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『家事代行、契約先は初恋のひと』~m×r~
Sideラウール
午前10時。
俺は実家のリビングで、至福のニート生活を満喫していた。
ソファに深く身を沈め、スマホで流れてくるお笑い動画を眺める。
くつくつと喉を鳴らして笑っていると、背後からじっとりとした視線を感じた。
振り返るまでもない。オフの日の母親特有の、あのプレッシャーだ。
「ラウール」
「……はい」
「あなた、いい加減にしなさいよね。いつまでゴロゴロしてるつもりなの」
「いや、これも大事な情報収集なんだよ?世の中のトレンドを把握するのは、社会人としての基礎なの」
「どの口が言うのかしら。あなた今、社会人じゃないじゃない」
ぐうの音も出ない正論が、俺の側頭部を的確に撃ち抜いた。
そう、何を隠そう俺は現在無職。
いわゆるニートというやつだ。
前の会社を辞めてから、早三ヶ月。
最初は「ちょっと羽を伸ばすだけ」なんて言っていたはずが、気づけば実家という名の沼にどっぷり浸かっていた。
「わかってるって。そろそろ動かないといけないとは思ってるんだよ」
「口ばっかりじゃない。いい加減、外の空気を吸いなさい。顔色も悪いわよ」
「そんなことないから、健康そのものだよ」
「はいはい。それじゃあ、その健康な体でちょっと買い物に行ってきてくれない?卵と牛乳、それから醤油も切れそうだから」
母親はそう言うと、千円札を数枚、テーブルの上に置いた。
これはもう、有無を言わさぬ強制外出命令だ。
逆らうだけ無駄なことを、俺は長年の経験で知っている。
「仕方ない。じゃあ、行ってくる」
重い腰を上げ、財布とスマホだけをポケットに突っ込む。
寝癖がついたままの髪を適当にかき混ぜ、パーカーを羽織って玄関のドアを開けた。
久しぶりに浴びる太陽が目に痛い。
実家から一番近いスーパーは、昔ながらの商店街を抜けた先にある。
シャッターが下りたままの店も増えたけど、八百屋の威勢のいい声や豆腐屋から漂う大豆の匂いは昔のままだ。
どこか懐かしい風景の中を、俺は目的もなく少しだけ遠回りしながら歩いた。こういう時間も、悪くない。
スーパーの自動ドアをくぐり、カートを押しながら目的の品を探す。
卵、牛乳、醤油……。メモを見なくても、お使いの内容は頭に入っている。
さすが、家事スキルだけは錆びついていない。
これもニート生活で磨かれた能力の一つかもしれない、なんてくだらないことを考えていた、その時だった。
ふと、視界の端に見慣れた、いや、見慣れすぎていた横顔が映った。
すらりとした体。セットされていないのに、なぜか様になっている髪。
周りの喧騒から切り離されたように、一人だけ違う空気をまとっている。
心臓が、どくん、と跳ねた。まさか。でも、見間違えるはずがない。
「……え、めめ?」
自分でも驚くほど、自然に声が出た。
その声に、彼がゆっくりとこちらを振り返る。色素の薄い、涼しげな瞳が俺を捉えた瞬間、ほんの少しだけ見開かれた。
「……ラウール?」
数秒の沈黙。
でも、その一瞬で、俺たちの間に流れた数年の空白が嘘みたいに埋まっていくのがわかった。
俺の高校時代の、一番の友達だった。
「うわ、本当にめめじゃん!何してるの、こんなところで」
「いや、それはこっちのセリフ。久しぶりだな」
めめはそう言うと、少しだけ口角を上げた。
そのクールな表情の中に、昔と変わらない親密さが滲んでいる。
俺は嬉しくなって、つい早口でまくし立てた。
「びっくりしたよー!卒業以来だよね?元気にしてた?」
「まあ、それなりに。ラウールこそ、変わらないな」
「そうかな?自分ではわからないけど。あ、そうだ、今何してるの?仕事とか」
しまった、と思った。
ニートの俺が聞くべき質問じゃなかった。
でも、一度口から出た言葉はもう戻せない。
めめは俺の焦りを察したのか、特に気にする風もなく答えた。
「今は自分で会社やってる」
「え、まじで!?社長じゃん!すごいじゃないか!」
予想外の答えに、俺は素直に驚きの声を上げた。
高校の時から、めめはどこか達観していて周りの奴らとは違う雰囲気があったけど、まさか本当に社長になっているとは。
「すごいってほどじゃないよ。まだ小さい会社だし、毎日忙しくて死にそうだよ」
めめはそう言って、自嘲気味に笑った。
よく見ると、彼の目の下にはうっすらと隈ができている。顔色も、健康体の俺と比べるとずいぶん悪い。
「家もめちゃくちゃでさ。引っ越したばっかりなんだけど、荷解きする時間もなくて」
「段ボール地獄ってやつか」
「それ。まともにご飯も食べてないし」
カップ麺とかコンビニ弁当ばっかりと彼はこともなげに言う。
その言葉を聞いた瞬間、俺の口から、自分でも信じられない言葉が飛び出していた。
「……それだったら、俺がやってあげようか?」
静まり返ったスーパーの一角。
めめが、きょとんとした顔で俺を見ている。
俺自身も、自分が何を言ったのか理解するのに数秒かかった。
家事を、俺が?めめの家で?
