それから三年の歳月が流れた。
春の陽差しが柔らかく注ぐ午後、ハンビンの腕の中では、生後十ヶ月になる女の子がぐずりながら小さな手をぎゅっと握って泣いていた。夜泣きが続き、睡眠不足の毎日。それでも、ハンビンは目の下に隈を作りながらも、どこか嬉しそうに赤ちゃんの額にキスを落とす。
「ほら、ママここにいるよ〜……泣かないで。お歌、うたおっか?」
言いながら、覚えたての童謡を小さな声で口ずさむ。
男同士での子育て、しかも娘。最初は分からないことだらけだった。洋服の選び方、髪の結び方、泣いた理由すら見当もつかない日も多かった。
けれど、ハンビンには妹がいた。昔、彼女の髪を結んであげたことも、おもちゃの好みを覚えたこともあった。だからか、なんとなくでどうにかなることも多く、今ではオムツ替えも、哺乳瓶の準備も、おままごとの相手だってお手のものだった。
赤ちゃんは、いつしかハンビンを「ママ」と呼ぶようになっていた。
それを初めて聞いた日、ハンビンは笑いながらも何故か目を潤ませて、ぎゅっと我が子を抱きしめた。
――そして今日。
玄関のドアがカチャリと開く音がすると、ハンビンの腕の中でスヤスヤと眠っていた娘が、ぱちりと目を開けた。
「……パパっ!!」
覚えたての言葉を力いっぱい叫び、ハオのもとへと四つん這いでハイハイしていく。
その声に、ハオは一瞬驚き、次の瞬間には口角がふわっと緩んだ。
「……ただいま。なに、それ、今の。今の、ちゃんと『パパ』って言った?」
ハンビンが笑いながら頷き、
「うん、今日初めて。何回も言ってるよ」
ハオはスーツのジャケットも脱がぬまま、膝をついて娘を抱き上げ、鼻先をすり寄せる。
「パパだよ〜〜〜〜〜!!もう、なんでも買ってあげる……!」
彼の顔には、仕事の疲れなど一切残っていなかった。幸せの重みだけが、確かにそこにあった。
ハンビンはそんな二人を見つめながら、小さく笑って呟いた。
「もう、親バカじゃん。」
「うるさい。パパなんだから当然でしょ?」
愛に満ちた家庭に、今日もまた小さな命の笑い声が響く。
___
その日、朝からナビちゃんはご機嫌ナナメだった。
「うぇぇぇ……ママぁ……ママぁぁ……!」
出勤の準備をしているハンビンの足にしがみついて、ナビちゃんはぽろぽろと涙をこぼしている。
ハオはすでにスーツ姿で、玄関に立って「そろそろ出ないと遅刻するぞ〜」と声をかけながらも、その様子に苦笑いを浮かべた。
「ナビ、ほら。今日はギュビンおじちゃんとユジンおじちゃんがお世話してくれるんだよ。楽しい一日になるよ〜?」
ハンビンが優しく言っても、ナビちゃんは首をぶんぶん振って「ママがいいの〜!」と泣き喚く。
もうバイトに行く時間ギリギリ。焦るハンビンの顔が強張る。
「……ごめん、俺、先に行く!ナビ、パパが帰ってきたらいっぱい遊ぼうね!」
そう言ってハオが軽くナビちゃんの頭を撫でて出ていく。
その数分後、チャイムの音と共にギュビンとユジンが到着。
「おはよ〜ナビちゃん!今日は僕たちと遊ぶ日だよ〜!」
ギュビンが玄関をくぐるなり、優しい声でしゃがみこんでナビに手を差し伸べる。
泣きじゃくっていたナビは、その声を聞いてぴたりと泣き止む。
「……ギュビンおじちゃ……」
ぎゅっとギュビンの首に抱きつくナビ。
ハンビンはその様子に目を丸くする。
「え、うそ、めちゃくちゃ懐いてるやん……。な、ナビ?ママには泣くのに……」
ギュビンは照れたように笑いながらも、慣れた手つきでナビを抱き上げると、背中を軽くトントン。
「大丈夫だよ。ナビちゃんはね、ちゃんとわかってるの。ママもパパもお仕事頑張ってるって。だから偉いね〜、泣くのやめてえらいえらい。」
そう言いながら、ナビを抱っこしてリビングの方へ連れて行った。
ユジンもその後ろで笑いながら「子ども好きすぎて怖いんだけど、ギュビニヒョン」と呟く。
ハンビンは、もう泣いていないナビの姿に安心しつつも、どこかちょっとだけ寂しそう。
「……俺があんだけ必死にあやしても泣き止まなかったのに……ギュビン、まじ魔法使いか……?」
ギュビンは振り返って、ナビを抱っこしたまま笑顔で言った。
「うん、俺ナビちゃんの恋人だから。」
「は?」
「うそうそ、親友!……ってことで、安心してバイト行ってらっしゃい。今日は俺たちに任せて。」
そう言ってナビの小さな手を振らせると、ナビも「ママ〜、ばいばい〜!」とようやく笑顔を見せた。
ハンビンは思わず吹き出して、「ありがと、ギュビン。ほんと助かるわ」と笑って靴を履き直す。
ナビの可愛い「ばいば〜い!」の声に背中を押されながら、今日もいつもと少しだけ違う、やさしい朝が始まった。











編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。