒いけれど、差し込む日差しは暖かい麗らかな昼下がりだった。

「あかねの引越し、どうなったんだ?」

「無事に荷物もまとまったよ。」

『引っ越すの?誰かが。』

「結婚が決まったんですよ、同居人に。」

『それは…おめでたいですね。』

「で、ミーコちゃんが
手作りの結婚式しようって。」

『へぇ…、すごいね。』
心から、すごいと思う。

それでも、この2人がいる空間に自分がいることが出来ないもどかしさみたいなものも同時に感じてしまって、苦しくなる。


『私そろそろ行くわ。
松永さん、これ。』

「連絡先?いいんですか?」

『社用携帯ですけど、
常に持ってるから割と繋がります。』

「それ、休めてる?」

『休んでる。じゃあね。』

俺が呼んだのにー!なんて声が後ろから聞こえてくるのを無視して店を出て、次の営業先に行く。


『あ…。』

車の鍵を取ろうとしてカバンを開けたら、出てきたのは健太郎にと持ってきていたサンプルのマカロン。

『……またそのうち会いに行くか。』


車に乗り込んで、エンジンをかけた。
数日後、松永さんのデザインをクライアントに持っていくと、担当者がとても気に入ってくれて、その場で即決、更に報酬も想像以上だった。


まるで、自分が認められたような気分になって、嬉しくなり、ビルを出て車に乗ってから、はやる気持ちを何とか抑えて松永さんに電話をかけた。

『もしもし、松永さん?』

〈どうしました?〉

『あのデザイン、決まりました!
詳細は改めてメールしておくので、
確認してください。』

〈っしゃあ!ありがとうございます!〉

『素敵でした。
これが出回るのが楽しみです。』


これからも何かあった時にはご連絡します、と伝えてから電話を切って、小さくガッツポーズ。
広告の仕事の話もこの間聞いたところだし、少しは、彼のお役に立てたかな。


その日の夜、健太郎のお店にマカロンを持っていくと、入口付近で入れ違いになった女の子たち。

「最近健太郎さ、付き合い悪くない?」

「お店の調子いいのかもよ?」

「えー、でももっと遊んで欲しいよね!」


わかってたつもりだった、難破なやつだって。
きっと誰にでも、私に言ってるような事を言うようなやつだろうって。

誰にでも…?
誰とでも、あんな甘い顔で夜を過ごすの?
最後まで残って酔いつぶれたら…誰でも…?


『そんなわけ…ね。』
バーのドアを開くと、軽快な音が聞こえて、健太郎がこちらを向いた。
彼の向かい側には、松永さんが先に飲んでいて、私を見つけて顔をほころばせた。

「あなたさん!
ありがとうございます!」

『こちらこそ!
素敵なデザインありがとう!』

「あなたちゃん、こっち。何飲む?」

『んー…なににしようかな…任せていい?』

「わかった。」
『え、何してんの?』

「卵白、使うんだよ。」

『カクテルって結構何でも入ってんのね…』

はい、と前に出されたのは、よく写真で見かける三角のカクテルグラスに注がれたお酒。

「エルクスオウン。
ヘラジカって意味らしいよ。」

『……何故?』

ウィスキーやポートワインが入ってるんだと解説してくれるのを聞いてから、グラスを傾けると、不思議だけどちゃんと調和した味わい。
『ん、美味しい。』

「でしょ?」

『あ。』


思い出してカバンを開くと、マカロンの箱を取り出してバーカウンターに置いた。


「これは?」

『私が唯一食べれるマカロン。』

「甘いもの苦手なあなたちゃんが?」

『そう。
この広告のデザインが松永さん。』

「純くんが…?」


リボンを解いて箱を開くと、可愛らしく並んだ色とりどりのマカロン。

『これあげる。』

「ありがと。」

バレンタインの時は…自分の力で選んだものではなかったから、自分で選んだものをなにか渡したかった。
1ヶ月かかったけど…。
『今日はこれ、渡したかったの。』

「ありがと、美味しくいただくね。」

『んーん、じゃあね。』

「え、もう行っちゃうの?」

珍しく引き止めるような言い方に目を丸くしてると、一瞬何かを考えて、手を振ってくれた。

「ごめん、なんでもない。
また来てね、待ってるから。」

『うん。』

空を見上げながら、のんびり帰る。


『そういえば今日のカクテル…』


急いでいた訳でもないけど、調べてなかったことを思い出して携帯を広げてみる。


『…………気をそらさないで』


期待してしまう。
彼が私に本気だって。


そんなことは…


『あるわけないのに……』
エルクスオウン
カクテル言葉:気をそらさないで

プリ小説オーディオドラマ