第17話

暁の間に
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2024/08/27 05:50 更新
 私と彼は、昔からの縁だった。ただの村娘として生まれた私と、村長の家に生まれた彼だったけど、小さな村で育ち、年の近い子も少なかった私たちは自然と仲良くなった。そして、それが恋心になるのも遅くなかった。
 二人が成人した頃に、互いの親が私たちの婚姻を取り付けた。そのことに彼が随分大袈裟に喜んでくれたものだから、私も満更でもなく嬉しかったものだ。祝言をあげ、恙無く嫁入りをし、私は彼の妻になった。
 嫁ぎ先でも姑や親族は私に良くしてくれて、暫くは平穏な日々を過ごしていた。しかしある日彼が、他の男の目に触れないように、出来るだけ家から出ないようにしてくれ、と伝えてきた。
 最初はそれすら愛おしかった。それほど自分を大切にしてくれる人と共になれたことが嬉しかった。だから私は彼の言い分に従った。愛してくれているのなら、と微塵も疑うこともなく。
 しかし今思い返せば、あの時、「なにを言っているのか」と笑い飛ばして、惚気話にでもしていれば良かったのかもしれない。なぜならその後、彼は私を閉じ込めるようになっていったからだ。
 彼は自身の家族にすら私に会することを許さず、私は日の当たらない一室で一日を過ごすようになった。だけど私はそれでも良かった。なぜなら、私もまた彼を愛していたから。 
 部屋に籠るようになったからだろうか、私は日に日に体が弱くなっていった。食事をとることも出来なくなり、ついぞ床に伏せたままになった。彼は、毎日健気に私の元に来てはおいおいと泣いている。ならば私を外に出しては?と言ってみても、それだけはならんと返してくるだけだ。愛しているのか死んで欲しいのか、まったく、よく分からない。でも私は、そんな彼の不器用なところも愛していた。
 程なくして私は亡くなった。しかしどうにも彼のことが気がかりで、私は婚姻の時に彼から貰った麻の葉の簪に宿り、彼を見守った。と言っても、その簪は私が亡くなった時に彼が取り乱し暴れ回ったために二つに割れてしまい、宿っていると言っても、外のことを薄ぼんやりと眺めることしか出来なかったのだが。
 彼は私が亡くなったあとは魂の抜けたように外を見つめるばかりで、次第に憔悴していった。その頃だっただろうか、彼が貂に出会ったのは。
 彼は貂と取引をしたようだ。『自分を神として祀れば、お前の妻を生き返らせてやる』と。しかし貂には、端からその口約束を守る気はないようだった。彼はそうとも知らず、一生懸命供物を集めてくる。酒やら食物やら装飾品やら、ついには人の血を、と言われた時も、彼は少しの躊躇いもなく人を殺めた。そして強くなった貂の力で村人を操り、再び供物を捧げさせる。割れた簪に宿る私は、ただそれを眺めることしか出来ない。貂は力を強めていった。
 それから、暫しして。どうやら村で耕作している田畑の土が痩せてきたため、総出で引っ越すことになったらしい。そこで、彼は一人の少女に出会った。その子は不思議な力を扱えるようで、日照りが続いた時には雨を降らせてくれた。
 その力を貂は利用することにしたのだろう。少女の不思議な力もあってか、村人たちの信仰と洗脳は更に深まっていく。そして、貂が彼に「その少女が生き返ったお前の妻」だと伝えると、彼はその少女を私だとして接し始めた。きっと貂は、これで彼が妻を生き返らせろと五月蝿くなくなると目論んだのだろう。
 けれど、それは所詮まがい物にすぎなかった。あれ程私に優しかった彼は、少女をいたぶり暴力を振るい、とにかく酷くあたった。それはもう、見るに堪えないほどに。
 私の代わりに、一人の少女が惨い仕打ちを受けている。いくら貂に操られているからと言っても、彼が少女になにをしたかは変わらない。そしてそれは、彼を残していってしまった私にも責がある。
 だから、私が
 