「え、いや、違うんだ!今のはその、なんていうか、勢いというか……」
慌てて取り繕おうとする俺を、めめは真っ直ぐな目で見つめていた。
そして、ほんの少しの間を置いてから、静かに口を開いた。
「……頼めるなら、お願いしたい」
その真剣な声に、俺は言葉を失った。
ほんの数秒の、沈黙。その“間”に、高校時代に無理やり蓋をしたはずの気持ちが、ちりっと音を立てて疼いた。
忘れたふりをしていた、甘酸っぱい痛み。今さら、なんで。
「……本気で言ってるの?」
「うん。本気。もちろん、ちゃんとお給料は払う」
めめの瞳は冗談を言っているようには見えなかった。
むしろ、藁にもすがるような切実ささえ感じられる。
若社長で、忙殺されてて、家のことは何もできていない。
その状況は、彼の言葉の端々から伝わってくる。
そして俺はニートで、時間だけは有り余っていて、家事はまあ得意な方だ。
……これって、もしかして、完璧な需要と供給の一致ってやつじゃないか?
「……わかった。それじゃあ、試しにやってみようかな。試用期間ってやつ?」
俺がそう答えると、めめの表情が目に見えて和らいだ。
「本当?助かる」
その場で、ざっくりとした日程を決める。
とりあえず明後日、一度様子を見に行くことになった。
そして、連絡先を交換するためにスマホを取り出す。
LINEの交換画面を差し出すとめめがごく自然に自分のスマホをかざした。
ピコン、という軽い通知音とともに俺たちの途切れていた時間が再び繋がり始めた。
「じゃあ、また連絡する」
「おう。気をつけてね、社長さん」
ひらひらと手を振ってめめと別れる。
彼の背中が自動ドアの向こうに消えていくのを見届けてから、俺は大きく息を吐いた。
手の中のスマホには、「めめ」という名前が追加されている。
それを見つめながら、俺はまだじんじんと痺れている胸のあたりをそっと押さえた。
昔のことだ、と自分に言い聞かせてきたはずなのに。
スーパーに来ただけのはずが、とんでもないことになってしまった。
俺は頼まれていた卵と牛乳と醤油を慌ててカートに放り込むと、少しだけ浮ついた足取りで、実家への道を急いだ。
――――――――――――――――
約束の日の朝。俺は妙な緊張感に包まれていた。
鏡の前で何度も髪型をチェックし、一番マシに見えるであろう襟付きのシャツに着替える。
「家事代行っていうほどでもないけど……」
独り言を言ってみるものの、心臓は正直だ。
どくどくと早鐘を打っている。
めめに教えてもらった住所は、駅から少し歩いたところにある、見るからに新しくてお洒落なマンションだった。
オートロックのインターホンを鳴らすと、すぐに「はい」という低い声が聞こえてドアが開く。
エレベーターで指定された階まで上がると、そこにはもう玄関のドアを開けて待っているめめの姿があった。
「おはよ、ラウール。急いでてごめん」
今日のめめはスーパーで会った時とは違い、パリッとしたスーツに身を包んでいた。
髪もきっちりとセットされていて、完全に仕事モードだ。
その姿に、ああ、本当に社長なんだな、と改めて実感させられる。
「おはよう、めめ。気にしなくていいよ」
「悪いけどすぐ出なきゃいけなくて。注意事項だけ先に説明するね」
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※こちらの作品には、心を奪うほど濃密で官能的なR-18描写が含まれます。












編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。