──「標的である秘琴あなたを発見しました」。
僕がそう告げると、スタンリーはしばらく僕のことを見つけて、それからおもむろに懐から煙草を出した。
窓を開けて、咥えた先に火を灯す。
彼が息を止めると煙草の先が赤く輝き、ふ、と唇の隙間から紫煙が細く溢れた。
つい、と動いた目が、僕のことを捉える。
僕を見て、それから僕の手と刀を見て──目を細めた。
英語で尋ねられたその言葉に、僕の肩が強張って、しかしすぐに力を抜いた。
「いや」と、ゆるりと首を振る。
ここに来るまでに考えたシナリオを、まるで本当のことかのように話す。
スタンリーはきっと、僕が嘘をつくとは思ってもいないだろう。
僕のことを、信じてくれている。
それを裏切るようで、心が苦しい。
だけど、事実として僕はもう、スタンリーを、この国を裏切っている。
彼女に忠誠を誓った時点で、軍人としての僕は捨てたも同然だ。
──彼とこうして話すのも、これが最後かもしれないと思った。
それは少しだけ、寂しい。
「それで少し争ったんだけど」と、僕は右手を軽く振る。
嘘をつくときには、真実をいくらか織り交ぜると良い。
〝彼〟の得意分野は科学だったけど、そもそもの頭がいいから、そういうこともよく知っていた。
僕に教えてくれたそれらを、僕はずっと覚えている。
それに、スタンリーは僕の軍服に争いの痕跡があることを見抜いているだろう。
落としきれなかった微かな土埃、出たときよりもズレた鞘の位置、開けた痕跡のある銃のホルダー。
それらがバレているのに、矛盾をわざわざ与えるつもりもない。
だからつまり、と僕は二本の指を立てた。
「国を抜けるための偽の戸籍が、ふたつほしい」と。
ひとつは僕の分。
そしてもう一つは、〝情報提供者の男〟の分。
実際に戸籍を使うのは、その男ではなく秘琴あなた本人だけど。
戸籍の型さえ手に入れば、残りは僕が自由にいじれる。
性別なんて些細なことだ。
最悪、あなたに男のふりでもしてもらえばいい。
僕の要求に、スタンリーはまた煙草に口をつけた。
四分の一が既に灰になったそれを吸って、窓の外に煙を吐き出す。
暑かったのか、普段はつけている黒手袋を、今は外していた。
──その左手には、薄くなった火傷の跡。
薄く笑みを浮かべ、そうして執務室を後にした。
後ろで、煙草が灰皿に押しつけられる音を聞きながら。
──自分の部屋に戻って、ひとつ息を吐く。
とりあえず、これでなんとかなるだろう。
千空への連絡は、戸籍ができてここを出てからでいい。
そう考え、僕は軍服の釦に手をかけた。
西の軍服で東に行くなんて馬鹿な真似はしない。
一応、腕章や国のシンボルマークが含まれていない隠密用の服も、あるにはあるので。
動きやすさを重視して、ついでにちょっとだけ布が丈夫。
色味も黒に近いからそこまで目立たない。
それらに腕を通して、刀は袋に、銃やナイフは上着の内側のホルダーに隠す。
部屋に入ってすぐに机のうえに置いた軍帽に、目をやった。
……もう、被ることはないかもしれない。
それに対して、不思議と悲しさのようなものはなかった。
そりゃそうだ。
僕はずっとここにいたけど、それは好きでいたわけではないのだから。
持てるだけの装填用の銃弾は持って、これが尽きたら刀だけで戦うのか、と少しだけ不安になる。
刀以外の武器も考えてみていいかもしれない、とふと思った。
僕が入軍させられてすぐに銃は浸透したが、それ以前は刀兵と弓兵が殆どだった。
銃が訓練に組み込まれるまでの数ヶ月だけ、僕は弓兵としての訓練を受けたことがある。
銃よりもずっと軽くて、銃よりもずっと、手に馴染んだ。
弦が耳元で引き絞られる音。
矢が真っ直ぐに風を切って飛んでいく音。
鏃が的を穿つ音。
そのどれもが、心地よかったものだ。
思い出して、懐かしくなる。
──静かな部屋で壁に背を預けて呼吸すらも沈めれば、外の音がよく聞こえてきた。
軍人の訓練の音は、統率が取れていて無駄がない。
戦争中ではないその訓練の音は、実はそこまで嫌いではなかった。
名残惜しくなどはない。
だけど、寂しくは、あるかもしれなかった。
戦時、東に乗り込むときは、生きてさえいれば帰ってこられた。
今は、少し違う。
戦争はもう終わって、もう一度それが起きないように、僕は秘琴あなたの手を取った。
だからこそ、西に戻ってこられる保証はどこにもない。
ずるずると座り込んで、膝を抱える。
しばらく、僕はそうして、軍の音を聞いていた。
スタンリーから戸籍の型が出来たと渡されたのは、それから2時間後のことだった。
相変わらず仕事が早い。
お礼を言って、受け取る。
空白の戸籍は、あとで弄ればいいだろう。
軍を出る前、キャスケットを深く被った僕を上から下まで見て、スタンリーは小さく笑った。
「ん」と短く頷いたスタンリーに、別れの言葉もなく背を向ける。
〝彼〟に直接会ったら、いろいろとボロが出そうだから──ということは、言わないでおいた。
ポーカーフェイスは得意なつもりだけど、それでも〝彼〟の目を欺くのは難しい。
腰に差すのではなく、袋に入れて背負った刀は、不思議といつもより少しだけ重いような、そんな気がした。
音は何も変わらないので、気分の話だ。
──軍基地から随分と離れ、街に入ったところで、僕は路地裏に身を寄せる。
そうして、懐から取り出した通信機の電源を入れた。
