と、木製のドアをノックした。
無機質な音が、長い廊下に響く。
武智は今、組長執務室の前に立っている。組長からの呼び出しがあったのだ。理由は大方、想像がついていた。
白いコンクリートの床に、壁。ドアの前に置かれた紅い絨毯だけが、この執務室前の唯一の彩りだった。
絢爛な装飾品の数々が飾られた他の場所に比べると、明らかに異質な雰囲気を醸し出していた。
ドア越しの籠った声が、返答をした。
それを聞き、武智はドアノブに手をかける。
そして、深呼吸をした。武智は緊張した面持ちをしていた。
当たり前である。武智の様な、幹部でも出世頭でもない一構成員が、組長に呼び出されることなど、前例の殆どない事案である。例え、どんなに度胸のある屈強な男でも、この異様な空気に息を飲んでいたであろう。
それと、緊張する理由はもう一つある。それが、呼び出された理由に関連する。間違いなく、あの事についてだろう。
仇への憎しみと、あの親を殺したという事実に対しての恐怖と、身を焦がすような昂りが武智の中に混在していた。
武智は、ドアを開けた。
紅い絨毯に、黄の月光が差した。
その月光と重なった人影の、輪郭をぼんやりと映し出していた。
人影は嗤っていた。
嗤う人影の正体は《無辜の怪物》組長。
名は、大橋康太といった。
柔和な笑みと物腰とは裏腹に、実に食えない男である。
組長は、人を食った笑みで答えた。
武智は、湧き上がる悪感情を、必死に押し殺しながら尋ねた。
実際、武智は無表情を取り繕えていた。が、瞳に宿るナニカに対しての明確な殺意が、全てを物語っていた。
まるで、わざと感情を逆撫する言い方をしているようである。見れば、お気に入りの玩具を見るような目をしていた。
すぅ、と目を細める。
そう愉しげに嗤う組長の言葉を、武智は数瞬の逡巡の後に理解した。
武智は言葉が出なかった。何を言えば良いのかも分からなかった。
当惑を隠せない武智の背後に、突如気配が出現した。
紅い絨毯に、数秒前は無かった影が、また一つ増えた。
武智は振り返らなかった。いや、振り返れなかったという方が正しい。
いくら一般構成員である武智とて、流石に気配は人並み以上に察知できる自負がある。
しかし、後ろの何者かからは、気配を全く感じなかった。
声を出す時の僅かな息遣い、近づくための動作から生じる音、それら全てがソレには無かった。得体の知れない何かに、恐怖すら覚える。
ゾッとした。背中を何かに這われるようだった。
何者か、答えは既に武智の心中に在った。
恐怖も何もかも、感情と呼べるものは全て捨て去り、腕から指に神経を集中させた。
腕を振り上げ、振り返る。瞳にはもう何も映っていなかった。
武智は、殴ろうとしたのだ。後ろに立っている親の仇を。
殴る、と言うのは最も単純な、分かりやすい暴力である。威力は劣るが蹴るなんかよりも、もっと精密に、効率良く相手を仕留めることが出来る。
武智が、繰り出した拳は相手を捉え、鈍い音を立てる
はずだった。
武智の右腕は、空を切った。
力一杯振りかぶっていた武智は、前方によろめいた。勢いに任せ、身体を半回転し、何とか転倒を免れる。
拳の着地地点は、既に組長の隣に回っていた。
逆光の為か、武智は仇の表情を上手く掴めずに居る。が、そんな事は、最早どうでも良い。
相手と武智の間に一触即発の空気が流れた。ピアノ線が張るような緊張感に、常人ならば怖気付くであろう。
組長が、制止した。たったそれだけの出来事で、二人は波が引くようにそれぞれの殺気を無くした。
が、武智の中で暴れる激情が静まった訳では無かった。
コチラからの、攻撃が無理ならば、敵に攻撃させれば良いのだ。
武智はそう考える。相手も同じことを考えている可能性も、否定できない事に気づくのは、およそ二日後のことである。
だが、確かに、自分の手を汚さずとも相手を攻撃出来る手段は沢山あった。
逆光野郎は、執務机に腰かけながら言った。表情は見えなくとも、嗤っていると分かる。
心底ムカつく男だ。
骨に染み入るような寒さと、やけにテラテラと光る月光の中。
彼らの歪な相棒関係は、この日この時この場所から始まったと言えよう。














編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。