席替えとは、今後の明暗を決定的に分ける運命の大事件、と言っても過言ではないと思う。
どの席になるか──窓から何列目の前から何番目か、だけでなく、前後左右に座るのは誰か、
気になる人の姿が視界に入れられる位置か、苦手な子と接触しないで済むか。
それら全ての要素が絡み合って、これから先約二ヶ月の学校生活が決定づけられる。
新しい席になった瞬間に、世界が変わる。教室が別世界になる。
しかもその行方を自分の力で左右することはできず、全ては運によって決まる。
言うなれば、席替えは誰かが勝手に起こした革命のようなもので、私たちは無力な一市民だ。
唐突な変革のあと、世界は劇的に良くなるかもしれないし、劇的に悪くなるかもしれない。
それでも私たちは、強制的に与えられた新たな現実を、ただ受け入れることしかできない。
近くに仲のいい友達が座れば天国だし、親しく話せる子が周りにひとりもいなければ地獄だし、
仲良しのふりをしているけれど本当は大嫌いな人が隣になったりしたら、もっと地獄。
好きな人と少しでも近づけたら天国だし、離れて顔も見えない位置になったら地獄だし、
彼の近くに自分よりもずっとずっと可愛い子がいたら、もっと地獄。
でも、そこが天国だろうが地獄だろうが、私たちは決められた場所に座るしかないのだ。
そして本日、二学期最初の席替えを迎えた私は今、まさに地獄に落とされたところだ。
小さく折り畳まれたくじ紙を開いて番号を確認し、廊下側のいちばん後ろの席を引き当てたと分かったときには、
念願叶かなって天にも昇るような気分だったのに、新しい席に移動して周囲をチェックした瞬間、
世界は一気に暗転した。
ちなみに好きな人は特にいないので、片想いの相手から遠い席になったから、
などといった可愛らしい理由ではない。
むしろ、真逆だ。
新しい座席で悲喜こもごもの声を上げるクラスメイトたちの騒がしさをいいことに、
私は隣席をちらりと見て大きな溜ため息を吐き出した。
ぴんと背筋を伸ばしきって、書道の教科書の最初のページにでも載っていそうな真っ直ぐな姿勢で座っている
男子。
姿勢だけでなく、その横顔もまるで彫刻作品のように端整なつくりをしている。
汐田 翔。私がこのクラスでいちばん隣に座りたくなかった人物だ。
絶望を顔に出さないように必死に耐えていると、ふいに「おっ」と声が聞こえてきて、
荷物を抱えた男子が私の前の席に座った。
にっと笑って言ったのは、彼とよく一緒にいるグループのひとり、山崎くんだった。
汐田翔は穏やかな笑みを浮かべて答える。そのままふたりは何か話し始めた。
周囲に座る生徒たちもそれぞれに、新しく近くの席になった人と喋っている。
でも、よく見ていると明らかに、お喋りに興じるふりをしながらも彼のほうへちらちらと視線を送っては、
堪らえきれないように口許を微かに緩めているのが分かった。
顔には出さないけれど、完全に色めき立っている。
それもそうだろう。なんせあの汐田翔が半径二メートル以内にいるのだから、興奮を抑えきれないのだ。
同じ高校、同じ学年、同じクラス。でも、彼の存在感は群を抜いていて、とにかく格別だった。
座っているだけでも、なぜか妙に目を惹く。立ち上がりでもしたら、自然とクラス全員の目が
吸い寄せられてしまう。
彼の一挙手一投足を、みんなが気にしている。
陳腐な言い方だけれど、オーラというやつなのだろう。
私の思考を遮ったのは、春の空気のように甘く柔らかく、それでいて真夏の陽射しのようにくっきりと鮮やかな
声だった。
反射的に目を向けると、汐田翔がこちらを見ていた。作りものみたいに綺麗な顔に、
内側から光が溢あふれ出すようなきらきら輝く笑みを浮かべて。
まさか話しかけられるとは予想していなかったので、驚きと動揺が私の喉のどを軽く締めた。何とか声を絞り出して、
と間抜けな返事をする。
彼と言葉を交わすのは、五月以来だった。
私たちは出席番号──うちの高校の名簿は男女混合で作られている──が十三番と二十一番。
新年度の座席表は番号順だったので、隣の席に座っていたのだ。それで必然的に何度か話をしたことがあった。
と言っても、ほんの二、三回、「次の移動教室どこだっけ」とか、「英単語テストの範囲、分かる?」などと
彼に訊きかれて答えたくらいで、会話とも言えないようなものだった。
たったそれだけのことなのに、誰もが認める《主人公》の彼が、平凡で地味な《脇役》の私と交わした
取るに足らないやりとりを、よく覚えていたものだ。即座に記憶から抹消されたっておかしくないのに。
『顔だけでなく性格も完璧』という彼の評判は、こういうさりげない言動によって得られたものなのだろう。
私の湿っぽい考えなどつゆ知らず、汐田翔は初夏の風のように爽さわやかな笑顔と口調で言った。
私が思わず訊き返すと、
なんとか平静を装って、当たり障りのない返答をしてみたものの、落ち着かない。
強ばった作り笑いを浮かべた私は今、さぞ見苦しい顔をしているのだろう。
そんな考えが頭をよぎるともう、これまでの人生で見てきた中でいちばん綺麗なその顔を直視することなどできる
わけがなくて、私は急ごしらえの笑顔を貼りつけたまま、すっと顔を背けた。
お願いだから、もう話しかけないで。そう心の中で懇願しながら荷物の整理をしていると、
ふいに担任が「そろそろ体育館に移動するぞ」と声を上げた。
これから全校集会が行われることになっているのだ。
私はほっと息をついて席を立ち、足早に出口へと向かった。
ドアを開けた瞬間、冷房のきいた室内とは全く違う、湿っぽい熱を孕んだ廊下の空気がむっと押し寄せる。
思わず眉をひそめたとき、後ろから
と呼ばれた。クラスでいちばん仲のいい柊鳴ヒナの声だった。
私が立ち止まって振り向くと、何だか慌てふためいた様子で駆け寄ってくる。
彼女は興奮を隠さないテンションで私の両肩をがっしりとつかんだ。
私は思わず小さく噴き出してしまう。
たぶんクラスのほぼ全員が──女子だけではなく恐らく男子も、汐田翔の隣の席をゲットした私を、
心の中では羨ましく思っているだろうけれど、さすがに誰も顔や口には出さなかった。
でも、ヒナは違う。変に格好をつけたりせず、面と向かってその思いを口にする彼女は、本当に素直で正直で、
憎めない性格だなと思う。
ただ、誰もが羨むあの席は、私にとっては精神衛生上非常によろしくない場所なのだけれど。
ヒナは私の腕にしがみつきながら早口に捲し立てる。
私は堪えきれない笑みを口許に滲ませつつ、彼女と一緒に人波に乗って歩き出した。




















編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。