前の話
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ロンディヌスの冬がやって来る。
あたしの国、ロンディヌスは気温が低いことで有名だ。
中でも、もうすぐやって来る「白氷雪期」は、一際寒く、国全体を雪一色に染め上げる。
その光景は、単なる積雪とは違い、ほんのりと青く、透明な雪景色なのだ。
この時期になると、人々はあまりの寒さに外へ出られなくなる。きっと、街では買いだめをする市民で溢れているに違いない。
その、お祭り騒ぎを脳裏に思い浮かべながら、あたしは、貧民街を踏みつけるようにしてそびえ立つ、城壁を見ていた。
城の向こうには、あたたかな暮らしがある。あたしの知らない、優しい世界が広がっている。
ロンディヌスは経済的にも余裕がある国だ。周辺国からも、一目置かれるくらいには裕福な懐をしている。
そんなロンディヌスのイメージとは程遠い暮らしが、あの城壁の裏側───この町に隠されている。
ロンディヌスの裏に住むのは、飢えと寒さで心を捨てる他なくなった、「汚ならしい」人間だ。
今日を生きること。例え誰かを犠牲にしても、今日を生きること。あたしが、生きること。
生きて、この町を出ること。
母さんと約束した。必ず幸せになること。
自分と約束した。この町を、「終わらせること」。
あたしは、城壁から視線を外すと、路地裏のテリトリーに戻る。
何をしていても腹は減る。腹が減るのは、体が生きている証拠でもあり、生きようとしている証拠でもある。ハンナは静かに手を合わせた。これは、この町の唯一の文化とも呼べるもので、「生きるため」にこれから人として過ちを犯すぞ、という覚悟をしたことを表す。
「生きるための過ち」───あたしはこれから物を盗む。この町では、人を殺したり、物を盗んだりする前に、必ず両手を合わせて、こうして俯くのだ。
そう呟いてから、あたしはそっと目を開ける。
今日ターゲットにするのは、ここから3キロほど離れた肉屋だ。
この町で売られるものは、城壁の向こうで食いきれなかった残飯や、ほとんど腐っていて、売り物にもならないようなものばかりだ。
親のいない子供は、チャリティーに保護されるので、食に困ることはあまりないが、あたしのように、15歳を越えた子供は保護されない。
つまり、自分の足で食い物を探すしかないわけだ。
今までの経験測からすると、城壁付近の、物品が集まりやすい地域よりも、少し離れた地域が盗みやすい。
それは、多くの盗人やチャリティー上がりの初心者は、城壁付近を狙うため、店の警戒が強くなるからだ。
逆に、離れすぎた地域も狙いにくい。そうしたところは、そもそも人口が少なく、町の中でも稼ぎ口のある奴らしか出入りしないからだ。
城壁付近よりも、一歩引いた店───警戒が弱く、タイミングさえ合えば、気付かれずに盗めるところ。
もちろん、あたしと同じ考えの奴らも一定数いる。だから日によって、ホットな店と、そうじゃない店が変化する。あたしの感覚だと、今日は肉屋が当たりだ。
あたしは走り出した。
体が小柄な分だけ、スピードが出る。ありがたい。
貧民街の雪の積もった石畳を、颯爽と駆け抜ける。
寒さには慣れた方だが、やはり白氷雪期だけは酷く堪える。
今年はどうやって生きのびよう?