その通信機は、千空からもらったもの、ではなく。
軍から支給されているものだ。
今の最適解は──
今の最適解は、〝確実に東へ抜けるための時間を稼ぐ〟こと。
たとえそれで、僕が二度と西に戻れなくなろうと。
裏切り者として扱われようと。
──幼少からの仲を、断ち切ることになろうと。
僕が通信した先は、スタンリーでも、他の軍人でもなかった。
科学者だった。
ただし、千空ではない。
僕と千空の通信を傍受してくる恐れがあって、尚且つ僕のことをよく知っていて、スタンリーととても仲の良い科学者。
書類上に、彼の名はこう記録されている。
──Dr.ゼノ。
一瞬のラグを示すノイズ音のあと、すぐに通信は繋がった。
聞き馴染みのある声が、いつもより少しだけ固い。
当たり前だ。
僕が軍からの通信機で、彼に連絡を寄越すことはない。
絶対に。
だからこそ、なにかあったのだと──緊急事態だと、判断した。
僕は浅く息を吸う。
わざとらしい演技はしない。
いつも通り、真剣に話せば、きっと。
「まずいな」と僕は小さく呟いた。
『なにかあったのかい』と間髪入れずに返事が来る。
にわかには信じがたい、とでも言いたげな声。
だけどゼノは今、僕の言葉の真偽をすぐに知ることはできない。
なぜなら──彼は、軍所属ではないから。
内部のことを知るには、僕か、スタンリーに聞くしかない。
もしくは軍内部のカメラをハッキングするしか。
僕は溜息を小さく吐いて、言葉を続けた。
否定する声に、苦々しい色が浮かんでいた。
それから、逡巡の気配のあとに、『撤退の準備を進める』と迷いのない返事が返ってきた。
……これで一先ず、この直後の僕と千空のやり取りが聞かれる恐れはないだろう。
〝また〟が来ることは、もう二度と、ないだろうけど。
ついでに次に身を隠す場所を聞き、そして通信を切った。
手の中で沈黙した通信機を見つめて、それから、地面に向けて放り投げる。
何度かバウンドして止まったそれを靴の裏でガンガンと蹴りつけ、壊れたことを確認して、僕は裏路地の深くに歩みを進めた。
それから、懐から取り出したもう一つの通信機──千空にもらったものに、電源を入れる。
通信機の向こうで、奇妙な沈黙が落ちた。
声からして僕とはわかるのだろうが、それでも聞き覚えのない名前に一度言葉を詰まらせたのだろう。
ゼノに聞かれる可能性はなくなったとしても、用心するに越したことはない。
それから、通信機の向こうから、紙になにかを書きつけるような音がした。
音の跳ね返り方から、小柄だと──あなただと、わかる。
どうやらあなたはこちらの意図を理解したらしい。
きっと今のは、自分のコードネームかなにかを、千空に伝えた音だ。
──とは思いつつ、まぁ千空も理解はしているのだろう、と思った。
そしてその数秒後、千空の声が返ってくる。
無事にその意図が伝わったようで、一度息を吐き出す。
──もしも、この通信を何者かに傍受されたら。
千空たちの身元は割れずとも、時間をかければ僕には辿り着くだろう。
そして、僕を知る人物が聞けば、時間をかけるまでもなく僕だとわかる。
それなら、名を偽ればいい。
黒ではなく、限りなく黒に近い灰色のほうが、まだマシというわけだ。
だけどもうこの時点で僕らが裏切り者ということは確定しているんだし。
一先ず身元は隠すとして、内容はなにも隠さなくていいだろう。
戸籍の型に肩書きを入力するのは、合流してからでも構わない。
そう思って、僕が尋ねると『待て』と制止をかけられた。
表通りに踏み出そうとしていた足を、裏路地の影から出さずに止める。
喧騒が、遠くに聞こえた。
『それに』と千空が一段、声を低くした。
その言葉に、僕は黙り込む。
たしかにそれは、もっともだ。
最も──だけど。
僕の言わんとしていることを理解したのだろう。
反論しようと口を開いた空気の音がして──
だけどそれが音になる前に、理知的な思考が、それを留める。
千空の言うことは正しい。
けれど僕の言うことも、間違ってはいないつもりだ。
安定を取るか、安全を取るか。
確かに、僕がいれば顔が割れる可能性は高まる。
けれど、僕がいれば戦闘力になる。
少なくとも、千空ひとりよりは。
それは、つい先ほど刃を交えて、彼自身も身に沁みて理解しているはずだ。
──ふと、通信機の向こうから、あなたの音がしないことに気が付いた。
足音も、息遣いも、なにも。
それと同時、『──あ゙?』と千空の訝しげな、少し呆気にとられたような、声。
じわりと、嫌な予感が胸に広がる。
あなたのコードネームは、ロベリアと言うらしい──そんな、今関係ないことを一瞬考えて。
反射的に踵を返し、僕は通信機を懐に突っ込んで、裏路地を抜け人混みのなかに飛び込んだ。
キャスケットを目深に被って顔を隠しながら、人混みを歩く。
耳を澄ませて、あなたの声を探した。
早く国を抜けないと、時間を稼いだ意味がないのにと眉根を寄せて。
そもそも僕と千空が言い争ったのが始まりか、と溜息をひとつ。
軍服ではない僕に、いつものような目線は集まらなくて。
──ただそれだけで、なんだか自分が透明人間にでもなったかのような気分になった。












編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。