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そろそろ定時で退勤、という時に取引先からの急な要求への対応をせざるを得なくなった企画部はてんやわんやの大騒ぎで、一通り作業が終わったのは21時過ぎだった。
少しずつ秋めいてきて、前から歩いてくるカップルたちは固く腕を組み、すれ違う自分なんて見えないくらいにはお互いしか見えていないようだ。
街の中心からバスで30分ほど、少し静かな住宅街にヘチャンの住むアパートはあった。大学の時からずっとここに住んでいるのでもう5-6年になるだろうか。家賃も社会人三年目にしては手頃で、住み慣れたこのアパートを離れる気はなかなかない。
広い訳では消してないが、一人で住むくらいには十分だ。帰りにコンビニに寄って買った少しのおかずをツマミにヘチャンは缶ビールを開けた。
「クリスマス…ね〜…」
既に5杯目の缶を開けながらヘチャンはそう呟いた。今日の仕事はなかなかにハードだったのだろう、それに比例するように冷蔵庫に入れている缶がひとつ、またひとつと無くなっていく。
「イルミネーションとかそういうの、好きだったよなアイツ…」
ヘチャンのスマホの写真アルバムは後で部署に報告するための領収書の写真などばかりで振り返るような写真など特にない。たったひとつのアルバムを除いては。
そのアルバムは色という色で埋め尽くされている。ひまわり畑、遊園地、夜景の見える公園、そして、イルミネーション。全ての写真に愛らしくレンズを見つめる一人の被写体が映っている。ヘチャンは酔いが回るとこのアルバムを開いて1時間ほど眺めた後、そのまま寝落ちするのがルーティーンになっている。
そしてなんとか理性で設定したアラームに起こされてスマホを開くと、目に入る写真の中の一人の男性の姿に僅かな絶望とチクリとした胸の痛みを感じるのだ。早く前に進んだ方がいいと分かっていても、その胸の痛みが心地よいのだ。痛むけれど、頭によぎる思い出たちはあまりにも幸せで溢れているから、それを置いて前に進みたくはない。
改めて考えるとあまりにも頑固な考えだと感じるが、そうではなかった。ヘチャンは考えられないのだ、彼以外。ヘチャンには彼が自分にとっての唯一で、最初で、最後だという確信があるのだ。
超がつくほどの現実主義のヘチャンにこんなに都合のいいロマンティックな考えが浮かぶというのも彼の影響だろう。
二日酔いの気持ち悪さと少しの胸の痛みを抱えたままシャワーを浴びたヘチャンはスーツに着替える。社会人三年目ともなると着る手付きに迷いはない。あの頃の未熟で幼かった自分は段々と居なくなっているのだろうか。
「今日からは新しい取引先との会議があるから、えーっと、ヘチャンとチソン!準備しといて 」
上司のジャニはそうテキパキと指示を出す。今回の取引先は化粧品メーカーだ。今はまだそこまで大きくはない会社だが、これからの時代のニーズにあった商品だとジャニは注目している。もし取引成立にこぎつけることが出来ればあとはこちらの力次第だ。ジャニにはそんな先を見据えた考えがあった。ヘチャンも割とジャニの考え方に近いタイプで、だからこそ尊敬していて憧れている面もある。
「あ…緊張してきた…まだ入社一年目なのに…」
「"一年目だから"だろって。一年目にここまでやらせてくれる会社なかなかないぞ」
隣のデスクで弱々しく呟いてややパニックになっている後輩のチソンにヘチャンは声をかける。割と野心家なヘチャンに対してチソンは安心・安全を求めるタイプだ。
今回の案件はジャニのアシストのもと、ヘチャンとチソンが担当している。会議などにはジャニも同席してくれるだろうが、主体は自分たちだ。ヘチャンは絶対に成功させる、という強い気持ちのもと準備を重ねていた。
「ヘチャン、チソン、じゃあ行くぞ」
「「はい」」
ヘチャンの会社の会議室の一角に取引先の担当が来ているということで3人は最終確認を終えて部署を後にした。
「えっと、担当のキム・ドヨンさんとイ・ジェノさんって割と若めなんですね?同世代だったらやっぱり話しやすいですよね」
「ああ、あっちはまだ新しい会社だから。社員も今は増え始めているけど基本的に若い人が多いって」
そんな話をしながら気づけば会議室の目の前にいた。
「じゃあ2人とも。一応今日は俺も同席するけど、あくまでも担当は2人。これ忘れるなよ」
「はい/うっ…」
隣のチソンは“プレッシャー”という文字を顔に浮かべているようだった。ジャニが部屋にノックをして入ると、2人はそれに続いた。
これから始まる仕事への緊張感と期待が高まるままに足を進ませたヘチャンは会議室の中に目を向けた瞬間、あまりの衝撃に頭が真っ白になってしまった。
言葉が一言も出てこない。
ヘチャンのアルバムの中で楽しそうにこちらを見つめていた目が、今、目の前で、目をまん丸に見開いてこちらを見つめているのだ。
安いメロドラマみたいな展開だ、もしこれが本当にドラマだったら今頃この空間がスローモーションになってキラキラした音楽で飾られていることだろう。やっと何かまともなことを考えられるようになったと思えば、次は鼓動が心臓を打ちつけるようにバクバクとしている。今までずっと会いたいと思い続けていた人が急に目の前に現れたのだ。
また会えると信じてはいたが、ヘチャンが想像していたのは電車の中で見かけるとか、街ですれ違うとかそういうもので、まさか取引相手として再び出会うなんて思ってもいない。
「この度はわざわざ弊社まで足を運んでいただいてありがとうございます」
その声と共に名刺の交換を始めているジャニが横目に入った。隣のチソンも慌てて自分の名刺を取り出している。ジャニとやり取りしている人がドヨンだろうか。スラッとした男性で笑顔がとても柔らかく、「こちらこそこの度はお話をいただいてありがとうございます」と名刺を受け取っていた。