将来なんて、分からない。考えるだけ不安になる。だから、考えるのはやめだ。今は今にだけ集中すればいい。
そのとき、
そこに男の子が一人、裸足で立っていた。
チャリティー上がりなのか?ちょうどそのくらいに見える。
気がついたら、あたしの足は、その少年の方へ向かっていた。
少年は、顔を上げてあたしを見た。
あたしは過去を思い出した。
きつい発言だなんて、あたしが一番よく分かっているさ。
少年は、パッと顔を光らす。
少年は、不安そうに、え?と声を漏らす。
あーあ、あたしは何をしてるんだろうな。
情報を分け与えるのに、草が報酬じゃ、やってらんねーよ。
あたしはまた駆け出した。
何甘ったれたことしてんだろうな。ここで生き抜くには、他人に教えてもらってちゃあ上手くいかない。
あの少年が生き延びるには、あたしが口出ししてちゃいけないのに。
もうすぐで目的の場所だ。あたしは走っている足を止め、徒歩に切り替える。
ここからは慎重にいかないと。
あくまで自然に。他の客が入った後に続くんだ。
ハンナは、建物の影から、前方10メートル程にある肉屋を睨む。それは、荒野で獲物を狙う肉食動物と何ら遜色のない眼だった。
そのまま待っていると、大柄な男が店に近づいてくるのが見えた。
タイミングを見計らい、陰から通りに出る。
人目がないことも確認した。絶好のタイミングだ。あたしはあくまでも一般客を装い、店のサッシを跨いだ。
店の中は、木箱がずらりと並んでいて、その木箱の内側に布を敷き、凍った肉塊が十数個入れられている。
肩ロースなどの大きな部位は、上から吊るされていて、そのロープに値札が貼られている。
あたしは、商品を吟味するように、店の中を練り歩く。
一通りそれっぽく振る舞うと、店番から死角になっている位置に移動し、肉を手に取ってみる。
横目で人に見られていないか確認すると、あたしはその肉を、黒コートの懐に忍び込ませた。
これで数日はやっていけるな。
用がすんだので、また店のサッシを跨いで、外へ出ようとした。
しかしその時、ふと、さっきの少年の顔が思い浮かんだ。
あいつ、あの様子じゃあすぐ死ぬな。盗みも下手そうだし。
ハンナはくるりと振り返ると、また店の中に戻った。
怪しまれるのは承知だったが、いくらでも言い訳はできるはずだ。
また、先ほどと同じように、肉の安いコーナーをうろつく。そうすれば、お金がなくて、何とか買えるものを探している少女に見えるかと思った。
小さい店の中で、あたしと店番、大柄の男だけが商品を見ている。
店番が背を向けたのを確認して、すぐに肉をコートの中に滑り込ませようとした。
その時───
しまった。
大柄の男が見ていたようだ。
声に気づいた店番の目が、ギロリとあたしを捉えた。
男の足元をすり抜け、あたしは全力で駆け出した。
後ろで店番のオヤジの怒号が響き渡る。
でも、そんなの知ったこっちゃない。
生きるためには食べなきゃいけない。それにはお金がなくちゃいけない。でもそれもない。稼ぎ口もない。なら、盗むしかない。
なんでこーなるかな。やっちまったよ。
ついてねえな。これでひとつ、食いぶち潰れちまった。
何故か鼻の奥がつんとした。
あたしは必死に走った。店番はもう、追って来ていなかった。息が苦しくても、寒くて体が悲鳴を上げても、あたしは店番でも何でもない、何かから逃げるように、狂ったように走り続けた。
いつの間にか、少年と約束した場所のすぐそばまで来ていた。
辺りを見渡してみる。
思いながらも、進んでいく。
雪の上に、真っ赤な液体が垂れたような跡があった。
もしかして───
この声は。
少し離れたところ───5メートル圏内に、あの少年のうめき声のようなものが聞こえた。
もう一度、辺りを見回す。
すかさずあたしは走り出した。
そして、その家の裏に入る。
そこには、鼻血を垂らしてぐったりとした少年が、無造作に転がされていた。
それを、3人の男が取り囲んでいる。ドイツもコイツも、大柄で、明らかにヤバそうな、鋭い目つきをしている。
あたしは、震える指先を、拳の中にしまいこみ、きつく握った。
ガラの悪い男のうち、一人がニヤニヤと笑いながら近づいてくる。
そうか。
コートで体格が分からないから、コイツらあたしのこと男だと思ってんのか。
ハンナは眼光を尖らせ、構えのポーズをとる。
おーおー、威勢のイイことだ_
_
すぐに間合いをとる。
男は、嗤っていた。やっぱり、効いていない。
男の太い腕が、脇腹めがけて飛んでくる。
ハンナは、とっさに脇腹をガードする。しかし、
重い。骨がミシミシと軋む。
少年が、涙で顔をぐちゃぐちゃにして、あたしに叫ぶ。
ハンナは何とか構え直す。
男たちはキモチワルく嗤っている。
また、鉛のように重い腕が脇腹を打つ。
ハンナは崩れ落ちた。
それを、次々に男たちが蹴り飛ばす。頭や耳の中がキーンと音をたてる。目が、ぼやける。
ハンナは、何度も立ち上がろうとする。
しかし、その度に足を払われ、転けさせられる。
ハンナは最早、されるがままだった。
男たちの容赦ない攻撃に、身体が悲鳴を上げる。ハンナが女だと知らないので、余計に残酷であった。
いや、逆に、女だとばれていなくて、不幸中の幸いだったかもしれない。
強姦、売身、追い剥ぎ……
暴力よりも屈辱的な状況が、用意に想像が出来た。
脳裏に浮かぶ光景が、激痛によって搔き消されていく。
次第に意識が遠くなり、痛みすら感じなくなってきた。ハンナはなす術もなく、意識を手放した。
パチ……パチ……
パチ……パチ……
なんだか、暖かい。
あれ、あたし、どうしたんだっけ…?
