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「しのぶ、しのぶ!こっちですよーぅ♪」
柔らかな春風が吹くたびに、草花の匂いが鼻孔を擽る。目の前には一面の花畑。足元に広がるのはシロツメクサ。獣道の様になっている場所を通れば、開けた芝生と、桜の木が見える。桜の木の下で敷かれているビニールシートの上には、〈血ノ垂〉――ちぃちゃんが座っていた。
ばんばんと隣を叩いて、早く来いと言わんばかりにはしゃいでいる彼女。彼女が陽だまりの下に居る、と言う事実は信じがたいが、とても嬉しい……
嬉しい?
……彼女は前々から”こう”だったはずじゃないか。何の違和感を覚えているのだ、自分は。
立ち尽くす自分の首筋に、ぺたりと冷たい何かが押しあてられた。
大きな声を出しては飛び退く様に距離を取り、後ろを振り返る。
そこに居たのは、ペットボトルを手に持った〈志貴珠弦〉君だった。自分がそんなに大きな声を出したのが可笑しいのか、きょとんと見開かれた顔がじわじわと破顔しては、ほころぶ様に笑いだす。気恥ずかしさを覚えて後ろを見れば、ちぃちゃんもにこやかに笑っていた。
ルカさんに大家さん――いろんな人が、後ろから続々と現れる。手にはお酒や、大きなバスケット。そのままみんなで大きいブルーシートに座り込んでは、会話を交わしながらお弁当を摘まんでいく。
「はい、どうぞ!」
「……え?」
みつる君に差し出されたのは、金色で泡が立っているお酒。どういうことだろう。自分はまだ二十歳じゃないはずなのに。みつる君は法を破る様なこと絶対にしない、はずだ。その疑問を伝えれば、彼は心底おかしそうに、「しのぶ君は成人しているじゃないか」と言う。
そうだっただろうか。いや、そんな気がしてきた。きっとそうだ。
粟立ったビールに口を付ければ、白いひげの様な物が付いている事を笑われる。ビールは甘くない炭酸水のような味がした。そこまで美味しくない。大人の味、と言うやつだろうか。
温かい春の日差しに目を細めていれば、ちぃちゃんが駆け寄っては何かを差し出す。
シロツメクサの冠だ。崩れているが、しっかり被れる大きさの物。
キラキラとした彼女の瞳に急かされるようにして、頭を下げればそっと頭に冠が載せられる。きゃいきゃいと楽しそうに笑う彼女を見て、思わず頬が緩んでしまった。
約束してよかった。次の春、一緒にピクニックすると約束――
次の春?
自分の誕生日は六月のはずだ。なのに何故自分は成人しているんだ?
世界がズレる。皆の笑う顔が遠ざかる。瞼の裏に映る景色の隙間から、仄暗い光が差し込んできた。
薄く目を開けば、暗い部屋の中で、沢山の誰かに囲まれていることが分かった。
「化身様、お目覚めでしょうか。貴方様が戻ってきてくださって本当に良かった」
「嗚呼、穢れてしまって御労しい。直ぐに浄化して、早く儀式を済まさなければ」
手を動かそうとしても、筋肉が命令を聞いてくれない。
弛緩した身体に力を籠めようとしても、体の動かし方を忘れたかのように力が抜ける。
薄くしか開けない唇の間から、喃語の様な声を漏らせば、すぐさま誰かが駆け寄っては身体を押さえつけられた。
細い針の様な物が皮膚を突く。そこからゆっくりと何かが広がっていく感覚がする。じんわりとした温かさが、腕を伝っては身体中に染み渡っていった。
段々と思考が解けては、真面な考えや、本能が鳴らしている警鐘さえも遠ざかっていく。
視線を動かすのさえ億劫で、薄暗い部屋の薄明かりでさえも目に痛い。息をするのも面倒くさいし、いったい何なんだ、これは。
ああ、そうか。これは夢なんだ。
まばたきをすれば、明るいあの世界がまぶたのうらに広がっていく。
ちぃちゃんも、みつるくんも、ルカさんも、大家さんも、みんなみんな笑ってる。
なんだ。おれは悪いゆめを見たんだ。
こんなわるいゆめ、早くめざめないと。
目をつむればくらくてこわいせかいはきえて、
やさしいはるの光がおれをつつみこんでくれる。
きゅうにねむってしまってびっくりされたかな、おれねぶそくなのかな。
きょうオムニアにかえったら、いっぱいねよう。
そうこころにきめて、おれはみんなのもとへかけよっていった。
温かい春の日差しが、友人達の笑い声が、愛しい人の笑顔が、幸せだったはずの未来が。
この暖かい景色が全て偽りで、まやかしだと気付けば、きっとおれは壊れてしまう。
恐怖に満ち溢れた世界を、現実だと信じたくはないんだ。
だからどうか、どうか。
おれが終わるその時までは、この温かい夢に浸らせていて欲しい。
▿ MERRYBADEND - その後は枯れるだけ












編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。