第19話

▽ END
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2026/07/18 12:00 更新

















「しのぶ、しのぶ!こっちですよーぅ♪」


 柔らかな春風が吹くたびに、草花の匂いが鼻孔を擽る。目の前には一面の花畑。足元に広がるのはシロツメクサ。獣道の様になっている場所を通れば、開けた芝生と、桜の木が見える。桜の木の下で敷かれているビニールシートの上には、〈血ノ垂〉――ちぃちゃんが座っていた。
 ばんばんと隣を叩いて、早く来いと言わんばかりにはしゃいでいる彼女。彼女が陽だまりの下に居る、と言う事実は信じがたいが、とても嬉しい……

 嬉しい?
 ……彼女は前々から”こう”だったはずじゃないか。何の違和感を覚えているのだ、自分は。

 立ち尽くす自分の首筋に、ぺたりと冷たい何かが押しあてられた。
 大きな声を出しては飛び退く様に距離を取り、後ろを振り返る。
 そこに居たのは、ペットボトルを手に持った〈志貴珠弦〉君だった。自分がそんなに大きな声を出したのが可笑しいのか、きょとんと見開かれた顔がじわじわと破顔しては、ほころぶ様に笑いだす。気恥ずかしさを覚えて後ろを見れば、ちぃちゃんもにこやかに笑っていた。

 ルカさんに大家さん――いろんな人が、後ろから続々と現れる。手にはお酒や、大きなバスケット。そのままみんなで大きいブルーシートに座り込んでは、会話を交わしながらお弁当を摘まんでいく。

 
「はい、どうぞ!」

「……え?」


 みつる君に差し出されたのは、金色で泡が立っているお酒。どういうことだろう。自分はまだ二十歳じゃないはずなのに。みつる君は法を破る様なこと絶対にしない、はずだ。その疑問を伝えれば、彼は心底おかしそうに、「しのぶ君は成人しているじゃないか」と言う。

 そうだっただろうか。いや、そんな気がしてきた。きっとそうだ。

 粟立ったビールに口を付ければ、白いひげの様な物が付いている事を笑われる。ビールは甘くない炭酸水のような味がした。そこまで美味しくない。大人の味、と言うやつだろうか。

 温かい春の日差しに目を細めていれば、ちぃちゃんが駆け寄っては何かを差し出す。
 シロツメクサの冠だ。崩れているが、しっかり被れる大きさの物。

 キラキラとした彼女の瞳に急かされるようにして、頭を下げればそっと頭に冠が載せられる。きゃいきゃいと楽しそうに笑う彼女を見て、思わず頬が緩んでしまった。
 約束してよかった。次の春、一緒にピクニックすると約束――


 次の春?

 
 自分の誕生日は六月のはずだ。なのに何故自分は成人しているんだ?










 世界がズレる。皆の笑う顔が遠ざかる。瞼の裏に映る景色の隙間から、仄暗い光が差し込んできた。









 薄く目を開けば、暗い部屋の中で、沢山の誰かに囲まれていることが分かった。


「化身様、お目覚めでしょうか。貴方様が戻ってきてくださって本当に良かった」

「嗚呼、穢れてしまって御労しい。直ぐに浄化して、早く儀式を済まさなければ」


 手を動かそうとしても、筋肉が命令を聞いてくれない。
 弛緩した身体に力を籠めようとしても、体の動かし方を忘れたかのように力が抜ける。

 薄くしか開けない唇の間から、喃語の様な声を漏らせば、すぐさま誰かが駆け寄っては身体を押さえつけられた。

 細い針の様な物が皮膚を突く。そこからゆっくりと何かが広がっていく感覚がする。じんわりとした温かさが、腕を伝っては身体中に染み渡っていった。
 
 段々と思考が解けては、真面な考えや、本能が鳴らしている警鐘さえも遠ざかっていく。

 視線を動かすのさえ億劫で、薄暗い部屋の薄明かりでさえも目に痛い。息をするのも面倒くさいし、いったい何なんだ、これは。























 ああ、そうか。これは夢なんだ。

 まばたきをすれば、明るいあの世界がまぶたのうらに広がっていく。

 ちぃちゃんも、みつるくんも、ルカさんも、大家さんも、みんなみんな笑ってる。







 なんだ。おれは悪いゆめを見たんだ。







 こんなわるいゆめ、早くめざめないと。




 目をつむればくらくてこわいせかいはきえて、
 やさしいはるの光がおれをつつみこんでくれる。


 きゅうにねむってしまってびっくりされたかな、おれねぶそくなのかな。


 きょうオムニアにかえったら、いっぱいねよう。



 そうこころにきめて、おれはみんなのもとへかけよっていった。

























 温かい春の日差しが、友人達の笑い声が、愛しい人の笑顔が、幸せだったはずの未来が。
 この暖かい景色が全て偽りで、まやかしだと気付けば、きっとおれは壊れてしまう。


 恐怖に満ち溢れた世界を、現実だと信じたくはないんだ。



 だからどうか、どうか。







 おれが終わるその時までは、この温かい夢に浸らせていて欲しい。



























▿ MERRYBADEND - その後は枯れるだけ




















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