「実はこちらの都合で担当が変わったんです。私はそのままなんですが後輩の方がイ・ジェノから変更になりまして…」
「ファン・ロンジュンです。よろしくお願いします」
ロンジュン。忘れるわけが無い。毎日のように呼んでいた名前だし、今だって毎日考えている。こんなに息が詰まっているのはヘチャンだけなのだろうか、ロンジュンはもう驚く様子もなく淡々と話している。(そんなやつだったな)とヘチャンはふと思った。ロンジュンは気にしいでいつも色々なことを考えては感情が上がったり下がったりするのに、さっぱりしているところは物凄くさっぱりしているのだ。もう自分はロンジュンの感情を左右させるような人間ではないのだろうか。そう思うとどこか悔しい気持ちもある。挨拶がてらジャニと握手をしていたロンジュンはヘチャンの方へ向き手を差し出した。ヘチャンはもう既に喉がカラカラだった。
「よろしくお願いします」
ロンジュンは微笑みながら手を差し出す。
差し出された白い手をヘチャンは取る。自分の手より一回りは小さいであろう手だ。久しぶりに触れるその指が、関節の形が、ヘチャンの手の形に上手く合わさる。
少し冷たいその手はあの頃と変わらないままだが、髪が今はもう栗色になっている。
そんなことを考えていたヘチャンは長くロンジュンの手を取りすぎたのだろうか、ロンジュンが苦笑いしながら軽く振りほどく。ヘチャンは名残惜しそうな自分の指をそっとさすり、何事も無かったかのように手を引っこめる。
そこから会議は着々と進んだ。やはりこの企業にかける意味がある、とヘチャンは感じた。化粧品のトレンドは目まぐるしく変わるのだ。
その中でどの商品をうちで取り扱うかということを考えた時に、「ここがいい」とヘチャンは思っていたし、会議の流れを見る限りジャニもチソンも同じ考えのようだった。
とりあえずこれから一緒に進めていくという結論に達し今日の会議兼顔合わせは終わった。会議が終了したあと、帰る準備をするロンジュンに話しかけようとヘチャンが立ち上がった瞬間だった。
「ヘチャン"さん"ありがとうございました。同い歳だと聞きました、これからよろしくお願いします」
そう微笑むロンジュンに口を開く間もなくヘチャンは一線引かれたことを悟った。ああ、無かったことにしたいのか。
「はい、お願いします」
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ロンジュンと別れたのはもっと寒い季節だった。
同じ芸術大学に通っていた二人は声楽科と油絵学科と異なる学科だったためあまり接点はなかった。ある日、大学に飾られていた絵があまりにも印象的で綺麗で思わず足を止めて魅入っていたヘチャンに声をかけてきたのがロンジュンだった。
「それ僕の尊敬する先輩の絵なんだよ」
声をかけてきた方を向くと、めちゃくちゃに絵の具の汚れがついたエプロンを付けて目をキラキラさせるピンク髪の少年が立っていた。
あまりにも熱心にその先輩とやらのことを初対面の自分に話しているロンジュンにヘチャンは面倒くささを感じたものの、ヘチャンは10分くらい話に付き合ってあげたのだった。それから度々大学で会うと挨拶をする仲になり、気づいたら大学生活を共にする仲間になっていた。
空き教室でヘチャンの歌声を聴きながらロンジュンが絵を描く。二人とも作業に没頭してしまい、いつも気づけば辺りは暗くなっていた。そして帰りに大学近くのヘチャンの家に立ち寄ってご飯を食べて帰ったりなんてことが日常だった。ヘチャンは自分にない想像力だったり芸術性を持つロンジュンに惹かれていたし、ロンジュンも同じだった。まるでパズルのピースがハマるかのようにお互いがお互いを意識するのにそう時間はかからなかった。
そんな二人が付き合い始めて2年ほど経ち、大学三年生の頃、ヘチャンはロンジュンの変化に違和感を感じ始めていた。
二人の関係は順調だったし、友達でありパートナーであり恋人であるロンジュンとの毎日はヘチャンにとっては充実したものだった。ただ、しきりにロンジュンが不安そうな顔をしているのだ。「本当にこのまま自分たちは一緒にいられるのか」「ヘチャンには自分でいいのか」「自分ばかりが好きで、それに付き合わせているだけなのではないか」、こんなことばかり口にするのだ。
全くもってそんなことは無いのだが、ヘチャンはロンジュンの口から出るネガティブな言葉にうんざりすることも多く、現実主義のヘチャンには「なんで今ある自分たちの関係を見てくれないんだ」というイラつきやもどかしさもあった。
今思えば、もっと寄り添ってあげていたらなにか違っていたのかもしれないと思う。やはり幼かったのだ。そんなことが続いたある日、いつものように二人で大学を後にし、ヘチャンの提案で近くのイルミネーションを見に行くことになった。その日のロンジュンはいつにも増して綺麗で、二人で夜道を歩きながらヘチャンは何度もスマホにその姿を収めていた。それは、白銀の雪のように輝くイルミネーションのトンネルの中、前を歩くロンジュンの後ろ姿を撮っていた時だった。
「ロンジュナ!ちょっとだけ振り返って!」
すると、少しの沈黙が流れ、ロンジュンがこちらを向く。
「ヘチャナ、別れよっか」
カシャッ___
そう言って、優しく、でも寂しそうに笑うロンジュンの写真は未だにヘチャンのアルバムの中にある。
ヘチャンは、今言われたことが聞き間違いなはずだと、スマホを降ろしてロンジュンが何と続けるのかを待つようにその場に突っ立っていた。ロンジュンはまだ寂しそうな顔をしたまま、こちらの方に歩き出して「喉、気をつけなきゃダメだよ。あとマフラーはもう新しいの買って。」とヘチャンの巻いていたマフラーを整えた。
