今までの人生の中で、自分から何かを求めたことはない。
求めずとも手に入ったというのも理由のひとつだが、何よりも"欲しい"と思うものに
出会ったことがなかったからな。
だから、自分が何かを必死に欲する日が来るなんて、思いもしなかった――。
わざわざ寮の最上階に現れた理事長から言われたのは、あいつがこの学園に編入して
くる二日前だったと思う。
俺は昔からこの世で一番、人という存在を嫌悪していた。
容姿のせいか、昔から嫌でも人が寄ってきた。
人にいい思い出があるわけがなく、むしろ逆。あいつらには嫌な思い出しかない。
気持ち悪い声で媚びを売って、あることないこと平気に口にできる、頭のおかしい生
き物。
ずっとそう思っていたし、その考えはこれからも変わらないだろう。
本気で……意味がわからない。
まあ……どうでもいいか。
ベッドの上で、目を瞑る。
いつからかわからないが、俺は寝付きが悪くなった。
いや、悪くなったというより、眠れなくなった。
いわゆる不眠症というものだが、別に精神的な悩みがあるわけでも身体的にどこか悪
いわけでもない。
ただ、眠れない。
目を瞑って、時間がすぎるのを待つ。
その日も結局、眠りにつくことはできなかった。
そいつらがやってきた日。
校門前にやってきたふたりは、絵に描いたような地味な奴らだった。
第一印象は、『なんだこいつ』。
人が入居するのは鬱陶しいことこの上ないが、媚びを売ってきたり、関わってこよう
とするような奴らではなかったことが不幸中の幸い。
こいつと関わることなんてない。
そう……思っていた。
体が、だるい……。
朝から異様なほど体が重く、頭痛がひどかった。
風邪なんかいつぶりだろう。思い出せないくらい久しぶりで、耐性ができていないせいか、なおさらだるい。
ケンカで殴られても別にどうってことないのに、自分の体がもう限界であることを
悟った。
生徒会室にいたが、情けない姿を見られるのが嫌で、なんとか体を動かして寮に帰
る。
もうすぐ家につくというところまでは覚えているが、その後の記憶は飛んでいる。
気づいた時には、知らない部屋で寝ていて、目の前には地味な男のほう、あなたの下の名前がいた。
頭が回らない。
なんでこんなところにいるんだ……というか、あなたの下の名前が連れてきたのか?
心配そうに聞いてくるあなたの下の名前に、どうしてこんなことになってるのかを考える。
たぶん、俺がどこかで力尽きて倒れていたんだろう。それで、あなたの下の名前がここまで俺を
運んだのかと憶測することはできた。
でも、そんなことは頼んでない。
助けられるなんて吐き気がする。
こいつも……親切にすれば、俺がほだされるとでも思ってるのか?
俺に……関わるな。
少し威圧すれば逃げるだろうと思い、あなたの下の名前を睨みつけた。
だが、あなたの下の名前はいっさい怯まず、表情ひとつ変えない。
……なんだ、こいつ。
普通、逃げる。
変わらず心配するような視線を向けてくるやつが、不思議で仕方ない。
しかも、その瞳に嫌みというか、下心は少しも見えない。
ただ心から心配しているような、そんな視線に見えて、そんなことを思った自分に嫌
気がさした。
バカか俺は。
人が、見返りを求めずに人を助けることなんかない。
こいつにだって何かあるはずだ。そうに決まってる……。
俺に近づいてくるやつは、そんなやつしかいなかったから。
強い痛みが走って、頭を押さえた。
手を伸ばしてきたあなたの下の名前の手を、反射的に振り払う。
熱のせいだ。体に力が、入らない……っ。
あなたの下の名前の言葉を無視して、立ち上がろうとした。
けれど、自分で思っている以上に重傷なのか、足に力が入らずそのまま体が傾
く。
すんでのところで抱きとめられた。
……っ。
あなたの下の名前は俺の体を、ゆっくりと座らせる。
振り払う力もなく、俺はそのままされるがままだった。
なんとか抵抗しようとそう吐き捨てた俺に、あなたの下の名前が顔色を変える。
怒っているとか、そんなふうではなく……ただ、子供をしかるような言い方だった。
人からそんな扱いを受けるのは……というか、誰かからそんなふうに扱われたのは初
めてだった。
俺に群がってくる人間は、俺に取り入りたい奴か、陥れたい奴のどちらか。
こいつは……なんだ……
ゆっくりと俺をベッドに寝かせたあなたの下の名前は、そのあと慌てた様子で部屋から出ていった。
戻ってきたと思ったら、その手にはタオルやら水やらがあり、どうやら看病をする気
らしいと……ぼんやりとする意識の中で理解する。
人に看病されるなんて、今までの俺なら絶対に、何があっても拒んだだろう。
殴ってでもやめさせたに違いない。
でも―――今は今はなぜだか、抵抗する気が全く起きなかった。
こいつは、なんなんだ……。
別に恩着せがましく世話を焼いているようにも見えないし、何か見返りを求めているよ
うにも見えない。
俺のことを見る瞳には、何もない。
媚びも、欲も、畏怖も、何も……。
それが心地いいなんて思ったのは、熱で頭がおかしくなっていたからかもしれない。
俺はぼうっとそんなことを考えながら、いつの間にか眠りについていた。
久しぶりの深い眠りは、驚くほど安らかな時間に感じた。
夢を見た。内容は思い出せないが、とても心地いい夢。
目が覚めた時、自分が寝ていたと言う事実に気づき、驚く。
あれだけ眠れなかったのに、どうしてだ。
熱で辛かったから?睡眠不足に限界が来たから?