 連れていくから。
  
 白い光が割れた二つの簪に収束し、薬売りとまひろは、気がついたらもとの森にいた。崖下には蛟の雨で濁流になった川があり、宙にはまひろが止めている雨粒がある。
 そして崖の向こう、つまりは川のはるか上空。髪の短い一人の女が佇んでいた。しかし月の光で逆光になっていて、その顔は影でよく見えない。
 村長はそれに気がつくと、二人の前から離れふらふらとそちらへ歩いていった。
「しづ、しづ…!」
 嗄れた声で妻の名を呼びながら、村長は女に必死に手を伸ばす。
「俺は、お前ともう一度…ただもう一度だけ、会いたかったんだ。それだけだったんだよ」
 そう言うと村長は目に涙を浮かべ、崖なんて無いもののように女の方へと走っていく。
「その先は…!」
 まひろは村長に声をかけるも、その制止も聞こえていないようだった。
 そして村長は、満足そうにこう呟く。
「あぁ、漸く会えた…」
 そうして、その勢いのまま崖下へとふらりと落ちていった。
 まひろはどうすることも出来ず、呆然と崖の方を眺めていた。すると暫くして崖下から、なにかが落ちた水音が響いてきた。
 まひろはその音にびくりと身を震わせ、ぎゅっと目を閉じる。しかしそっと瞼を開き目を伏せたかと思うと、口を開いた。
「…これであの二人は、共になれたのでしょうか」
 まひろのその様子とは裏腹に、薬売りはそんなことには欠片も興味はないようで、あっさりと一蹴する。
「さぁ。まぁ、兎角これで…」
 かちんと、退魔の剣が口を鳴らした。
「理が、揃った」 
 薬売りが退魔の剣を横に持つと、かちかちと剣が震え出す。まるで獲物を見つけた猛獣のように、威嚇をするように口を鳴らす。
 すると遠くで、火柱があがった。貂が哮り、こちらへと狙いを定め走ってくる。
「薬売りさま、再び雨を降らせますか?」
 自身の力がどうにか薬売りの役に立たないかと、まひろはそう申し出る。しかし薬売りはそれを制した。
「いえ。まひろさんは、そのまま」
 そう言うと薬売りは退魔の剣を天へと掲げ、そしてそのまま剣から手を離した。
「形、真、理…三様は、揃った」
 すると剣が宙に浮き上がっていき、それと同時に薬売りの化粧が溶けるように消えていく。
「よって、剣を────解き、放つ!」
 退魔の剣は雄叫びを上げるようにその言葉を繰り返し、そして宙に掲げられた剣の鞘が抜かれた。
 ほう、とその姿を眺めていたまひろがぱちりと目を瞬かせると、その次には薬売りの姿が変わっていた。
 いつの間に夜が明け始めていたのだろう、残月の光に照らされた白く長い髪は、まるで獅子の鬣のように風に悠々と揺れている。肌はもとの薬売りの白さとは異なる褐色になっている。そして金の模様が男の腕にぐるりと巻き付くと、体や顔にもそれが現れた。
 まひろはなにが起こったか分からないまま、その顔を見つめていた。するとその男は、それまで瞑っていた瞼を静かに開き、そしてふと、その視線をまひろの方に寄越した。瞳は黒く、眼光は赤く鋭く、暁に怪しく光っている。神聖な、荘厳な、そんな言葉では到底表しきることの出来ないものを感じさせる佇まいだった。
 男はまひろから目を離すと、今度は貂の方を見た。男の手には鞘よりも随分長い刀身の剣が握られている。その刀身は、まるで鞘からごうごうと火を噴いているようにも見えた。
 貂は男目掛けて走ってくる。男はその剣を構え、静かに息を吐く。そして、貂の猛炎が男の目と鼻に迫った時。
 男は剣を、下から上へと振り抜いた。
 ぱんっ、と、随分軽い音が響く。まひろはその音に驚きつつも辺りを見回したが、しかし貂の姿はもうどこにもない。
 張り詰めていたまひろの気が抜けると、宙に留まっていた雨粒がぱらぱらと落ちていく。空には塵のようなものが舞っており、それがただ朝焼けに輝いているだけだった。

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