「待って、それはないじゃんロンジュナ。話し合わなきゃ、凄く一方的すぎるよ」
「だって話し合っても意味無い」
ロンジュンは涙を堪えるかのように俯き、それと同時にヘチャンのマフラーにかけていた手を静かに戻す。
「なんで意味無いって分かるんだよ。今までだって喧嘩する度に話し合ってきたじゃん俺たち」
「でも今は別に喧嘩してないじゃん」
「マジで意味分からない、理由を言ってよ」
「疲れたんだよ、ヘチャナと一緒にいるのに。疲れるの、もうムリなの」
「だから直すってば。どこがダメなのか言いなよ。なんで一方的に決めるんだって、面倒くさいな」
思わず声を荒らげてしまってからヘチャンはハッとした。道行く人が何があったのかとこちらを見ている。最悪だ。こうなるとどう機嫌を取ればいいのか分からない、正直イライラする。
「はぁ……、分かったから。じゃあ一旦帰ろう、送る」
「要らない、そういうのもうしなくていいよ。……ご飯とか抜いちゃダメだよ」
「それあれ?最近ずっと言ってることと関係ある?何が不安なの?」
吐き捨てるように言ってからすぐにヘチャンは後悔した。
ロンジュンは「ほらね」とでも言うように俯いて少しだけヘチャンの肩をさすった。そしてこのまま自分の前から消えようと歩き出した後ろ姿に声が掛けられなかった。ただ、ロンジュンが見えなくなるまで呆然と立ち尽くし、ヘチャンはその場にしゃがみ込んだ。道行く人がヒソヒソと囁き合う声が嫌というほど頭を打ちつける。
それからというものの、同じ大学に通っているのにロンジュンの姿を見ることは全く無かった。最初はなんとかして連絡を取ろうとヘチャンも奔走したのだが、ここまで避けられるとなんだか腹さえ立ってきて、二人はお互いに会わないまま大学を卒業した。
卒業式で一度だけ同じ学科の友達と写真を撮っているロンジュンを見かけて声を掛けようとしたが、拒否されるのが怖くて足が進まなかった。ここで動けなかったことは今でも胸に引っかかっている。
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憂鬱な気分で目覚めた朝だった。まるで走馬灯のような夢だ、自分が死ぬ時には絶対に流してほしくない。
思いがけず昔の記憶を引っ張り出してしまってヘチャンはため息をつきながら出社した。今日はロンジュンの会社とのプロジェクトが本格的に始動し、店頭に商品が並ぶ日だ。あれから何度も会議を重ねて、チーム全員がこの日を待ち望んでいた。ヘチャンはこの企画が成功したら、ロンジュンにアタックし続けると決めていた。
何度も顔を合わせて改めてロンジュンを手放してはいけないと強く感じたのだ、別に自分のものではないのだけれど。だから拒否されても、拒絶されても、ロンジュンがこちらを向くまでただ自分の思いを伝え続けるだけだ。今ならロンジュンがなんであんなに不安だったのかが分かる。離れて分かるなんて何とも情けないが、もう同じようなことはしない。
すっかり寒くなり始めた街は、聖夜を今かと待ち望んでいるかのようにイルミネーションがキラキラと輝いている。
仕事終わりのヘチャンの身体にはその眩しさがジリジリと刺さる。隣ではチソンがイルミネーションを見ながら独り言をブツブツと唱えている。すると数多のカップルに混じって見覚えのある姿が見えた。ロンジュンと……隣は誰だろうか。
黒いタートルネックに同じく黒いコートを着たモデルのようなスタイルの男がロンジュンの隣で歩いている。華奢なロンジュンと並ぶとその男は大きくて、二人の姿は行き交う人々の視線を集めている。ヘチャンは前から歩いてくる二人に完全に気を取られ、チソンの肩を強めに叩く。
「いたっ」
「あれ、ほらあれ、誰だと思う?」
「え?なんですか?」
「だからあれ!!」
ヘチャンは親指で二人の方を指した。
「あ!ロンジュンさん!隣の人…は知らないけどなんだか二人共モデルみたいでお似合…」
ヘチャンはうるさいとでも言うようにチソンを黙らせた。そんなこんなしてるうちに二人はもう目の前まで歩いてきていて、流石にロンジュンの方もこちらに気づいたようだった。さっきまで隣の男と楽しそうに話していた顔から笑顔が徐々に消えていった。
「ロンジュンさん!!こんなところで会うなんて!今日から企画始動ですね」
チソンはウキウキとロンジュンに話しかけた。会議をしていて、チソンとロンジュンはかなり気が合うような素振りを見せていた。
「あ…チソンくん。うん、上手くいくといいね」
「えっと、隣はどちらで?」
ヘチャンは少し焦ったかのように問いかけた。
「イ・ジェノです。元々僕がロンジュンの代わりに担当する予定だったんですけど、色々ありまして」
ジェノと名乗った男は優しそうな顔つきをした、まさにイケメンといった感じだ。軽くお互いに自己紹介を済ませた後、やや気まずい沈黙が流れた為、ジェノが「じゃあ、これで」と会釈をしてロンジュンの肩に腕を回して歩き出した。
「ロンジュナ!!う、上手くいくといいよな、企画」
ロンジュンがびっくりして振り返り、隣のチソンも「急に呼び捨て?」と呟いた。明らかに二人の雰囲気に煽られたという事実は否めない。彼氏?まさかな。
「え、あ、うん」
やや緊張した面持ちで手を振ると、ロンジュンも手を振り返してくれた。その後はチソンに「いつの間に仲良くなってたんですか?」などと聞かれたがあまり耳には入ってこなかった。まずは一歩前進ではないだろうか。そう思う気持ちと、ジェノという存在が脳内を反復する。
