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小さなクラッカーが打ち鳴らされ、紙吹雪が宙を舞う。
今日は11月22日。僕の誕生日だ。
僕はその頃、何も感じていなかった。
僕は、周りよりも体が弱かったらしい。歩けるようになるのも少し遅くて、激しい運動をすると息が苦しくなる。
知らないうちに、僕は体育ができなくなっていた。せいぜい、許してもらえるのはマット運動くらいだ。
お父さんが自慢げに薄い紙をぴらぴらと見せてきた。
なかなか家族でお出かけすることがなかったため、このプレゼントは僕の心を躍らせた。
というのも、僕の両親は過保護気味で学校以外で僕を外に出してくれることはあんまりなかった。
けど、縛られているわけではなくて僕も人と目を合わせたくないからそれはそれで良かった。
ご機嫌でお風呂に向かう小さな背中を見送った後、ため息が響く。
これが、最悪の形で現実になるとは、このとき誰も思っていなかった。
肌寒い風が乾いた運動場を横切る。
次の日の、4時間目の体育の真っ最中だ。こっちは半袖なのに、厚着で指導しかしない先生にはムッとするが仕方ない。
…僕は走っちゃダメだ。お父さんとお母さんに、それに担任の先生に何度も言われた。激しい運動もできない。
一度病院に行ったとき、お医者さんになんて言われたかは忘れたけど、長くて難しい病名を言われた。それを生まれつき持ってるせいで運動ができない。ボールも蹴れないし、ラケットだってぶんぶん振れない。
準備体操が終わり、一生懸命に走っている皆を見ていると先生が話しかけてきた。
寒い寒いと手を擦り合わせながら心配そうに。
俯くと、先生が冷えた手を僕の肩に置いた。
慰めてくれたけど、僕の心は晴れないまま4時間目が終わり、給食の時間になった。
僕は結構食べる方だから、皆みたいに走らなくてもお腹は空くし、ちゃんと全部食べる。
もう少しで食べ終わりそうってときに、隣の席の女子が申し訳なさそうに話しかけてきた。
彼女の小皿には綺麗にきんぴらごぼうだけが残っている。人参は一応食べたみたいだ。
その様子を見て、後ろの席の男子が呆れたように言った。
後ろの席の男子は目を丸くし、隣の席の女子は顔を輝かせた。
嬉しそうにコトンと僕のおぼんの横にお皿を置いた。
…僕も別にきんぴらごぼうは好きではないけど…さっき言ったことは嘘ではない。
…でも、何でこんな態度取っちゃうんだろう。
流れるように時間が過ぎ、5時間目はこの前の漢字50問テスト返し。満点…ではなかったけど、90点以上の人として先生含め皆に褒められた。
嬉しい…けど、次はもっと頑張らなきゃという思いが強い。
…何で?周りの目を気にしちゃうの?
僕は体が弱いから、その他の部分で頑張らないといけないの。
〝いい子〟でいないといけないの。
…いけないの?
皆にとっての僕は〝いい子〟なの。
給食も毎日残さず食べるし、授業も頑張れるし(体育以外)、誰にでも優しくて、許せるという心を持つ。
喧嘩だってしない。暴力はダメ。何にも解決しないし、誰も得しないから。
点数の見せ合いで賑わう教室の中、冷ややかな一言が飛んだ。
それはすぐに他の人たちの会話にかき消されてしまった。
でも、それは僕の耳に呪いのようにこびりついて響いた。
運動していないのに、汗が滲んだ。
…〝はっぽうびじん〟…僕が?
周りを見渡すと、にこにこ笑顔でテストを見せ合うクラスメイト全員が悪魔の笑みを浮かべているように見えた。
あまりにも恐ろしくて、背筋がゾッとした。
実際はそんなわけないんだけど…。肩の力が抜かない。
作り笑顔で誤魔化す。同時に、心がちくりと痛んだ。
いつも通りに会話をするが、ゾクゾクは止まらなかった。
早くお家に帰りたかった。
周りの目が行き届かないお家に帰りたかった。
無意識のうちに咳が出る。
あやふやな意識の中、多分何度も友達に心配されたんだと思うがもうその日のことは覚えていない。
落ち込みそうになったが、明日は楽しみにしている遊園地に行くことを思い出した。
自分のことで閉じこもってなんかいられない。明日はちゃんと楽しまないと。
お父さんもお母さんも楽しみにしていると思う。
僕の誕生日プレゼントなんだから、僕が1番はしゃがないと。
帰っているときも変な気分だった。
なんか…言葉にできない。そんな…簡単な言葉で表せない。
ふわふわしてるし、ちくちくしてるし、ときにはざらざらしている…そんな感じ。
難しい。僕にはまだわからない気持ちなのも…。
絶対普通はこんなこと考え出す小学一年生なんていないと思った。
ただ、自分のために、自分の内側に閉じこもってる。これ以上変な目で見られないためにも…優しくしないと。
ふいに。ふわりと秋の風が靡くと共に、甘い香りが流れ込んできた。
流れてきた方を見ると、ブロック塀の奥にある軒下から枝がはみ出し、小さな花が顔を出していた。
惹かれるように近付く。濃い緑色の葉っぱに囲まれて小さなオレンジ色の花がいくつも咲いていた。触れたら一瞬で壊れてしまいそうなほど小さなその花だが、香りは強烈だった。
指先サイズの花が内側から溢れ出すような強くて甘い香りを放っている。
それも、1つの花だけじゃなくて全ての花が香りを放ち、全体として主張感と存在感はとても強い。
甘い香りで複雑な気持ちが少しなくなった気がした。
こんなに小さな花なのに、精一杯頑張っている。
逆に僕は、この花よりも全然大きいのに頑張れない。
でも、この花も1つだけじゃあこんなに強くて甘い香りの空間はここまで広げられない。
…。
気付いた。
本当の僕は、自分を曝け出したいんじゃない。
今は…
それが、答えだった。
お家に帰って、宿題やいつもより早めに終わらせて規則正しく過ごした。
うきうきして布団に潜り込む。でも、今日聞こえた声のせいで胸騒ぎはおさまらなかった。ついでに咳も。
…体調が万全だったらもっと楽しめるだろうなぁ。
運動ができたらもっと速く移動できるよね…?
