それからの授業がどう過ぎていったのか、正直あまり覚えていない。
二限目の国語も、三限目の英語も、四限目の化学も。
私はひたすら「無視」に徹した。
教科書の行間を泳ぐ赤い物体も、ノートの隅でじっとしている赤い影も、全部ただの幻覚だと言い聞かせ、必死にシャーペンを動かし続けた。
お昼休みにりりあが
と心配してくれたけど、
と作り笑顔で返した。
私の目の前では、その「赤い物体」がりりあの肩に乗ってお手玉みたいに弾んでいるというのに。
五限目。六限目。
午後の重苦しい熱気が教室にこもる。
赤い物体は消えるどころか、授業が終わるごとにその鮮やかさを増していくようだった。
そして。
キーンコーンカーンコーン……。
放課後を告げるチャイムが、静かな教室に鳴り響いた。
終礼が済み、先生が教室を出ていった瞬間、私は机に突っ伏した。
全身の筋肉が強張っていたみたいに、ひどく体が重い。
なんとか一日を「普通」のまま終わらせた。やり遂げたんだという達成感と、それ以上の疲労感がどっと押し寄せてくる。
りりあの心配そうな声を、私は力強い首振りで遮った。
そう。ここで帰ったら、あの「赤い物体」に負けた気がする。
私はガタッと椅子を引いて立ち上がり、スクールバッグを肩にかけた。視界の端で赤いのがまだチョロチョロ動いているけれど、もうそんなの背景の一部だ。
学校を出ると、夕方の熱風が吹き抜ける。
それでも、冷房の効いたスタバに一歩足を踏み入れれば、そこはもう天国だった。
コーヒーの香りと、店内に流れる軽快なBGM。これだよ、これ。私の求めていた「日常」は。
店員さんから渡されたカップを受け取り、窓際のカウンター席に座る。
薄い水色のシャツ越しに、ひんやりとした冷気が伝わってきて心地いい。胸元の赤いリボンが、フラペチーノのピンク色と並んで、なんだかすごく「放課後」って感じがした。
りりあが自分のラテを飲みながら笑う。
ようやく一息つけた。
ストローで冷たい氷を吸い込み、甘さが脳に染み渡っていく。
……でも。
私は内心で、机の上をトコトコ歩いている「赤い物体」に毒づいた。
アイツは今、私のフラペチーノのホイップクリームの上に、さも当然のような顔をして鎮座している。
無視。無視だ。
私は赤い物体を「トッピングのベリーか何か」だと思い込むことにして、思い切りフラペチーノを飲み干した。
りりあがスマホで水着のサイトを開きながら、身を乗り出してきた。
赤い物体が私のフラペチーノのカップの縁を、平均台みたいに歩いている。
私はそれを「ちょっと動くデコレーション」だと思い込み、視線をりりあのスマホに固定した。
水色のシャツの袖をまくり、私は冷たいカップを両手で包み込む。
りりあの話す予定はどれもキラキラしていて、聞いているだけで「普通の高校生」に戻れた気がした。
そんな他愛もない、けれど何よりも大切な会話。
ときどき、赤い物体が私の視界を横切って、ストローの先に止まろうとする。
私はそれを、フラペチーノを混ぜるフリをしてさりげなく追い払った。
りりあの愚痴に笑いながら、私は一瞬だけ、窓の外の景色に目をやった。
夕暮れ時。
オレンジ色に染まり始めた街路樹の影に、誰かが立っていたような気がしたけれど。
私は努めて明るく答え、フラペチーノの最後のひと口を飲み干した。
心臓が少しだけ早く鳴っていたけれど、それはきっと、カフェインのせいか、それとも夏休みのワクワクのせい。……そう、自分に言い聞かせて。
神さまは幽霊くん 第1章 3話 「無視」 終わり












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!