第10話

違う世界で過ごしても【9】
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2025/09/14 12:00 更新
あなた Said
残業でくたくたになりながら、ようやく自宅のドアを開けた。

時計の針はすでに夜の十一時半をまわっている。

リビングのほうからは、柔らかくもどこか熱を帯びた声がかすかに漏れていた。

あなたの叶さんの呼び方の配信中の声。

笑い声と、リスナーと交わす軽やかなやり取り。

(まだ配信してるんだ……)


玄関でそっと靴を脱ぎ、気配を立てないようにキッチンへ向かう。

お腹はぺこぺこだけど、彼の声を邪魔するのは申し訳ない。

冷蔵庫を開け、昨日の残りのスープを静かに温める。

電子レンジが「ピッ」と小さく鳴った瞬間、思わず息を止めてしまう。

防音室をまたいではいるが、思わずハッとしてしまった。


幸い、叶は気づかない様子で、画面の向こうの誰かに笑っていた。

(大丈夫…私は画面の向こうの誰かにはわからない彼を知っているから…)
そうおもいながら、ひとりでテーブルに座り、スープとごはんとお肉をそっと口に運ぶ。

画面越しの彼が笑う声を背中に受けながら、静かに食事をするこの感じは不思議だ。

すぐそこにいるのに、触れられない距離。

隣にいながら遠い世界にいるようで、少し切なくて、でも誇らしい。

そんな時間が小一時間ほど過ぎたころ。

「――じゃあ、今日も来てくれてありがとう。またね」

彼の声が優しく締めくくられ、配信が終わった。

部屋の扉が開く音。
Kanae
おかえり、かな?
と小さく笑いながら彼が顔を覗かせた。
あなた
うん、ただいま。あなたの叶さんの呼び方も配信お疲れさま
わたしは食べ終えた器を手にしたまま、思わず笑ってしまった。
Kanae
帰ってきてたんだ。全然気づかなかった。ごめん、ひとりでご飯?
あなた
うん。配信の邪魔したくなくて
彼は申し訳なさそうに眉を下げ、すぐに椅子に腰かけた。
Kanae
僕のほうこそ、待たせちゃった。少しでも一緒に食べればよかったな
そう言って、ごはんとお肉をぱくりと口に運ぶ。
Kanae
ん、美味しい
あなた
冷めてるでしょ?
Kanae
冷めてても美味しい。あなたの下の名前が待っててくれたから

その一言で、心の疲れがふっと溶けていくのを感じた。

疲れて帰ってきた夜なのに、テーブルに向かい合って笑い合えるだけで十分。


食事を終えたあと、ソファに移動すると、彼が自然に肩を寄せてきた。
Kanae
お仕事、すごく頑張ってるよね。……えらい
あなた
そんなことないよ。自分の分のお金ぐらい自分で稼げるから
Kanae
しんどくなったら、僕に言って。配信終わったら、いくらでも聞くから
声のトーンは、画面越しに見せる明るさよりもずっと柔らかくて、あたたかい。

そのままソファに身体を預けると、彼の手がそっとわたしの髪を撫でた。
Kanae
…今日はもう、何も考えなくていいよ。僕が隣にいるから

耳元に落ちた大好きな声に、胸の奥がじんわり熱を帯びる。




こうして肩を並べているだけで、長い一日が報われた気がした。

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