朝食は毎朝、お店で食べる。
池亀家では、それが習慣になっている。
少なくとも樹音が小学校に入った頃にはもう、そういうスタイルが定着していた。
ただし当時、当たり前だが作るのは母親の役目だった。
母親がハムエッグを焼いたり、味噌汁を作ったりしていた。
父親は、母親と二人分のコーヒーを淹れるだけ。
樹音と弟の凌輝は、牛乳とか、野菜ジュースとか、何もなければ水を飲んだ。
樹音の両親には、ちょっと変わったところがある。
父親は「静男」、母親は「緑梨」という名前だが、二人は今も、互いを名前で呼びあっている。
しかも「さん」付けで。
五十を過ぎてなお恋人気分なのかどうかは知らないが、見た目は完全に「初老」の域にある夫婦が、互いを遠慮がちに「さん」付けで呼び合うって、けっこう__気持ち悪いとまでは言わないが、変わってるな、とは思う。
しかも最近、朝食作りは樹音の担当になりつつある。
そうなると、二人の雰囲気も「初老の夫婦」から、本格的な「老夫婦」に様変わりしていく。
樹音が作る朝食を待っている姿なんて、もう「老後」そのものだ。
今朝は二人からリクエストされてしまったので、樹音は仕方なくフレンチトーストを焼いている。
緑梨はカウンター席にゆったりと座り、静男が淹れてくれたコーヒーを飲んでいる。
静男は樹音の都成で、自分の分のコーヒーを淹れている。
お気に入りの銅製ケトルを高く構え、中挽きのコーヒー豆に、細く細く、螺旋状にお湯を含ませていく。
うんと小さな頃は、この二人の会話を妙に思うこともなかった。
これが普通、ごくごく当たり前だと思っていた。
一方、静男が「お父さん」で、緑梨が「お母さん」だということは、ちゃんと分かっていた。
そこを勘違いしたり、疑問に思うことはなかった。
ただ友達に、初めてそのことを指摘されたときは、けっこう恥ずかしかった。
たぶん、店にきたその子の親が二人の会話を耳にし、悪気わなかったのだろうが、家に帰ってその話をしたのだろう。
池亀さんのご夫婦って、互いを名前で呼ぶのね、それも「さん」付けで、洒落てるわね__「洒落てる」までは言わなかったかもしれないが、でも、そういうことだったのだと思う。
緑梨が満面の笑みで、フレンチトーストの載った皿を受け取る。
緑梨はこれに、パンが浸るくらいまでメイプルシロップをかけて食べるのが好きだ。
置くの厨房にある、業務用コンロなら火力も強いので四人分いっぺんに焼けるのだが、カウンターにある小さなコンロではそうもいかない。
上手く綺麗に焼けるのは二人分がせいぜいだ。
樹音と凌輝の分は今から焼く。
緑梨が、、斜め上の方を見上げる。
樹音の分までお湯を落として、静男はカウンターから出ていく。
自身で「究極の静男」と名付けたブレンド、ドリップ方法で淹れたコーヒーをもって、緑梨の隣に座る。
その、自身で考案したブレンドに「○○の静男」と付けるセンスも、樹音はいかがなものかと思っている。
当の本人に、直接そう意見したことはないが。
静男は、フレンチトーストには何も付けない。
そのまま食べる。
それがコーヒーと一番合うからだというが、それも樹音にはよく分からない。
むしろ、一緒に食べるものは少し甘いくらいの方が、コーヒーを美味しく味わえると、樹音は思っている。
そんな頃になって、ようやく喧しい足音が聞こえてきた。
コツコツ、と靴を履く音がして、ホールの奥にあるドアが乱暴に押し開けられる。
凌輝だ。
肩にバックを掛けている。
かなりいそ急いでいるようだが、静男と緑梨が「おはよう」と声を掛ければ、低くではあるが、一応「おはよう」と、返してくる。
樹音は軽くフライパンを浮かせてみせた。
しかし、
そんなものには見向きもせず、凌輝は出ていった。
ドアに仕掛けてあるウインドチャイムが暴れ、ガシャガシャと騒ぎ立てる。
静かに開け閉めすれば、星が降るような澄んだ音を響かせてくれるのに。
緑梨が溜め息をつく。
そういう問題でないことは、ここにいる誰もが分かっているはずだ。
樹音がひと息つくと、それもなんとなく、溜め息のようになってしまう。
この、凌輝の分のフレンチトーストはどうしたらいいのだろう。
緑梨も樹音の手元を見ている。
それは、なかったと思う。
そんなに自分は、反骨精神に溢れた高校生ではなかったはずだ。
















編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。