いろんな理由を考えたが、どうにもピンとこない。
俺は少しの間ぼうっとしていたが、手に違和感を覚えた。
視線をそっちに向けると、すやすやと眠っているあなたの下の名前が目に入った。
そして、布団越しに握られた手。
どんな意図で握られているのかはわからなかったが、不思議と嫌ではなく、むしろ
どうして眠れたのか、あんな穏やかな夢を見たのかがわかった。
あなたの下の名前が……手を握ってくれたから、なのか。
普段の俺なら、そんな考えにいたることはないだろう。
でも……握られた手から、なぜか温もりが伝わってくる気がして仕方なかった。
普通、女でも男でも、他の人間といる時は無意識に神経を尖らせてしまう。
まわりに敵が多いことも要因のひとつかもしれないが、昔から心休まるほど、気の置
ける相手がいなかった。
なのにこいつは……どうしてか、俺の危機感のセンサーがまったく反応しない。
会ったばかりの他人だぞ?
いったいどうしたんだ、俺は……。
そう思った時、あなたの下の名前の体がびくりと動いた。
メガネで顔は見えないが、目が覚めたのか、ゆっくりと顔を上げ、こっちを見た。
驚いているのか、ぼかんと口を開けた。
ここに俺を連れてきたのは、あなたの下の名前のはずだろ……。
というか、ここはあなたの下の名前の部屋なのか?
慌てた様子でそう口にしたあと、心配そうに俺を見てくる。
本気で心配しているような姿が、心底不思議だった。
そう答えると、ほっと安堵の息をはくあなたの下の名前。
本当に、なんだこいつ。
本気で他人の心配をしているのか……?そうだとしたら、お人好しにもほどがある。
こいつの真意が気になって、観察するようにじっと見た。
俺の視線に気づいたあなたの下の名前は、居心地が悪そうに、困った表情になる。
俺が怒っているとでも思ったのか、そんな説明をしてきた。
出ていこうとしたあなたの下の名前に、なぜかそう告げていた。
あなたの下の名前は不思議そうにしたあと、納得したのかイスに座った。
……は?
申し訳なさそうに謝ってくる姿にますます訳がわからなくなる。
どうしてあなたの下の名前が謝るんだ……?
普通、礼をねだってくるところだろう、ここは。助けてやったんだぞって恩着せがまし
く言うところだ。
挙げ句の果てに、気をつかっているのか部屋を出ていこうとしたあなたの下の名前。
俺はとっさに、手を伸ばしていた。
自分から人に触れたことなんてないのに……躊躇なく、あなたの下の名前の手を握っていた。
その手は、驚くほど小さくて―――そして……温かかった。
あなたの下の名前が驚いた様子で俺を見ているが、一番驚いているのは俺自身だ。
自分が、誰かに対して……行かないでほしいなんてことを思うなんて。
あなたの下の名前の質問に、素直に答えてしまった。
……おかしい。こんなの、俺じゃない。
熱のせいだ。今は……熱で、頭がおかしくなってる。
俺はそう言い訳をして、あなたの下の名前を引き止めた。
最低限の礼儀として、そう伝える。
背を向けているから、あなたの下の名前の表情はわからないが……。
そう告げてきた声は、耳に残る優しい声色だった。
心臓が……ぞわぞわする。
自分でもよくわからない感覚に、眠気は覚めきっていた。
少したって規則正しい寝息が聞こえ始め、ゆっくりとあなたの下の名前の方を見る。
………また寝たのか。いや、あなたの下の名前の部屋だから、俺がどうこう言う権利はないけ
ど。
少し寒そうに見えて、余っていた毛布をかける。
それにしても……知れば知るほど、変な奴……。
媚びを売るでもなく、怯えるでもなく……こんな反応をされたのは、初めてだ。
何を考えているのか、さっぱりわからない。
でも、あなたの下の名前のそばは、なぜか心地よくて仕方なかった。
できるなら、このままここにいたいと願った自分が恥ずかしすぎて、頭を押さえる。
さっきから、自分が自分じゃないみたいで、気持ち悪すぎる……。
はぁ……とため息をついた時、無防備に置かれているあなたの下の名前の手が目に入る。
……温かい。
人肌って、こんなにあったかかったか?
というか、人肌に触れたのは、いつぶりだ。
体は冷えきっているのに、触れた手だけは驚くほど温かかった。
自然と眠気に襲われ、ゆっくりと目を閉じる。
また無意識に、ぎゅっと手を握ると、言葉にできない安心感を抱いた。
まだよくわからない感情を抱えながら―――俺はまた、穏やかな眠りについた。











編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。