第6話

重荷
4
2026/04/25 12:47 更新
アサーが飛んだ時、水飛沫が僕の顔を刺す。そして彼女は手に持っていた傘をノア目掛けて差し向けた。

「判断を誤るか!!!ア゛サー!!!!!」

ジャリジャリとした指輪の音と共に、ノアは視界から消えた。傘が彼を覆い、翼が彼女を隠した。
2人を追おうと必死で目を凝らすが、周囲の暗さが視界を悪くする。彼女の影が、ノアの頭上へと、落ちていく。
その瞬間、僕は根に足を取られた。バジャッっと泥に浸かり、それと同時に、音が消えた。まずい…滑る根に爪を食い込ませ、急いで立ち上がる。

「ハァ…ハァ…」

誰かの吐息が雨の中で聞こえる。不意に、先程までノアの視界を覆っていた傘が、自分の近くに落ちているのに気づいた。

「ハァ…ハァ…全く…ほら」

目を上げる前に、片足の鉤爪ブーツが投げられた。

「えっ…」

見上げれば、眉間に皺を溜め、相当不機嫌な顔をしているノアがいた。

「逃げたよ。チッ、…棚にでも飾りたかったんだがな」

そう言いながら、彼は荒々しく顔の泥を拭った。僕は咄嗟に鉤爪ブーツを腕に抱え、皮の冷たさに不安を覚える。雨か汗かもわからない水を額から流しながら、彼を睨んだ。

「翼を…ですか?」

彼は目を丸くして僕を見る。次の瞬間、笑いが込み上げて来たのか、彼は大きく反り返り、額を指輪が光る手で押さえる。
耳が震えるほどの笑い声。まるで悪魔だ。抱えたブーツを固く抱き締める。

「ハハハハハハッ!!冗談だよ冗談。ふぅ…まぁ…ビミット族なら無理もないですね」

そういうと彼は、屋根のある人の家の玄関へと雨宿りのために入った。軽く手招きをする。

「彼女は大丈夫なんですか?逃げたって…」

指先に入る力が抜けない。あんな翼の轟音が一瞬で鳴り止むだろうか?まだ屋根の中には入れない。

「走って逃げましたよ。まぁ…少し喰らいましたが」

落ち着きを取り戻したように、彼は腕の切り傷を見せてきた。3本線が綺麗に描かれている。彼女が履いていた、片方の鉤爪ブーツがつけたものだろう。少しだけ、口角が緩んだ。

「ふん、あと少しだったんですけどねぇ」

残念だったというように、彼はため息混じりの言葉を吐いた。あと少しというのは…翼を切り損ねた、ということだろう。雨に打たれていた体を、グッと屋根の中に押し込み、彼の前に立った。彼の冷酷な目に、耳が倒れる。

「…翼は彼女の身体ですよ…彼女の許可なく切ろうとするのは…」

彼は持っていたナイフをハンカチで丁寧に拭いていた。雨に濡れたナイフの輝きが戻り、彼は満足そうに眺めながら横目で言う。

「許可?そんなものはいらんだろ。あいつは飛べない」

「………ぇ?」

飛べない…?飛ばないのではなく?ならどうして彼女は翼をつけたままなんだ。あの傷は…。

「やはり知らなかったんですね。使えないものをつけてわざわざ将来の選択肢を狭めている…ふん、とんだ阿呆だな。考えれば考えるほど理解に苦しむ」

どういうことだ…?あまりの情報量に脳が追いつかない。彼女のあの巨大な翼が、飛べない翼なんて…そんなの…。一体どこが悪い?あの傷のせいで飛べないのか?使えないなら…どうして切らない?

「…エムリス、君も大方…彼女の持つ翼に憧れでもして、私を邪魔したのでしょう?一度彼女がどれほど馬鹿げているか、本人に聞いてみてはいかがです?」

彼はそう言い終わると、僕の胸に、ナイフを押し付けて来た。
心臓がバクンと波打つ。彼は足を入れるブーツの穴に、まるで花でもいけるようにナイフを添えた。首の毛を撫でる引き際の指。手にギュッと力が入り、冷や汗が止まらない。彼が…僕に何を求めているのかがわかる。

「使うことになると思いますので、私は今日こんなことに付き合わされてウンザリなんですよ。明日の授業の準備も終わっていない。上にもエムリスが私の後を受け継ぐと言っておきますね」

彼はそういえばすぐに背を向けた。ブーツに添えられたナイフが僕の方に向いている。汗が頬を伝うのがわかった。喉の奥から必死で声を絞り出そうとした。

「ぁ…ノッ!!」

「エムリス”先生”。期待していますよ」

今まで見たことがない爽やかな笑顔で、そう言われた。彼が去った後、すべての五感が一気に戻る。冷たい、寒い、臭い、…重たい。そして、脳の奥でこだまする。

僕が…切らなきゃいけない…のか…?

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