第3話

テセウスの船。(Theseus.S)
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2025/02/02 10:59 更新









僕なりに彼女の気を引こうと、学業に励んで良い結果を残し、厳しい訓練プログラムに合格し、そしてエリートである魔法省に見事就職を果たした。

彼女はそんな輝く名誉には、興味がある人ではないことは分かっている。その辺の道路で寝転がっている奴にも、手を差し伸べるような人だから。



それでも僕なりのアプローチを必死に注ぎ続けた結果のおかげか、驚くことに想いを伝えたあの時、彼女は嬉しそうに首を縦に振ってくれた。



きっと僕のような堅苦しく規律を重んじる性格より、無邪気で子供のような純粋無垢な彼女は、僕の"弟"の方が気が合っているように思う。

温厚で無邪気な2人は、子供の頃からお似合いだった。




そして、弟は彼女のことを大切に思っている。
もちろん、友人ではなく一人の女性として。




兄ならば弟に譲ってやるのが一番綺麗な兄弟の物語といったところだろうけど、"彼女" だけはどうしても譲ってやれなかった。

これだけはどうしても。







 



『"テセウスの船"っていう有名な問題を知ってる?』









仕事が予定より早く終わり、久しぶりにレストランに夕食でも食べに行こうかと言いながら、何気なく寄った本屋からそのレストランまで手を繋いで歩いた。


街灯の光が二人の影を伸ばし、足音が静寂を破る度に、何気ない瞬間が特別に感じられる。通り過ぎる人々のざわめきも、今のこの瞬間だけは遠く感じる。









「聞いたことあるなぁ…
 どんな問題だったけ」










そう聞くと、彼女はわざとらしい咳払いをしながら、背筋をピンっと伸ばし、舞台の司会者だと言いだけにマイクを持つフリをした。











『ギリシャ神話で有名な英雄テセウスが
 乗ったとされる船が保管されてました』










そう言って、流暢りゅうちょうに話し始めた。










『ですが、船の老朽化が進んできたため、船の部品は徐々に新しい部品に交換されていきます。

そして、最終的には船の全ての部品が交換され、元の部品は何一つ残っていない状態になります。』











言い終えると共に、彼女は足を止めた。

聞き入っていた僕は、足を止めた彼女に気づくことなく先を歩こうとしたが、繋いでいた手が引っ張られたので驚いて後ろを振り返った。











『船の見た目は以前と一緒ですが、
 元の部品が一つも残っていないその船。

 果たしてそれは以前と同じ、
 "テセウスの船"と言えるのでしょうか?』










首を傾げながら『テセウスはどう思う?』と、嬉しそうに聞いてきた。

冬の寒空の中を少し歩いていたせいか、鼻先がほんのりピンク色に染まっていて、可愛らしくて仕方がない。











「…難しい質問だな
 それは答えがあるのか?」


『無いよ
 人それぞれ捉える価値観で答えは変わるから』










なるほどなぁ。

変化していくモノのどこに価値を見出しているか、何をもって物事を定義するかが、この問題の答えを左右するのだろう。











「…そうだな…
 僕はもうそれは以前の船とは言えないと思う」


『ふふ、テセウスならそう言うと思った』


「あなたは?」


『んー…ずっと考えてるんだけど、
 どちらとも言えなくて困っちゃってさ』










彼女は困ったように笑いながら、雪が静かに舞い降りてくる空を見上げた。冷たい風が頬を撫で、鼻先が更に赤く染まっていく。


可愛らしくてずっと見ておきたいところだが、彼女の首に巻いていたマフラーを引き上げ、鼻先まで覆った。


「だから、列車でレストランまで向かおうと言ったのに」と、小さく呟くと、彼女はふっと微笑んだ。










『だって……。
 手を繋いで他愛もない話をしながらさ、
 のんびり歩くの好きなんだもん、貴方と』









マフラーでほとんど顔が隠れてしまっているけれど、彼女の目元が僅かに見えるだけで、その笑顔が伝わってくる。

瞳の奥に浮かぶ温かな光が、優しい顔をしていることを物語っている。










「来いよ、……ハグしよう」









彼女の手をそっと離し、僕は両手を広げて彼女に向かってゆっくりと身を寄せた。









『ねぇテセウス
 来いよ、なんて言いながら
 いつも自分から来てるよ。笑』









クスクスと妙に楽しげに笑う彼女を、包み込むように抱きしめた。僕のコートに顔をうずめる彼女は、くぐもった声で『甘えん坊さんだね。』と、声を漏らしていた。


後ろに回した彼女の手が、規則的に僕の背中を優しく叩く。「僕は赤ん坊か」と、言いたくなるがどうもそれが堅苦しい僕を、いい具合にいつも柔らかくしてくれる。




僕にとって、彼女は空気そのものだ。

驚くほど自然に全身を包み込み、そして無くてはならない存在。








僕は何があっても彼女を嫌うことはないだろう。



僕の弟のニュートを好きになったとしても。

堅苦しい貴方の性格は、私とはやっぱり合わないからと突き放されても。






これからどんな変化が起きても、僕に向けた幸せそうな笑顔を一度でも見てしまった以上、逃れられない呪いのように彼女を愛しく思い続ける。










「なぁ、さっきの答え。
 変えてもいいか?」









静かに僕に抱きしめられた彼女はゆっくりと顔を上げ、不思議そうに首を傾げて小さく頷いた。










「どれだけ変わっても
 一度でもテセウスの船と名付けられたなら
 それはもう変わらない事実だ」


『……なら、以前の船と同じだと思うの?』


「あぁ。」


『テセウスがそう言うなら、
 私もそんな気がしてきた!笑』










そう言いながら、僕から身体を離した。

『今日は何食べたい?私はパスタがいいなぁ』そんなことを呟きながら、無邪気な笑顔を僕に向ける。









弟と3人で会う度に、怖くて堪らないんだ。

2人が何気ない会話で笑い合う度に、失いそうで怖くなる。






どうしても譲れないんだ。
ごめんよ、ニュート。










『ねぇ、テセウス
 また怖い顔してるよ』










白い肌がほんのり赤く染まるほど冷えきった彼女の手が、僕の両頬を包む。

我に返ったように、僕は驚いて顔を上げた。











『勘違いだったらごめんね
 またニュートと私のこと考えてたでしょ』







 


図星だ。

僕は堪らず彼女から視線を逸らした。










『何度も言ってるけどね。
 私はテセウスが好き。
 貴方が好きだから今こうして隣にいるの』










そう言いながら彼女は両手を広げた。



白い雪が静かに降り積もり、彼女の髪にふわりと落ちた。その雪が、まるで彼女の存在を優しく包み込むように、軽やかに舞い散っている。



その雪に反射して、彼女の顔はほんのりと光を帯び、まるで幻想のように透けそうなほど儚げに見えた。






 



『おいで、ハグしてあげる』









情けない顔をしながら道路の真ん中で佇んでいる僕を、彼女は優しく抱きしめた。










『大好きだよ、ずっと側に居て』









僕より背が低いくせに、背伸びしてまで一生懸命僕の背中に腕を回す。その小さな腕で。








  


「……君だって。
 おいで、と言ったくせに
 自分から来てるじゃないか」










そんな小さく震えた自分の独り言を誤魔化すように、力強く彼女の背中に腕をまわした。













              テセウスの船。 end.





スキャマンダー兄弟って人を沼らす天才なん…?

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