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企画が始動してしばらく経ち、ついに現時点での売上が発表された。結果は上々で、申し分ないとジャニにも言われた。ヘチャンとチソンは自分たちの仕事が成功したことの喜びを共有した。
「マジで頑張ったじゃん俺たち」
「今やっと肩の荷が降りました…」
「今日はもう飲もう、チソンア!」
とお互いに盛り上がっていると、奥のデスクからジャニが声を掛けてきた。
「そうだヘチャン、ドヨンさんの会社にも連絡したら喜んでたよ。今日ご飯でもどうですかって。携わったチームみんなで」
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まさかの展開だ。仕事終わりのジャニ、ヘチャン、チソンは三人で飲み屋に足を運んでいた。目の前にはドヨン、ロンジュン、そして何故かイ・ジェノがいる。
「じゃあ、とりあえず売上が上手いこといっているということで!お疲れ様でした!乾杯!」
「「乾杯〜!!」」
ジェノは企画の担当ではなかったものの、割と裏でサポートをしていたらしく、この機会に是非と足を運んだそうだ。ロンジュンとジェノが並んでいると嫌でも意識してしまう。
「ロンジュナ、火鍋じゃなくて残念?」
「なんでそんなこと言うんだよ〜、キムチチゲ大好きだから!」
そうやって目の前でふたりが笑いあっているのを見てヘチャンの箸を持つ手が強ばる。
「ちょ、どうしたんですかその顔、怖いですよ」
チソンにそう言われたのも耳に入らず、険しい顔をしたままヘチャンの対抗心に火がついた。
「あ〜、ロンジュナ昔から火鍋大好きだったもんな。まだよく食べてるんだ?」
我ながら子供っぽいことをしてしまったという自覚はある。ロンジュンの表情が一瞬固まり、場の空気も少し凍りかけた。
「えっと……ヘチャンくんとロンジュンってもしかして知り合いだったの?」
「大学が同じで…」
ドヨンの問いに気まずそうにロンジュンが答えた。
「初対面みたいな感じだったからてっきり… そうだったんだね」
ははは…と笑い流すロンジュンがこちらを見て少し口を尖らせる。"ご・め・ん"とヘチャンは口パクでロンジュンに謝ったが、なんだかこのやり取りが懐かしく、少し二人の間の空気が軽くなっているように感じた。
場が盛り上がってきたところで、タイミングを見計らい、ヘチャンはお手洗いに向かったロンジュンの後に続いた。待ち伏せというと聞こえが悪いがトイレの前でヘチャンはロンジュンが出てくるのを待っていた。扉が開いて出てきたロンジュンの目がヘチャンを捉えてびっくりする。
「さっきはごめん、調子乗っちゃって」
「もういいよ。ごめんって思ってないでしょ、どうせからかうのが楽しいだけで」
「当たり〜」
今まで連絡を取っていなかったのが嘘であるかのように一瞬で二人は昔の雰囲気に戻っていた。
「あのジェノって人はただの同僚なの?」
「うん、何で?」
「彼氏じゃなくて良かったって思っただけ」
「何それ…どういう意味?」
そう動揺して返してきたロンジュンを見て、ヘチャンはアルコールが回ってきたこともあり積極的になってきていた。
「ロンジュナ、また前みたいに二人で会ったりしようよ。良い友達にはなれると思うから。」
「……」
「だってこうやって仕事で会えたのも奇跡と思わない?たまに仕事の話したり飲みに行ったりさ。」
「なんでそんな」
「言っとくけどこっちは一方的に居なくなられて割と長いこと傷ついてたんだから。ちょっと待って、これ、連絡先入れておくから。」
ヘチャンはロンジュンがポケットに入れていたスマホを取って連絡先を勝手に打ち込んだ。
「あ、ちょっと!」
_
2.3時間ほど経ち、チソンが酔って歌い始めたところでそろそろという雰囲気になった。
「ちょっとチソンは俺が送るわ、ったく…」
そうジャニが言い、先にジャニとチソンが店を後にした。その時に支払いも済ませてくれたようで、残された4人も帰り支度を始めた。
「ちょっとロンジュンも眠そうじゃん、タクシー呼ぶ?」
「ドヨンイヒョン……大丈夫…れす…」
「ジェノ、送っていける?タクシー使ってもいいから」
「あ、あの!自分が送ります、さっき話があるって言われたんで」
「この状態で?」
あまりにも下手くそな嘘でバレないか心配だったが、それなら…とドヨンはヘチャンに介抱を頼んだ。
ジェノに「自分も行こうか?」と聞かれたがヘチャンはキッパリと断った。先にドヨンとジェノが退店し、店にはヘチャンとロンジュンの二人と数組が残されている。タクシーが店の前に来たという連絡を受けてヘチャンは机に突っ伏したロンジュンを起こそうとする。
「ロンジュナ、俺たちも帰るよ」
「う〜…」
何とか開けようとしているもののもう既にとろんとした目のロンジュンの腕を肩に回して立ち上がらせようとすると、ロンジュンはこてんと頭をヘチャンの首元に埋めてすやすやと寝息を立て始めた。
ヘチャンの耳元でスースーと呼吸をするロンジュンに何とか理性を保ちながらやっとのことで立ち上がらせてタクシーまで運ぶ。流石にこの状態で一人で乗らせる訳にもいかず、ヘチャンも一緒に乗車したが、そこでロンジュンの今の住所を知らないことに気づいた。とりあえずヘチャンは自分の家の住所を伝えてタクシーは夜の道を走り出す。
見慣れたいつもの部屋にまさかの来客である。とりあえず既に深い眠りについているロンジュンを抱えて自分のベッドに寝かせた。
いつもは自分が寝ているところで気持ちよさそうに寝ているロンジュンに布団をかけ、久しぶりにこの部屋にロンジュンがいることが感慨深くなり、ロンジュンの頭を撫でる。
そうすると寝ているにも関わらずロンジュンがふにゃっと笑う。ヘチャンはその笑顔が堪らなく好きで、今目の前に寝ているロンジュンがとても愛しく思えた。
