第11話

正しい言葉
3
2026/05/11 09:45 更新
橋から、落ちていく…いや、空から落ちていく人影を見た。
ノアから逃げるように学校を出た僕は、その影を見るなり走っていた。すっかり日も落ち、空に星が散りばめられる中、この国は1日で1番の活気を出し始める。むせ返るほどの料理の匂いに鼻なんて効かない。目を焼く光の中、人々の間を抜け、人影が落ちていった方向に一直線に走った。
脳裏に浮かぶのは、彼女の折れた翼。いや、それ以上に酷い光景かもしれない。


町から離れ、立ち並ぶ住宅街を抜ければ、広大な草地の上に、うずくまる人を見つけた。
急いで駆け寄り、うずくまる背中を見た。だらっと地面に垂れた翼。握り締められたままの草。その拳の中に、血が滲んでいた。
体に電流が走る感覚。喉から押し寄せて来るものを止められない。

「アサーさん!!!飛び降りたんですか!!?」

彼女の顔を見ようと、肩を掴んでしまった。

「ッ!!!!」

腰から、重みが消える。

「アサーさん!!!!!!」

刃の光が暗闇に流れた。
顔を上げた彼女は、自身の右目目掛けて、ナイフを突き立てた。両手でナイフを握り締める。刃先だけを見つめる横顔。

「待って!!!そこまでして!!!飛ばなくてもいいじゃないですかッツ!!!」

飛びつくようにして、彼女からナイフを奪う。一瞬の間に熱を帯びたナイフの柄。息も絶え絶えに彼女を見つめた。

「エルジェイドなんですよね…わかりましたよ…アサーさんが飛べない理由。仕方がないじゃないですか…命を投げ出してまで、飛ばなきゃダメなんですか?」

「…片目だけなんだ。片目…だけ…」

「…アサーさんもわかっているんでしょう?片目を取ったって、そのうちもう片方にエルジェイドが移る。種族での特異体質というものはそう簡単に消えるものじゃない…。」

彼女は俯き、力無く僕の言葉を聞いているようだった。
彼女の翼も地面に垂れ下がったままだ。その翼から目を離せない。
この翼に命と同等の価値があるとは思えなかった。だって、この国は、みんな翼を切っているから。

ーー僕も教師なんだ

指がテンプレートをなぞるように、その言葉は自然と出る。

「アサーさん…翼を切りませんか…?」

彼女はピクリとも反応しない。

「僕は…アサーさんに生きてて欲しいんです。こんなことを繰り返して…命を落とすくらいなら、僕が、その翼を責任を持って切ります」

彼女の顔を必死で見た。それが僕の精一杯の誠意だった。それは、教師として覚えた言葉だった。彼女はゆっくり立ち上がる。
光も当たらない瞳で、こちらを見つめた。

「っ!!!」

謝ろうとした。心臓がギュッと縮まり、爆発しそうだった。
鋭い痛みと共に、鉤爪が手の甲を撫でた。音もなく草むらに落ちるナイフ。彼女はナイフを拾い上げた。その姿を見た瞬間、胸の奥が嫌なほど冷えた。

「私はあなたがそんなことを言う人とは思わない。ついてきてください」

彼女はズボンのポケットにナイフを差し入れる。目頭が熱くなる。同時に嗚咽しそうなほどの後悔に地面を見つめた。
手の甲を抑えたまま、彼女の背中を見る。あれほど大きく広がっていた翼が固く閉じられている。彼女の腰で揺れるナイフを睨み、肩を落とす。
傷とはやはり痛いものだ。そう、ナイフに言ってやりたかった。

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