第17話

雪原 Ⅳ
9
2026/04/21 12:00 更新
「何してんの、ここで。」

 ふと顔を上げると、見知った茶髪が見えた。質問に答える気力もないまま視線を落とし、いえ、と呟く。
 砂浜に影が二つ伸びる。片手に持っていたビールの缶未成年飲酒は法律違反ですを見てか、彼女は困ったように笑った。

「何もなかったらこうはならないでしょ、ほら、お姉さんが聞いてあげる。」

「一年しか変わんないじゃないですか。何ならあなた早生まれでしょう。」

 ほらほら、細かいことはいいんだよ、と彼女は歌うように笑う。
 なんだか毒気を抜かれたような気がして、目を伏せた。

 八月。海辺のこの場所は、夕方の空があまりにも美しい。

「バラしたって構わないですよ。どうせ生きたとてあと数年なんでね。」

 本当に美味しくない飲み物だ。この空には似合わない、と思いながらも缶を口に運ぶ。
 この苦味で自傷している。一線を超えたという苦味を、ゆっくりと身体に刻みつけていく。

「しないしない、私に得がないもの。」

 彼女はけらけらと笑ってそう言った。特に驚きも焦りもなく、それを聞き流す。
 本当にバラされたって構わない。未成年飲酒で停学になろうが、何だって。

 波がゆっくりと呼吸する。それをぼんやりと見ながら、ゆっくりと溶けていく脳に体を委ねる。

「良いですよ。気にしないんで。」

「君が優しい人だって知ってるからね。そんな事はしないよ。」

「はは、まさか。何をどう捉えたらそうなるんです? 」

 嫌味に聞こえたかどうかわからないが、彼女はあはは、と笑った。やっと気付いたんだ、と付け足して。
 何に、とは聞かなかった。
 波が海岸を打ち付ける音が耳に響く。

 半分ほど残っていた缶の中身を飲み干し、ふらつく視界の中立ち上がった。

「じゃ、これで。」

 こんなところで道草食ってたら家族が心配しますよ、と抑えた声で彼女に告げる。
 結局何も話さなかったし、何も聞かなかったな、と思った。

 またねー、と呑気な声を背に、家への帰路に戻る。公園のゴミ箱に空き缶を捨て、ゆらりゆらりと歩く。

 夕焼けは人を迷わせる。母を狂わせた男も、妹を発狂させた父も、きっとこの茜のせいなのだろう。
 はは、と渇いた笑いが溢れる。何一つ、悲しいことなんてないのだ。


 ただ、哀れで、滑稽で、仕方がない。
 足早に道を歩く。どくん、と心臓が脈打つ音が聞こえ、下唇を噛んだ。


『かえで。お父さんとお母さんはね、紅葉の季節に出会ったのよ。』


 家の玄関を開けて、見知らぬ男の靴を確認し、さっさと二階へ上がる。
 部屋の鍵をかけると同時に、その場に座り込んだ。少しずつ荒くなる呼吸を抑えるように瞳を閉じる。

 
 真っ赤な海は血を流しているみたいだった。
 飲んではいけないものを体に流し込んで、罪の重さを刻みつける瞬間の痛みと、同じだと思った。

 
 あともう一つ、何かが壊れたらちゃんとこの心臓を止めれるだろうな、と誰にも聞こえないほど小さく呟く。
 震える手の先で、散らばった錠剤を集めた。少しずつ、この錠剤に命を明け渡していくのだ。

 蝉の合唱の隙間から、声が聞こえた気がした。懐かしい、優しくて、幸せだった頃の。


『花言葉があるの。それはね、』

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