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翌朝、ロンジュンは目を覚ますと見慣れない部屋にいた。もう何年も来ていない部屋だ。(しまった…)と昨日の酔い潰れた記憶が蘇り、起き上がると床で寝ているヘチャンが目に入った。
まさかな、と自分が服を着ているか確認しようと布団をガバッと持ち上げて中を覗くとご丁寧に昨日着ていた服のままだった。一線を越えていないことに胸をなで下ろすものの、可能性があるかもしれないと思った自分がいたのは事実だ。
本当に久しぶりに会ったけれどあんまり変わっていない。最初にヘチャンが取引先として目の前に現れた時は本当に驚いて担当から外してもらおうかと悩んだが、ヘチャンだけでなく周りの真剣な思いやそれ以上に自分がやりたい仕事だったので夢中で取り組んでいた。自分の頑張りが形になって現れたのは凄く嬉しかった。このまま仕事相手として上手くやっていけるかもしれないと思っていたが、昨日ヘチャンと話してみて未だに気持ちが揺れ動いていることを自覚した。
ヘチャンももしかすると同じかもしれない。もし仮にそうだったとしても自分はもう一度ヘチャンの気持ちに向き合える自信が無い。
ヘチャンのことは大好きだ、今でも。でも多分ヘチャンの好きと自分の好きは大きさが違う。ヘチャンは今ある関係性を楽しむタイプだが、ロンジュンは永遠を約束してほしかった。
でももしヘチャンが別れてからも自分のことを思い続けていたのなら、昨日の雰囲気を見る限り、もしそうなのならば、自分が間違っていたのかもしれない。そんな風にロンジュンはぐるぐると考えをループしていた。
「あれ、ロンジュナ起きてたんだ」
「ヘチャン……ごめん迷惑かけて」
「別にいいよ、でももうあんなに飲むなよ〜」
そう言って笑うヘチャンにどうも心がときめいてしまう。とりあえず身の回りを整えて部屋を後にしようとすると、ヘチャンが声を掛けた。
「連絡、していいから。いつでも」
そうやってロンジュンのカバンの方を指差すヘチャンにロンジュンは頷くかどうか迷って何も言わずに部屋を後にした。
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正直、キスくらいならと考えなかった訳では無い。
全く、数年ぶりに会う元恋人の前で酔っておいて更にお持ち帰りなんて普通だったら襲われるからな…という悶々としたため息をついて先程までロンジュンがいた玄関を見つめる。
そもそもロンジュンは昔から無防備だ。酔うと誰彼構わずくっついて寝るし、すぐにボディータッチをするし…。酔っていてもいなくてもすぐに愛嬌を振りまくので、付き合っていた時どれだけ気が気でなかったことか。
正直、ロンジュンの寝顔だって自分だけが見れる特権だと思っていたのに。
ヘチャンは久しぶりにそんなロンジュンの寝顔を見ていて、変わらないなという気持ちとこの数年の間、彼の隣に居なかったことが悔やまれる気持ちで正直複雑だった。どんな人生を送っていたのだろうか、恋人がいたりしたのだろうか、本人にその気はなくてもそのジェノとかいうやつと良い感じなのだろうか。考えても仕方の無いことばかり頭に浮かび、その度にロンジュンに「別れよう」と言わせてしまったあの時の自分を殴りたくなる。
今自分にできることは自分がどれだけロンジュンを愛してるかを示すことしかない、ロンジュンが安心できるまで、信じられるまで好きを伝え続ける。
せっかくの休日だが、ヘチャンはゲームに没頭していた。余計なことは考えなくて済むし、休日の過ごし方として完璧なのだ。配達で頼んだ軽食を頬張りながらカチカチとパソコンに向き合っていると、非通知から電話がかかってきていた。
「あー!誰だよ!!今あとちょっとで倒せたのに…」
とグチグチ言いながらパソコンの画面を見たままスマホに手を伸ばし「はい?」と少し不機嫌な声で電話に出ると誰かが電話の奥でゼェゼェと苦しそうな呼吸をしているのが聞こえた。
「え、なに…、誰ですか?」
「……ろ、ろんじゅ、ん」
「ロンジュナ!?」
「き、て…」
_
「あ、エアコン消してくるの忘れた…」
ヘチャンは大きな総合病院の待合室にいた。
ロンジュンからの電話があった後、話すのも苦しそうなロンジュンから何とか居場所を聞き出したヘチャンは寒空の下、半袖短パンにスリッパのまさに緊急事態というような格好で最寄りの駅まで全速力で走った。
ロンジュンは駅に着いたところで体調を崩してしまい、何とか入り込んだトイレの一室でしゃがんだまま動けなくなっていたようだった。すぐにタクシーを捕まえて近くの総合病院にヘチャンはロンジュンを連れていった。車内でもうんうんと唸っているロンジュンからは尋常ではないほどの汗が出ていて息をするのさえ苦しそうだった。
連日の疲労に加えて普段は飲まないアルコールを飲んだのが原因だろう。元々身体が強い子ではない。もう1時間ほど経つだろうか、ロンジュンはとりあえず点滴を打っているらしい。身体に別状はないといいのだが。
そんなことを考えながらヘチャンは時計の針を確認する。すると、「ありがとうございました」という声とともにロンジュンがふらっと出てきた。ヘチャンはその姿を見た瞬間に勢いよく立ち上がりロンジュンの元へと駆け寄る。
「ロンジュナ!!!歩ける?平気?車椅子は?」
「ヘチャナ、大丈夫。大丈夫だから落ち着いて!」
「落ち着けったって…」
一緒に出てきた医師の説明によると、やはりヘチャンの予想通り過度な疲労とアルコールの摂取に身体が追いつかなかったということだった。聞くとここ最近はまともにご飯を食べていなかったらしい。ヘチャンが心配そうな顔をしているのを見て申し訳なさそうにロンジュンが笑っている。