うっすらと目を開けると、少年が心配そうにこちらを覗き込んでいる。
あれ、何でこいつ泣いてんだ?
あー、まだ頭ぼんやりすんなぁ。
コイツっ……!あの店にいたデカブツじゃねえか!
ハンナは突如、男に殴りかかろうと、勢いよく起き上がった。
コイツが……?あたしらを?
なんだコイツ。
あたしがコイツに助けられたって?冗談言えよ、だってあたしはコイツのせいで盗みがばれたってのに。
急いで懐を探ってみる。しかし、肉はどこにも見当たらない。
ハンナは、レギウスと名乗る男をギロリと睨み付けた。
男は無表情のまま答える。
つまり、コイツはあたしの肉を、あの店に戻したってのか……?
ハンナはまた起き上がろうとした。
その時、少年が叫んだ。
あたしはまた、男を睨み付けた。
男は、やっぱり無表情のままで、こちらをまっすぐ見つめていた。
ハンナはわざと見下すような口調で言った。
しかし、男は、何処か悲しそうな顔をした。
沈黙が立ち込める。
あたしはどうすれば良いか、分からなかった。
しばらくしてから、男はこう言った。
はぁ?いきなり何だ、コイツ。
ハンナは目に力を込めた。
また、静寂が辺りを包む。
オッサンは、静かに目を閉じた。
………は?
そうだ。
あたしはどうしてこの少年を守ったのだろう?
こいつ、あたしの代わりに頭も下げたのか……。
ハンナは信じられない気持ちで、男を見る。
そうだ、こんなうまい話があるわけないんだ。
ハンナは慌てて表情を固くした。
しかし、男の方は少し微笑んで、言った。
男は何処か遠い目をして言った。
何か古い記憶を思い出すような、苦しいような、悲しいような───とても簡単な言葉では言い表せないような、そんな顔をしていた。
あたしは信じない。
だけど、この家は、焚き火だけじゃないあたたかさがあるような気がする。
少年の目が、きらきらと星のように煌めいている。
思わず、ふっと息を漏らす。
ふふっ、真に受けちゃってさ。ほんと、ばかっていうか……
ハンナは、レギウスの方を見る。
こうして、レギウス、ハンナ、カラムの3人は共同生活を始めることとなった。
それからしばらくして───
あたしはレギウスがどんな仕事をしているのかを知った。
それは、文章を書く仕事らしい。
紙の束が売れるなんておかしな話だが、レギウスの考えた物語が、壁の向こうにいる、とある貴族によって買収されていて、その貴族が、あたかも自分が書いたかのように、世間に発表して、レギウスの代わりに好評を受けているらしい。
レギウスの稼ぎは、利益のうち、数パーセントしかないらしい。
それでも、これが唯一自分ができることだから…ということらしい。
あたしはある日、レギウスにそう頼んだ。
あたしは、いつかレギウスがあたしの目をまっすぐに見据えたように、彼を見つめた。
あたしは生きる。そして、生きてこの町から出る。
母さんと約束した。幸せになること。
自分と約束した。
この町を終わらせること。
あたしの書いた文章が、何かのきっかけになれば良い。いや、絶対にそうなる。
あたしは、この「不幸な町」を、必ず終わらせてやるんだ。
カラムがもう寝静まった頃だろうか。小さな窓から、ちょうど満月が見えていた。
あたしには、守りたいものがたくさんできたんだ。それは、幸せなことであると同時に、苦しくて、途方もない戦いのようなものなのだろう。
それでもいい。あたしは、あたしの信じる正しさに、もう嘘をつかずに生きるんだ。
いつも表情に乏しいレギウスの顔が、心なしか、あの時のように優しく微笑んだように見えた。



















編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。