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第1話

古明地・オーバーワーク・さとり
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2025/09/08 14:13 更新
さとり
あうー……
こいし
 部屋に入り、私は思わず悲鳴を上げかけた。椅子の上で人間大の生物が息絶えていたのである。この地霊殿は数多のペットを放し飼いにしているが、それでも一応ペットらの居住空間と私たちの居住空間は明確に区別しているつもりだった。すわ事件か、と身構え――
こいし
 否、思い当たる節がひとつだけ。古明地さとりである。他でもない、この部屋の主。ついでに館の主。さらには私の姉。そう、古明地さとりが過労で事切れているだけだ。私はほっと胸を撫で下ろし、彼女の飲みかけの紅茶に口をつけた。もうすっかり冷めている。
さとり
こいし。こいし。そこまでよ。
状況説明ありがとう。でもね、それは口に出すんじゃなくて地の文にするべきよ。
こいし
わあ、お姉ちゃんだったものが喋った!
さとり
死体みたいに言わないの。まだお姉ちゃんです、辛うじて。
こいし
過労だけに?
さとり
過労だけに。
ああ、私の貴重なカフェインが妹の魔の手に奪われていく……
こいし
紅茶をカフェインとしか見做せないひとに飲まれたら、むしろ紅茶が可哀想でしょ。
お姉ちゃん、紅茶とコーヒーの違い、わかる?
さとり
なかなか言うようになったわね。
紅茶に薬味の概念を導入しようとしたあなたが果たしてお姉ちゃんを非難できるのかしら?
お燐が真心込めて淹れてくれた紅茶に、ネギや大根おろしを嵐のごとく大量投入したあなたが?
こいし
前衛的で、革新的でしょ。
さとり
……こいし、私の前で "変化" を表す言葉を発すること、今後は一切禁止します。
こいし
お姉ちゃん、無常観とかご存じない系妖怪?
祇園精舎の鐘の声〜
さとり
そんなの忘れなさい。
変化というものは……こと組織改革というものは、たいてい人々を苦しめるだけのものなのよ。
成果なんて一切なく、ね。
こいし
わ、認識歪んでるぅ。
いや、ひねくれてるだけかなー?
さとり
ああ、理解のない妹よ。
ルールがひとつ増えるたび、私たちの仕事は指数関数的に、いやむしろ二次関数的に増えていくのよ?
こいし
……とりあえず、お姉ちゃんが相当疲れていることはわかったよ。
こいし
 指数関数の方が発散のスピードは早いはずでは……という指摘は、ぐっと飲み込む。普段の古明地さとりなら。この旧地獄の事実上最大勢力のトップが、そんな初歩的なミスを犯すはずがないのだ。しかしここ数年の彼女はずっとこんな調子。寝ても覚めても。これが「普段の」古明地さとりでないと、果たして断言し得るのだろうか?
さとり
こいし、地の文みたいな語りで全て口に出すのはやめなさい。
こいし
ごめんごめん。
無意識、無意識。
さとり
……決めたわ。
お姉ちゃん、反抗期になります!
こいし
繁忙期ならもうなってるでしょ。
年中無休の繁忙期。
さとり
ちゃうちゃう。
反抗期。
周りの全てに抗いたい時期なのよ。
さとり
思えば私は今まで我慢しすぎた。
これからは爆音で人力車を飛ばして、地霊殿の外壁にスプレーで落書きして、地獄の鬼とタイマン張るわ。
こいし
また変なことを言い出したね。
それって反抗期というより、グレているだけじゃない?
まあ、お姉ちゃんの好きにすればいいけど。
さとり
こいし、お姉ちゃんを引き留めることをオススメするわ。
お姉ちゃんがいなくなったら、四季さまから振られた仕事はだれがこなすのかしら?
こいし
まあ、そういうことになったら私がやるよ。
遺憾ながら。
さとり
はっ、遊んでばかりのあなたにできるものですか。
こいし
それができるんだよ。
いつもお姉ちゃんが忙しくペンを走らせているところ、後ろからこっそり見学していたんだから。
こいし
だいたい、さっきの口ぶりだと、もしお姉ちゃんに何かがあったら代わりを務める人材がいないみたいな印象を受けるんだけど。
それって責任者としてどうなのかなあ?
部下に仕事を教えるのが面倒だから全部自分でやっちゃうって、働き者のようだけど実際のところ職務怠慢じゃないかなあ?
さとり
それ以上言うのをやめなさい。
地霊殿の主が涙を流して取り乱す姿を見たくないのならね。
こいし
さすがにそんなみっともないお姉ちゃんは見たくはないなあ。
さとり
そういうことよ
(勝利と敗北を同時に確信した眼差し)
さとり
ところでこいし。
あなた、私の仕事を手伝うことができるってことよね?
お姉ちゃん、とてもとても嬉しいわ!
こいし
おっと、こりゃ一本取られたね!
さとり
やはりこういう改革はどんどん推し進めていくべきね。
こいし
おあとがよろしいようで。
さとり
というわけであなたにはまず地底各区の監査報告を頼もうと……
さとり
こいし、無意識に紛れるのをやめなさい。
さとり
こいし。
さとり
こいし!!
さとり
……
さとり
ま、ちゃっちゃと終わらせますか。

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