「あ〜〜、本当に心臓止まるかと思った」
「ごめんって」
「本当に…本当にさ…」
「うん…」
タクシーが来るのを待ちながら待合室の隅の椅子に二人は座っていた。ヘチャンは心配だという気持ちが収まらないのか下を向きながらロンジュンの手をずっとさすっている。
「手だってこんなに細いじゃん…ちゃんとご飯食べろって言ったって…お前の方じゃん…」
こんなに憔悴したようなヘチャンは初めて見た。意識が朦朧とする中、正直誰に電話をかけようと具体的な人が思い浮かんだわけではない。適当に画面を開いて何とか電話をかけるので精一杯だった。ただ、病院に向かっていると思われる車の中で、自分を支え、声を掛けながら汗を拭ってくれていた人物に安心したという記憶しかない。ヘチャンだったのか。
「うん…ごめん」
「いいよ…無事なら。頼むからご飯ちゃんと食べて、無理しないで」
「わかった」
「本当に?嫌でもいいから俺に何食べたかちゃんと連絡して。毎日して。もう、イ・ジェノでもいいから」
「なんでジェノの名前が出てくるのさ…」
タクシーがそろそろ着くという連絡を受け二人は病院を後にした。タクシー乗り場まで歩いている間気まずいのか心地いいのか分からない沈黙が流れていた。乗り場まで来たところで二人は止まった。すっかり寒くなったなと思いながら横を見るとヘチャンが半袖に短パンだ。急いで駆けつけてくれたのだろう、申し訳ない。「ヘチャナ、中入ってていいから。風邪引いちゃうよ。」とロンジュンが言うと、ヘチャンは何も言わずにロンジュンを見つめ返す。
「ロンジュナ。俺、お前のことずっと好きなんだよ。別れてからも。都合のいいこと言うなっていうのは分かってる。でも別に困らせようと思ってないから、ただ、まだ好きでいさせて。」
「え?」
「連絡先、出来れば消さないで。たまに連絡もしてほしい。友達にしかなれないならそれでもいい、好きな気持ちを抑えるのは時間かかるかもしれないけど。でも他人になるのは、嫌だ。」
「急…すぎるね」
「確かに…ごめん…」
耐えきれない場の雰囲気はタクシーが来る音でかき消された。
「本当に一人で帰れるの?俺も着いていく」
「ほ、本当に大丈夫!あと手、離して…乗れないから…」
ああ、とロンジュンの指だけを心配そうに握っていたヘチャンはまだ心配で堪らないという顔をしつつも手を離す。
ミラーに映るヘチャンが見えなくなったあたりでロンジュンはさっきのヘチャンの言葉を思い出した。あんなに真っ直ぐ気持ちを伝える人だったっけ。あんなに真剣な顔で…。連絡、していいのかな。
_
ピコンッ
スマホの音が鳴り、薄黄色の無地のアイコンが通知欄に浮かぶ。ロンジュンだ。トーク画面を開くとご飯といくつかの惣菜が並んだ画像が送られている。成人男性にしては少なめの量ではあるが、ちゃんと健康を意識しているのが伝わってくる。そんなヘチャンのテーブルに置いてあるのはチキンのみ。そんな食卓の写真を撮って送ると、すぐに既読がついた。
“言い出しっぺがこれ?”
“許して、時間なかった”
“いつもこんなんばっかり食べてるし…”
“俺にとっては栄養食なの”
そんなやり取りをしていると自然と笑みが浮かぶ。ロンジュンはちゃんと言った通り、毎日今日何を食べたか連絡をしてくれるようになった。
あの日、何も考えずに告白のようなものをしてしまい、自分の想定していた流れは全て崩れたものの、なぜかロンジュンとはより打ち解けたように思えた。たまに関係のない話だったり仕事の話もするようになり、また一からロンジュンとの出会いを始めているようで、初々しい気持ちになる。
連絡は頻繁に取っているものの、顔を合わせたのはあの病院が最後だ。今、どんな顔でメッセージを打ち込んでいるのか見れたらいいのに。お風呂にはもう入ったのだろうか。疲れているのなら早めにトークを切り上げた方がいいかもしれない。
キリのいいところで話を切り上げ、ヘチャンは残りのチキンを冷蔵庫から出してきたばかりのキンキンのビールで流し込んだ。
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もう既に凍えるような寒さの毎日だ。ヘチャンはいつものようにスーツを着て、慣れた手つきでネクタイを締める。そして、クローゼットから出したのは綺麗に手入れしているのは伝わるもののもう数年は使っていると思われるマフラーだ。ロンジュンには新しいのを買ってと言われたが買えるわけがなかった。
会社に着いて部署の扉を開けると意外な人物が立っていた。ロンジュンがスーツ姿でジャニのデスクの前にいる。何やら話をされている様子だ。ヘチャンは一通り話し終えた隙を見てロンジュンの肩を叩く。
「ちょっと何してんの、こんなところで」
「あ、おはよ… 臨時の合同部署ってことで売上が軌道に乗るまで連携が取りやすいように少しの間お邪魔することになったの」
「え!?じゃあロンジュナここにしばらく居るんだ!」
「うん…って、それ…」
ロンジュンの目がヘチャンの巻いているマフラーに向く。
「新しいのは買ってないよ、ロンジュナが買ってくれるなら付けるけど」
ロンジュンは「何言ってんの」と言ったものの少し頬が紅くなっていた。
「でも嬉しい、ロンジュナの顔をこれから毎日見られるんだ」
目を合わせようとしないロンジュンの顔を覗き込むようにヘチャンは言った。ロンジュンの顔はどんどん紅くなる。その様子を見ていると、もっとからかいたくなる。もっと俺のことで困ってくれ、もっと俺を意識してくれ。
「すぐ照れるのは変わってないね、可愛い」
ロンジュンはもう照れているというより半分怒ったような様子で「い、息が詰まる!!!」とプンスカしながら自分のデスクに向かった。ヘチャンの向かいの席に臨時のデスクを作ったようだ。二人の間の特別な雰囲気に明らかに周りの人間は動揺していた。
