第2話

並んで走る距離
7
2026/05/29 07:00 更新
次の日の放課後。
私は昨日と同じ時間、同じ坂の下にいた。
別に待ち合わせしたわけじゃない。
ただ偶然通っただけ。
……いや、嘘だ。
少しだけ期待していた。
もしかしたら今日も会えるかもしれないって。
自転車のハンドルを握りながら、私はコンビニで買ったスポーツドリンクを口に含む。
ぬるい。
空は昨日より青くて、入道雲が大きかった。
夏休み前の学校はどこか浮ついていて、教室中が騒がしかった。
みんな花火大会だの海だの恋バナだので盛り上がっていたけど、私はその輪に入れなかった。
「結衣って好きな人とかいないの?」
昼休みにそう聞かれて、曖昧に笑ってごまかした。
恋愛。
そういうの、私には遠いと思ってた。
だって私は特別可愛いわけでもないし、キラキラしてるわけでもない。
教室の隅で笑ってるくらいがちょうどいい。
……そう思ってたのに。
「また来てる」
突然声がして、心臓が跳ねた。
振り返ると、昨日の男子――神崎蒼真がいた。
今日は白いタオルを首にかけている。
「え、いや、別に」
「待ってた?」
「待ってない!」
即答すると、神崎は少し笑った。
その笑い方が自然すぎて、なんか悔しい。
「昨日途中で降りた人だ」
「うるさいな……」
「今日は行けそう?」
私は坂を見る。
長い。
急。
見るだけで疲れる。
でも昨日みたいに途中でやめたくなかった。
「……行く」
「お、いいじゃん」
神崎は自転車を並べた。
「じゃあ勝負する?」
「は?」
「先に降りた方負け」
「絶対負けるじゃん!」
「じゃあハンデ。俺、片手運転」
「危ないからやめて!」
神崎は声を出して笑った。
昨日は少し怖そうに見えたのに、今日は全然違う。
ちゃんと笑う人なんだと思った。
「よし、行くぞ」
同時にペダルを踏み込む。
ギィ、とチェーンが鳴る。
坂道はやっぱりきつかった。
数メートル進んだだけで息が上がる。
「っ、はぁ……!」
「まだ序盤」
「無理……!」
「前見ろ前」
神崎は軽い。
同じ坂を登ってるはずなのに、苦しそうに見えなかった。
風が吹いて、制服のスカートが揺れる。
蝉の声。
遠くの踏切。
タイヤがアスファルトを擦る音。
全部混ざって、夏の匂いがした。
「結衣」
突然名前を呼ばれて驚く。
「え、なんで名前」
「クラス名簿」
「怖っ」
「同じ学校なんだから知ってる」
「私は知らなかった」
「二年三組だろ」
「……なんで知ってるの」
「有名」
「え?」
「いつも窓際で本読んでる」
私は思わず顔を上げた。
見られてた。
そんなこと考えたこともなかった。
神崎は前を向いたまま言う。
「なんか、近寄りがたいんだよな」
「えぇ……」
「静かで大人しそうで」
「それ悪口?」
「いや。綺麗って意味」
その瞬間、頭が真っ白になった。
「……は!?」
思わずハンドルがぶれる。
「危な」
「ちょ、急に変なこと言わないで!」
「変じゃないけど」
「神崎の感覚どうなってんの!?」
恥ずかしくて顔が熱い。
心臓がうるさい。
坂のせいじゃない。
絶対違う。
「ほら、止まるぞ」
「え?」
気づけばもう坂の頂上近くだった。
あと少し。
足が重い。
肺が苦しい。
でも――。
「……っ、ぅぅ!」
私は必死にペダルを踏み込んだ。
そして。
坂を、登り切った。
「……え」
止まった瞬間、自分でも信じられなかった。
登れた。
最後まで、自転車を降りずに。
「やったじゃん」
神崎が笑う。
夕陽が彼の横顔を照らしていた。
その時だった。
胸の奥が、少しだけ高鳴ったのは。

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