アドラ寮内の廊下を全力で走り回っても彼は見当たらなかった。
彼ひとりで他寮に乗り込むなんて…でも、有り得る。
暗かったとはいえ、寮内で迷う程だ。考えればキリがない。
探しに行こうとしても、私ひとりで行くような勇気もない。
最後の望みをかけて、キッチンの扉を開けた。
ひとりで入ったことがなくて萎縮してしまう。
けれと明かりが灯っていて___
彼はエプロンを着てシュークリームを作っていた。
既に数個ほどのシュークリームが作られていて、どれもとてもお店のような見た目をしてして美味しそうだ。
近くにある椅子へ座り、彼から手渡されたシュークリームをひと口、口へ運ぶ。
カスタードクリームの甘さが口の中全体に広がる。サクッと音が鳴る生地の程よい固さと食感がクセになる。
料理は得意なのかな。
シュークリームの味よりマッシュくんのことの方が気になってしまうのは彼に失礼だろうか。
けれど彼のことを考えると口元が緩む。
笑顔とは程遠いかもしれないけど、それでも表情が柔らかくなるのだ。
シュークリーム作りに満足したのか、いつの間にかエプロンを脱いで私の隣に座った。
私の言葉、謝罪なんて聞かないというように遮って話し続ける。
…ズルいよ、マッシュくん。
私より先に伝えたいことを伝えちゃうなんて。
本当にズルくて、本当にすごい。
シュークリームを食べていた彼を見つめる。
行動で示すことは基準が難しくて、私にはできない。
やろうとしてみても多分空回りして、逆に遠回りしてしちゃうと思うから。
だから、いちばん分かりやすくて簡単な言葉で伝える。
簡単で単純だからこそ真摯に伝わるはずだと思った。
マッシュくん、貴方には敵わない。
貴方より未熟で強くないし、勇気もない。
だけど私は貴方じゃないから、私の最善の方法で勝負します。
ちゃんと目を見て言うつもりだったのに、緊張しすぎて見れなかった。
声だってあからさまに震えてしまった。
こんなんでしっかり伝わるのだろうか?
段々と不安が胸の奥で募ってきて目を瞑ってしまう。
時間が経っても彼が何かを言う気配がなく、少しだけ心配になる。
唐突な心肺停止状態になっていないかと確認するため、そっと目を開ける。
彼の口元を隠す手のひらを退けようとするが、男の子だからか力が強くてなかなか退かせない。
普段の寡黙なイメージとは違って、顔を赤くしてどこか焦っているマッシュくん。
そんな姿にキュンとして、またひとつ彼を好きになる。
ひとしきり笑った後、目尻に浮かんだ涙を人差し指で拭う。
久しぶりにこんなに笑った気がする。
心がスッキリして、清々しくて、澄み渡ったような。
今なら全部、言える。
心が澄み切っても緊張はなくならない。
テーブルの上の残りのシュークリームを頬張りながら、できるだけ声が震えないように、あくまで独り言のように呟いた。
シュークリームが喉を通らない。
思ったより緊張してるんだな、私。
全部、伝えてしまった。
これからどうなるんだろう。
今まで通り、彼と話せなくなっちゃうのかな。
もう付き纏うこともできなくなっちゃうのかな。
いやだなぁ。
楽しかったんだ。
ランスくんの妹自慢を聞くのも、ドットくんが騒いでいるのも、フィンくんがそれらに突っ込むのも。
そういった何気ない日々を大好きな彼と過ごせないと考えると、目尻に涙が溜まった。
無理だ、という空気がひしひしと伝わってくる。
当たって砕けろの精神で思うままに伝えたからか、緊張が途切れて不思議と落ち着く。
知ってる。
彼が神格者を目指す理由も、この前置きの意味も。
私、今から振られる___
微かな望みをかけて、彼へ問う。
貴方に振り向いてほしくて、隣に居たくて、そんな思いたちが集まったから、こんなに痛くて。
ぐちゃぐちゃな感情。その感情の名前を言葉で表すことは私にはできない。けれど、
これだけは伝えたかった。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。