「お邪魔しま〜す、差し入れ持ってきました〜」
13時近くなった頃、そう言いながら部屋に入ってきたのはジェノだった。
両手に弁当が入ったビニール袋を持ち、足で扉を開けている姿はなぜか様になっている。空いている机にドサッと弁当を置くと、部の社員がわらわらと集まってきて口々に「ジェノくん来てくれたんだ〜」「気が利く〜」と分かりやすく喜んでいる。いつの間にかうちの社員とも仲良くなっていたようだ。ジェノは「とんでもないですよ」と言いながら一つだけシールが貼ってある弁当を取り、ロンジュンの元へ歩く。
「はい、パクチー抜き」
「お、流石ジェノ〜」
パクチーが食べられないことくらい俺だって知ってるし。そんな可愛い顔をジェノにも見せてるって?今は何も無くてもこんなの時間の問題じゃないか。段々険しくなってきたヘチャンの顔にやはり隣のチソンが気づいて声をかける。
「だから本当にヒョン、顔怖すぎるんですけど…」
するとその目線に気づいたのかジェノがこちらを振り向いた。
「あのさ、ヘチャン、ちょっといい?」
なぜかジェノに呼び出されたヘチャンは階段の踊り場でジェノと向き合っていた。ワイシャツの袖をまくり、鍛え抜いている身体が服越しにも伝わる。同じ男として完璧と言わざるを得ないのが悔しい。
「なんか勘違いしてると思うんだよね」
「は?」
「ヘチャン、ロンジュンのこと好きでしょ?」
「は!?」
明らかに動揺しているヘチャンを見てジェノは思わず吹き出した。
「俺、恋人いるから!変な嫉妬に巻き込まないでくれる?」
「はぁ!?嫉妬してないし!てかあんまり喋ったことない人間に対して失礼すぎるんだけど」
「いいじゃん、同い歳でしょ?」
「はぁ…」
「大丈夫大丈夫。ロンジュナ、見てる感じ入社してからは恋人出来たことないっぽいから。過去の恋愛を引きずってるとかなんとか、酔った勢いで話してたよ。」
「え…」
うんうんと垂れた目でニコニコ笑う姿がからかっているのか全く信ぴょう性がない。
「引きずってるって、その、まだ未練があるとか?」
ヘチャンが恐る恐る聞くとジェノはもう耐えられないというようにヒーヒー笑っている。涙まで出ているようだ。
「そんなの自分で聞きなよ、あー面白い」
「なんだよお前!ほんと腹立つ!!」
「まぁまぁ、でも俺の見る限りヘチャン脈大アリだよ」
別にこんな奴の言うことなんて真に受けるつもりはないが顔に嬉しさが滲み出てしまう。ただジェノには何を考えているのか丸わかりなのか、その様子を面白がってまだ笑っている。
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仕事は順調に進み、時計の針が17時を回ったところでヘチャンは伸びをすると共に退勤の準備を始めた。前を見るとロンジュンももう仕事を終えて帰る支度をしていた。
「ロンジュナ、一緒に帰ろう」
「え…でも…」
と、ロンジュンは結局最後まで居座っていたジェノに目線を向ける。
「あ〜…ちょっとジェミンから連絡来た。急ぎで帰るから二人で帰りなよ」
とジェノはヘチャンに分かりやすく笑顔を向ける。
「じゃ、じゃあチソンくんも一緒に…」
「あ、いいんです…あいたっ!!!」
ヘチャンは机の下で見えないようにチソンの足を踏んづけて、「チソン、さっきジャニ先輩が呼んでた、急用っぽかったぞ」と適当な嘘をついて目で訴えかける。
「え、でもさっきジャニ先輩と挨拶した時は…」
「いーーから!!!」
「えぇ…」
そうしてなんとかチソンを追い出した結果、ヘチャンはロンジュンと帰路に着いていた。
「ロンジュナは地下鉄?」
「そうだよ」
「じゃ、俺も駅まで着いてく」
隣に歩いている姿でさえ可愛い。ピンクの髪も好きだったけれど、今のこの茶髪も素朴で可愛らしい。思わず撫でようとしてしまった手をサッと引っ込めると、ロンジュンが「どうしたの?」と見つめてくる。上目遣いは反則だ。
「髪、可愛いね」
「可愛いってなに…」
「似合ってるってこと」
「ふーん」
「ロンジュナ、寒くない?」
「この位平気に決まってるでしょ〜、どこで生まれたと思ってんの?」
「あはは、そうだった」
そんな会話をしているともう目の前に地下鉄の駅が見えていた。すると突然ロンジュンが立ち止まり、ヘチャンを見る。ヘチャンは何か言いたげな様子を察知して、唾を飲み込み、ロンジュンの口が開くのを待つ。
「あ…あのさ…前に言ってた"好き"って、本当に、本当に本気で言ってるの?」
「うん、本気だよ」
「本気で言ってるし、今日一日もずっとロンジュナのこと好きだなって思ってたよ。頭も撫でたいし、手だって繋ぎたいし、パクチーだって俺が抜いてあげたかった」
「パクチー?なんの話…」
「ごめん、それはこっちの話…。とにかく好きだよ、ロンジュナ」
「ちょ、ちょっと本当にキャパオーバー!急にどうしたのヘチャナ、そんなこと真面目に言う人じゃなかった…」
「それって俺のこと意識してるってこと?俺、期待してもいいの?」
「な…」
ヘチャンのカウンター攻撃にロンジュンは見るからに目を合わせられないらしく困惑している様子だ。
「急にはムリだよ…時間がほしい…」
「うん、ゆっくり考えていいよ」
そう言いながら愛おしそうに見つめるてくる視線にロンジュンは弱い。
「お…お疲れ様!!!」
なんとか振り絞った一言を残してロンジュンは少し早歩きで駅の人混みの中に紛れていった。ヘチャンが見る限り、ロンジュンの顔には『僕も好き』の文字が貼ってあるかのように丸分かりだったと思う。こういうことに疎くはないのでそのような状況になるとドンドン攻撃を仕掛けてしまう。ゲームと一緒だ、チャンスを逃さないこと。
