決勝当日。
空はやけに澄んでいて、逆に緊張が際立っていた。
観客席のざわめきが、遠くで波みたいに揺れている。
ゆのはラケットを握ったまま、指先の感覚を確かめていた。
(ここまで来たんだ)
県大会決勝。
相手は昨年優勝校のエース。
そして——
「ゆの」
声の方を見ると、榊部長が立っていた。
いつもと同じ落ち着いた顔。
でも今日は、ほんの少しだけ違って見えた。
「ウォームアップ、もう少しだけやるぞ」
「はい」
短く返事をして、コートへ向かう。
その背中を見ながら、ゆのは気づいてしまう。
(今日の部長、少しだけ……違う)
静かすぎる。
まるで、何かを決めているみたいに。
◆
試合は想像以上に厳しかった。
序盤から相手の強打に押される。
「0-3」
スコアボードが冷たく光る。
ゆのの呼吸が浅くなる。
(まずい……)
ラリーが続かない。
少しでも遅れると、すぐに決められる。
そのときだった。
「ゆの!」
コートの外から声が飛ぶ。
榊部長。
立っているだけでなく、少しだけ前のめりになっている。
「守るな、打て!」
その一言で、頭が真っ白になる。
(打て……?)
でも、次の瞬間。
ゆのは踏み込んでいた。
カンッ。
強く打ち返したボールが、相手コートのラインギリギリに落ちる。
「15-0」
空気が変わった。
◆
そこから、少しずつ流れが戻る。
一本ずつ、ラリーが長くなる。
ゆのは気づき始めていた。
(部長の声があると、迷わない)
でも同時に思う。
(なんでこんなに……必死なんだろう)
ただの応援じゃない。
あの声は、まるで自分の試合みたいに熱い。
◆
セット間。
ベンチに戻ると、榊部長がタオルを差し出した。
「水、飲め」
「……ありがとうございます」
受け取る手が少し震える。
部長はその様子を見て、静かに言った。
「怖いか」
ゆのは少しだけ黙ってから頷いた。
「はい。でも……やるしかないです」
その言葉に、部長は一瞬だけ目を伏せた。
そして、ぽつりと。
「……昔の俺に、似てるな」
「え?」
部長は少しだけ空を見上げる。
「勝つことだけ考えてた。負けるのが怖くて、誰にも頼らなかった」
その声は、いつもより少し低かった。
「でも、それだけじゃ届かない場所があった」
ゆのは黙って聞いている。
部長はゆっくり視線を戻した。
「お前は、まだ間に合う」
その言葉が、胸に落ちる。
◆
最終セット。
スコアは5-5。
あと一ゲームで決まる。
コートの空気が重い。
ゆのの足が少しだけ震える。
(ここで……決まる)
サーブを打つ手に力が入る。
そのときだった。
観客席から、ざわめきが少し変わった。
視線の先。
榊部長が、立ち上がった。
ゆのは一瞬息を止める。
(……え?)
部長はコートの方を見たまま、ゆっくり言った。
「ゆの」
静かな声なのに、全部が止まる。
「お前は、俺が思ってるより強い」
心臓が跳ねる。
「だから——信じろ」
その瞬間だった。
ゆのの中で、何かが切り替わった。
怖さが消える。
代わりに残ったのは、一つだけ。
(打てる)
サーブ。
放たれたボールは、迷いなくコートへ落ちた。
ラリー。
一球ごとに、呼吸が軽くなる。
そして——最後。
相手のミスショット。
「ゲームセット!」
静寂のあと、歓声が爆発した。
◆
勝った。
でも、ゆのはその場から動けなかった。
胸がうるさい。
呼吸が追いつかない。
そのとき、コートに影が落ちた。
「ゆの」
顔を上げると、榊部長が目の前にいた。
いつもより近い。
「……勝ったな」
ゆのは小さく頷く。
「はい……」
部長は少しだけ間を置いてから、静かに言った。
「俺、さっき気づいた」
「……何をですか」
部長は視線を逸らさない。
その目は、試合のときよりずっと真剣だった。
「お前の試合を見ると、冷静でいられない」
ゆのの呼吸が止まる。
「勝ってほしいって思うのに、それだけじゃない」
一歩、距離が縮まる。
「気づいたら、お前ばっかり見てる」
風の音が遠くなる。
ゆのは言葉を失ったまま、立ち尽くす。
部長は少しだけ困ったように笑った。
「俺が一番まずいな」
その一言が、なぜか一番優しかった。
ゆのの胸の奥で、何かが静かにほどけていく。
(これって……)
ただの憧れじゃない。
もう、戻れない距離。
部長は小さく息を吐く。
「……続きは、終わってからでいい」
そう言って、ゆっくり手を伸ばしかけて——やめた。
その“やめた”が、逆にいちばんドキドキした。












編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。