1時間目、体育。
まだ朝の冷気が体育館に残っている。
ボールが床を叩く音と、シューズの擦れる音が響くか、俺はちらりと視線を横にやった。
___あなたの名字あなたの下の名前。
どこか顔色が悪い。
目の下にうっすら影があって、普段より動きも鈍い。
けれど、ボールを追うその姿は、いつも通りの姿を
崩さなかった。
誰かがパスをミスしても、彼女は「大丈夫だよ」って柔らかく笑う。
……無理してるな。
そう思ったけど、水を差すのも違う気がして、
何も言わなかった。
彼女はいつも周りの空気を読んで、明るく立ち回る。
その仮面を、俺はもう何度も見ていた。
だからこそ、下手な言葉をかけて、余計に彼女を傷つけるのは違うと思った。
だけど、その静かな判断をぶち壊す声が、
体育館に響いた。
一瞬、空気が凍る。
笛を吹く先生の音すら、届かない。
視線が一斉に彼女に集まり、彼女はぎこちなく笑って「教えてくれて、ありがとう」と言って、走って体育館を飛び出した。
……馬鹿か、あの男。
思わず眉がぴくりと動いた。
悪気がなかったのはわかる。だが、デリカシーがなさすぎる。
「お前、もう少し言い方ってもんがあるだろ」と言ったのは八左ヱ門だったか。
勘右衛門も「場考えろよ」と低い声で続けた。
雷蔵は呆れたようにため息をつき冷ややかな目を向けていて、兵助は眉間にしわをよせて、無言でその男子を睨みつけていた。
「とりあえず俺らで処理しとく」と勘右衛門が言ったので、俺は頷いて体育館を出た。
走り去った彼女の背中が頭に残っていた
保健室に行ってるだろうかと思い、寄ってみたが、先生が首を振る
「来てないよ」と
じゃあ、どこだ
思い当たるのは一つ。
いつも彼女が昼に弁当を食べている、屋上近くの踊り場。
あそこなら、人の目も少ない。
階段を駆け上がると、踊り場の近くの階段に腰を下ろしている彼女と目が合った。
階段を登って、固まっている彼女に近付く。
こちらを見上げながら震えた声で聞いてきた
___目の周りが赤い。泣いた後だ。
思わず眉が寄る。
でも、どう声をかけたらいいかわからなかった。
下手に慰めても、彼女はまた笑ってごまかすだろう。
だから、黙って隣に腰を下ろした
何も言わずに、ただ一緒にいる。
それで十分だと思った。
けれどその沈黙の中で、彼女が小さく息をついた。
そう言った彼女をみて、心臓がどくりと鳴った。
いつもの作ったような微笑みじゃない。
頬の力が抜けて、少し歪な、でもすごくあたたかい笑顔
無防備で、まっすぐな笑みだった
なんだ、この感じは。
見てはいけないものを見た気がして、
思わず顔を逸らした
そして、逃げるように言葉を吐いた
……言ってから、少し後悔した。
冷たくしたかもしれない。突き放したように感じたか?
生理って、情緒が不安定になるって誰かが言ってたな…
余計なことを言って傷つけたかもしれない。
___でも、次の瞬間
いたずらっ子みたいに笑って、俺を覗き込んできた
その目が、光を取り戻していた
なんだか、心配するのが馬鹿らしくなってくる
「……好きにしろ。」
そう返すと、あなたの下の名前は嬉しそうに笑って、話しはじめた
話題はたわいもないものだった
先生の口癖とか、体育館の床の音が妙にうるさいとか。
あなたがふざけたことを言っては、俺がツッコむ。
それが妙に楽しくて、笑っているうちに、時間が過ぎていった。
──こいつはこんなふうに笑うんだな。
それが、素直な感想だった
完璧な笑顔じゃない。
“好かれるため”でも“計算”でもなく、ただその瞬間を楽しんでる笑顔。
体調が悪いはずなのに、それでも笑おうとする強さ。
その姿に、胸の奥がじんと熱くなった。
チャイムが鳴った
名残惜しさを感じながらも、俺は立ち上がる
「保健室まで、ついていく。」
驚いた顔をしてから、あなたの下の名前はふっと笑って頷いた。
そのまま二人で歩いた
保健室に着くと、先にあなたの下の名前を休ませて、
俺は先生に簡単に事情を説明する。
帰ろうとして、少しあなたの下の名前の様子が気になって、今、あなたの下の名前が寝ているはずのベットに目線を移した。
すると、カーテンが風で少しめくれ、あなたの下の名前が見えた。目を閉じた彼女の表情は穏やかで、まるで嵐が去った後の海みたいに静かだった。
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昼休み
普通科の教室で、八左ヱ門が拳を握りしめていた。
「さっきの男子、ちょっと言ってやらねぇとな。」
雷蔵が「八左ヱ門、落ち着いて」と静かに宥め、
兵助は「無駄な衝突は避けよう」と冷静に言った。
勘右衛門は「たぶん今頃、反省してるだろ」と苦笑していた。
俺は椅子の背に肘をかけながら、そのやり取りを聞いていた。
(止めなくてもいいと思うがな……)
心の中でぼそりと呟いた。
だって___あいつが怒る理由も、わかるから。
少し冷静になったが、まだ怒りがおさまらない八左ヱ門をなだめようと、勘右衛門達は八左ヱ門を連れて、ウサギ小屋へ行った。
なんとなく、1人でいたくて、おれは遠慮したがな
その時だった
「三郎くん。」
名前を呼ばれて振り返ると、
そこに、彼女が立っていた
もう顔色も戻っていて、いつもの柔らかい笑みを浮かべている。
「ああ、もう大丈夫なのか?」
と声をかけようとしたら、彼女のほうが先に口を開いた
「さっきは……ほんとにありがとう。」
そして、少しだけ顔を伏せて、恥ずかしそうに笑った。
その仕草は完璧に“つくった笑顔”だった。
そして小さな声で続けた
「それと……さっきのこと、みんなには言わないで。」
……ああ、そういうことか。
それを理解した瞬間、口の端が自然と上がった。
さっきの“素の笑顔”を見たあとだから、余計にわかる。
この笑顔は演技だ。
彼女は、自分の弱さを隠すために微笑む。
それが彼女の“防御”なんだ。
でも___
演技だとわかっていても、やっぱり惹かれてしまう。
だって、あの瞬間だけは本物だった。
涙の跡を残したまま、俺に向かって笑ったあの顔が、頭から離れない。
「……そうか、なるほどな。」
思わず、口元に笑いがこぼれた。
彼女が首を傾げた瞬間、俺は少し身をかがめて、耳元に囁いた。
「___私にはその演技、もうバレてるぞ。」
びくっと肩が揺れ、彼女が驚いたように俺を見上げる。
その頬がわずかに赤くなっていくのを見て、
胸の奥に、温かい何かが灯った。
……やっぱり、放っておけない。
そう思った瞬間、自分でも笑えてきた。
彼女が教室を出ていく背中を見送りながら、
俺は、こっそりと心の中で呟く。
……あなたの下の名前は、演技の時の笑顔と、本当の笑顔。
全然ちがうんだよな。
___嘘が上手いくせに、バカみたいにまっすぐな
ところもあって
一度“ほんとの顔”を見たせいで、
もう、どの笑顔がどっちなのか、分かってしまう…
……ほんと、ずるいやつだ。
窓の外の光が差し込み、机の上に淡い影を落とした
その眩しさの中で、俺の中の何かが静かに変わって
いくのを、確かに感じていた___
スクロールお疲れ様でした!
読んで下さりありがとうございました!!
やっぱり口調むずかしいです……












編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。