その日の夜だけは、ロンジュンからの写真が送られてこなかった。
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今年はクリスマスイブとクリスマスが土日に重なっている。あれから数週間が経ち、明日の休日に向けて職場のみんなは仕事を持ち越さないぞという意気込みの元、カタカタとパソコンに向き合っている。街は既にキラキラと色付いており、オフィスの窓からも街を行き交う沢山のカップルが見える。
「チソンは恋人とクリスマス過ごすの?」
「恋人!?い、いませんよ… クリスマスは毎年親友とそのお兄ちゃんと過ごしてます」
「珍しい過ごし方だな」
「まぁ… 二人とも賑やかなので退屈はしないですよ」
自販機の前でヘチャンとチソンがそう話していると、ロンジュンがやってきた。
「あ、ロンジュニヒョン!お疲れ様です!」
「あ〜チソンア、お疲れ〜……ヘチャンも」
「ついでに労いの言葉どーも」
「別についでじゃないし!」
あの日以降、ロンジュンは明らかに意識しているのかヘチャンと会う度に目が泳ぐ。それはいいのだが、もう数週間も待っている身としては何か進むきっかけがほしい。そんなことを考えながら、ロンジュンが温かいお茶を買って出ていくのを見送る。やはり今日、帰りにどこかへ誘うか。
部署全体が明日からの休みを楽しみにしているからか仕事は順調に進み、今日もヘチャンは残業が無さそうだと思ったが、目の前でパソコンに向き合っているロンジュンは何やら葛藤している様子だ。
「ロンジュナ、どうかした?」
「あー、いや… ちょっと送られてきた資料が間違えてるっぽくて、直してから帰ろうかな」
「え?そんなの訂正箇所示して送り返せばいいじゃん」
「それもそうなんだけど、今日金曜だし、僕別に用事ないし」
ヘチャンは言いたいことはまだあったものの、口に出さずに飲み込んだ。
「じゃあ俺も手伝う」
「えぇ!?いいよ、自分でやるから」
「いいの、手伝いたいだけ。その方が早く終わるでしょ」
「まぁ、そうだけどさ…」
結局ヘチャンの押しに負けたロンジュンは「じゃあお願い」と素直に手伝いを頼んだ。
3時間程経っただろうか、思ったよりも時間がかかり、時計は20時過ぎを示している。ヘチャンは飲み物を買いに行ったついでにコンビニで小さなショートケーキを2つ買い、オフィスに戻った。
「ロンジュナ、終わった?」
「うん、あとはこの数字を入れれば…はいっ!!」
「よっしゃ〜、思ったより時間かかっちゃったね」
「うん、手伝ってくれてありがとう」
「好きな人の役に立てたならいいよ」
そう言うとロンジュンはピシッと固まる。
「ごめんごめん、そんなつもりじゃないから。はいこれ、ケーキ」
「わぁ、美味しそ〜」
「コンビニ行ってもこれしか無くてさ、せめてものクリスマス気分?」
「ありがとう、ヘチャナ」
外を見るとこの辺りのオフィスではもうここしか明かりはついていないようで、イルミネーションがやけに綺麗に窓に反射している。すぐ横で美味しそうにケーキを頬張るロンジュンを見つめながら、ヘチャンもケーキを口に運ぶ。あまり甘い食べ物は好きではないが、今日は美味しく感じる。
「あのさ、ヘチャナ… 返事してもいい?」
ケーキを食べ終えたロンジュンがそう言ってヘチャンの方を向く。ヘチャンはその真剣な眼差しに姿勢を正す。
「正直、久しぶりにヘチャンに会って色んなことが急展開過ぎて自分の気持ちに目を向けられてなかったんだけど…」
「うん」
「どんなに上手い言い訳を探そうとしても、やっぱりヘチャンのことが、好きみたい」
「それって」
「い、いいよって意味で…捉えてもらえると…」
ロンジュンは頑張ってヘチャンから目を逸らさないように一つ一つ言葉を伝えている。その姿がとてもヘチャンの胸を打ったし、こんなに真剣に考えてくれていたなんて。
「ロンジュナ…あの時は不安にさせるようなことしか言えなくて、別れようって言わせちゃって本当にごめん… 俺にはお前しかいないってもう気づいたから、ずっと大切にする」
「うん…」
ヘチャンはロンジュンのうるうるとした瞳を見つめながら顔を近づける。その雰囲気にロンジュンは何か察したのか目をギュッと瞑る。その様子があまりにも可愛くてヘチャンの顔には思わず笑みがこぼれ、目を瞑ったままのロンジュンをしばらく見つめていると、「まだなの?」とでも言うようにロンジュンが片目をゆっくり開ける。目線の先にはニヤッと笑ったヘチャンがいて、ロンジュンはしてやられたと恥ずかしくて頬を染める。
「さ、最低…」
恥ずかしそうに目線を逸らして頬を膨らませたロンジュンにヘチャンは愛おしい気持ちが溢れ、今度はそのまま唇を重ねにいく。
「んっ…!」
重ねた唇は徐々に水気を帯び、ヘチャンが舌でロンジュンの唇をつつくとそれに応じるようにロンジュンは口をほんの少しだけ開ける。お互いの舌と舌が混ざり合い、二人はこの瞬間を確かめ合うように熱くキスをする。ヘチャンがロンジュンの首元を優しく支え、ロンジュンはされるがままに求められている。部屋にはお互いの熱のこもった吐息の音が響く。先程まで食べていたケーキの甘さが口に広がる。しばらくキスを続けたあと、ヘチャンが唇を離すと、目の前のロンジュンはとろんとした目で顔を赤らめている。
「い、行こっか」
「うん…」
クリスマスソングが響き渡る街で、固く手を繋いだ二人の姿がイルミネーションによってキラキラと照らされている。
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編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!