案内された職員室に隣接するシャワー室で体を流して、髪を乾かして元々着ていたブレザーの制服に袖を通す。汗をかくような季節でもないし、まぁギリギリセーフだ。備え付けられた姿見でサッと身なりを整え、私は職員室に続くドアに手をかけて_止めた。人の声がしたのだ。
私がシャワーを浴びている間、先生は残っている仕事を片付けるらしい。もう余裕で退勤時間外なので、職員室には誰もいなかった。だからその声は、きっと後から来た誰か。
私は薄いドアに耳をつけ、外の音を伺う。
少し特徴的な、女の子の声。合間に挟まれる「ケロッ」という鳴き声に聞き覚えがあった。
確か名前は、蛙吹梅雨。切られたとは言えそこそこ幹部クラスだった私は、雄英高校の生徒もしっかりチェックしているのだ。偉い。勤勉。
個性は異形型の【蛙】。最近特に脚光を浴びる、一年A組の女子生徒。そこでやっと、先生が担任を受け持つクラスの生徒だったことを思い出した。
顔写真_も、資料に添えられてはいたがうろ覚えだ。興味もあるので、覗くだけと心の中で唱えながら私はそっとドアをスライドする。
薄く開けられた隙間の先に、一人の少女が立っていた。向かって正面の先生の机の前に立っているので、その顔を見ることはできない。長く艶やかな新緑の髪が、腰のあたりで蝶結びにまとめられている。
なんだ、残念。そう思ってドアを閉めようとした私だったが、それは聞こえた先生の声に遮られた。
突然の声かけに、思わず変な声が上がる。そんな私の声に驚いて、蛙吹さんも振り返った。
振り返った彼女は、端的に言って美少女だった。きっちりと着こなされた制服に、ちょうどいい頭身の小さな顔。そこに配置された両眼は大きく、鼻筋も通っていて、端的にいうと美少女だった(二回目)。
ドアに隠れたまま小さく挨拶をする私を、呆れた顔で先生が引っ張り出す。酷い。嫁入り前のコミュ障少女にこの仕打ちは酷い。悪態をつくと、先生の呆れ顔がより一層深まる。
必死に先生の後ろにへばりつく私に、蛙吹さんは優しく言った。そこに害意はなさそうだ。何より先生より優しい。私はほんのわずかに警戒を解き、先生の横に進み出た。手は先生の服の裾を掴んだままだが。
私にちゃんと呼び方まで指し示してくれるあたり、この子は紛れもなく陽の者だ。自己紹介と共に差し出された手を眺めながら、勝手にそんな予想をつける。屈託のない笑顔に、私は少し逡巡してから答えた。
そう言って手を握ると、あす_梅雨ちゃんは、驚いたようにケロッと鳴く。それから、こっちが恥ずかしくなるくらいに可愛い笑顔を見せた。
まだ吃ってしまうのは堪忍してほしいが、少しずつだったら、梅雨ちゃんにだったら、私から歩み寄ってみるのも悪くないかな、と思った。
漂う良い雰囲気を壊さないように、精一杯配慮しているという風な先生の声が、私の意識を引き戻した。
ニコリと笑って、梅雨ちゃんが嬉しそうに頷いた。握っていた手を上下に振っている。可愛い。
先生は安心した様にふっと微笑む。笑った顔を見たのは初めてかもしれない。思わず胸がきゅんと鳴った…のは、気のせいということにしておく。
小さくお礼を言って会釈すると、梅雨ちゃんはケロっと笑う。笑顔が絶えない子だな、と感心していると、梅雨ちゃんは思い出したように制服のポケットをあさった。プリーツスカートから引き出されたのは、可愛らしい包装の小箱だ。
さとう、という新しい名前に一瞬首を傾げた私だったが、差し出された箱を受け取り開いてみる。中に入っていたものに、疑問は一旦吹き飛んだ。
思わず呟いた私の横から先生も中身を覗き、同じように目を丸くして梅雨ちゃんを仰ぎ見た。
そう言って、梅雨ちゃんは少し恥ずかしそうに頬を掻いた。しかし、そんな謙遜そっちのけで言葉を失うくらいに、手の中に収まる小麦色の生地は整った形をしていた。
可愛い布が敷かれた上に、整然と並べられた長方形。かなりの量が入っているが、よく見ればその間に挟まれているのはチョコレートやバターなど様々だ。更に一番上に置かれた一つには可愛いカエルのアイシングまでされている。女子力の塊…と慄く私に、梅雨ちゃんはますます嬉しそうに頬を染めた。
また明日からよろしく頼む、と言いながら、先生は私の頭をポンポン叩く。ぞんざいじゃ無いかと突っ込みたかったが、そんな私たちの様子を見て梅雨ちゃんが微笑むので、もういいかと息を吐いた。
梅雨ちゃんの言葉に、私ははっと目を見開く。
そう気づいた途端、言葉にはできない、温かいような、くすぐったいような感情が胸を満たした。明日なんて気にせず、好きかって生きていたこれまでとは、決定的に何かが違う。それが嬉しいのか、寂しいのか、でも私はそっと胸を押さえた。
今は、多分これで良い。きっと彼女や他のみんなが導いてくれた先が、今は正しい。
私は一歩踏み出す。先生の服の裾を離し、一人で立って前を向く。
まずは、言葉にすることから始めよう。
ドアが閉まり、再び職員室には私と先生だけが残る。奇妙に降りてしまった沈黙に、先生が「食おうか」と短く言った。
先生の机の隣の椅子を借り、二人で小さな箱を覗き込む。一番上のアイシングは無言で譲ってもらったので、ありがたく頂戴する。
小さく歯を立てると、サクっと軽い音がしてバターの味が広がった。甘さ控えめの、優しい味だ。アイシングの甘さと上手く絡み合って、とても美味しい。
何も言わず無言で食べ進める私に、先生が言った。無言で頷き、私は二つ目を手に取る。今度はチョコレートだった。
言葉にしてしまうのはなんだかもったいない気がして、私は無言で食べ続ける。
不意にそんなことを言い出した先生に、私はいっぱいの「?」を浮かべながら顔を上げる。ホワイトチョコを挟んだ一枚を口に放り込んだ先生は、私を横目で見ながらふっと笑った。
せっかくの良い沈黙が台無しだ、と私は先生の足に思いっきり蹴りを入れた。
-*あとがき*-
アンケート
本家キャラ達の非公式の恋愛要素入れて良いですか?
良いよー! 何でもドンと来い!
85%
ちょっと地雷です…読みたく無いかも!
15%
投票数: 52票
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。