第2話

第一篇 春は、ここから
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2026/02/21 03:46 更新
春の東京は、思っていたよりも騒がしかった。

 石畳を行き交う人々、洋装の婦人、帽子をかぶった紳士。文明開化の風は、私の故郷よりもずっと強く吹いている。

 上京したばかりの私は、慣れない街に戸惑いながら、父に頼まれた書類を官庁へ届けに来ていた。

 緊張で指先が冷たい。

 そのときだった。

「――失礼」

 静かな声が、すぐそばで落ちた。

 思わず顔を上げる。

 そこに立っていたのは、黒の詰襟に身を包んだ一人の男性だった。

 整えられた黒髪。
 まっすぐで、澄んだ瞳。
 騒がしい廊下の中で、彼だけがひどく静かに見えた。

 まるで、時間が一瞬止まったみたいに。

「お怪我はございませんか」

 どうやら私は、彼にぶつかりそうになっていたらしい。

「あ、いえ……大丈夫です」

 声が少し震えた。

 彼はわずかに目を細め、安心したように微笑む。

 その微笑みに、胸が大きく鳴った。

 こんな気持ちは、知らない。

 ただの一瞬。
 名も知らぬ相手。

 それなのに、どうして。

「それは大切な書類のようですね」

 彼の視線が、私の抱えている封筒に向く。

「は、はい……」

「では、お気をつけて」

 深く一礼し、彼は廊下の向こうへ歩いていく。

 背筋の伸びた、その後ろ姿から目が離せなかった。

 誰かに尋ねると、そっと教えられた。

「本田菊様ですよ。政府の要職に就かれている方です」

 "本田菊"

 胸の奥で、その名が静かに響く。

春の風が吹き抜ける。

 もう一度、あの人に会いたい。

 理由など、きっといらない。

 ただ、あの静かな瞳を、
 もう一度だけ見つめてみたい………



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