…だ、だめだめ。マイナスなことは考えちゃいけない。せっかくのプレゼントだから。
いろんな考えがぐるぐると混ざり合ってその中に引き摺り込まれるように、眠りに落ちていった。
優しく揺さぶられて目が覚めた。
ふと窓を見ると、朝日がそこそこ昇っている。
お母さんは珍しいものを見るような目をしていた。
びっくりしすぎて変な声が出た。
飛び起きてくすくす笑うお母さんの横をどたどた走り、洗面所で顔を洗う。
寝癖がある。…やっぱり疲れていたのかもしれない。
変に緊張しながらリビングに行く。
真っ先に壁に掛けられている時計を見る。8時半を過ぎた頃だった。
お父さんがソファに座って新聞紙を読んでいる。
いつもの休日だったら、僕の方がお父さんよりも起きるのが早いのに、今日はお父さんはもうパジャマから着替えている。
こんなにどたばたした朝は初めてだった。
服は表裏を間違えるし、ご飯は落としそうになるし、相変わらず寝癖は直りそうで直らない(多分関係ない)。
お母さんは心配し、お父さんは笑っていた。
でも、それくらい楽しみだった。たくさん乗り物乗るんだ。たくさん思い出作るんだ。
…あのとき、聞こえてたんだ。
…最後になるなら、尚更楽しむんだ。
準備を終わらせて、車に乗り込む。
お母さんに何度も持ち物を確認した。そのたびにお母さんは笑って「ちゃんとチケットは持ってるから安心しなさい」と宥められた。
チャイルドシートでしっかり体が固定されている中、窓の外をぼーっと眺める。
いつも通りの景色だけど、これが好きだった。
何も考えずに流れていく景色を視界のそとに追い出していたが、チラリと目を惹くものが映り込んだ。
…あの花。
秋に咲く花なのかな。
ブロック塀じゃなくて、長くて家を囲う塊として存在している。
ここら辺はその花を植えている家が多い。何度も形を変えて視界に入ってくる。
お父さんが運転しながら聞いてきた。前を向いたままだが、サイドミラー越しににかっと笑っている顔が見える。
車内は暖かい雰囲気で満ちていた。
だんだんと景色が変わっていき、建物が多くなる。普段の通学路からは考えられない光景だった。
そして。
そう言われて窓から目を離し、フロントガラスに映る景色を見るために身を乗り出す。
チャイルドシートに固定されているからあんまり意味ないけど。
一際目立つ大きな観覧車と、高くて大きい荘厳な館らしきものが見えた。
初めて見るものに目は釘付けになった。
正直僕よりもお父さんとお母さんがはしゃいでいる気がするが、それはそれで嬉しかった。
これまで以上に僕はわくわくしていた。
駐車場に車を停め、高まる気持ちを抑えながら先頭に立って、チケットを握りしめてエントランスに向かう。
大勢の人と、カラフルな風船と、僕の目には初めて映り込んでくるものばかりで思わず走りたくなった。
おとなしくペースをお父さんたちに合わせて、いよいよ園内に入った。
エントランス前に水が流れている巨大な物体があった。〝噴水〟だとお母さんが教えてくれた。まるで、「ようこそ」と言ってくれているかのように綺麗な水が噴き出している。
受付のお姉さんにチケットを渡して、エントランスをくぐる。
そこは、まさに僕が初めて踏み込んだ地だった。
目の前にはまた噴水と、周りを囲むように色とりどりの花が咲き乱れている花壇、奥には城らしき建物、視界の端にはぽつぽつと乗り物が見える。
大勢の人で溢れていて、お土産売り場らしき店では人でごった返していた。
これだけの情報を読み込むのに僕の脳は時間がかかった。
お母さんはマップを広げると、得意そうに言ってきた。
紹介してくれたものはどれも本当に楽しそうだった。
他にも、ティーカップ、亡霊の館、メリーゴーランドなど…。
でも…。
それが想定内だったのか、お母さんはくすりと微笑んで頭を撫でてくれた。
でも、その微笑みはどこかしら悲しそうだった。
お父さんも頷いてくれた。
僕の手をぎゅっと握ると、お母さんがマップ上で指差した乗り物のある場所へ歩き出した。
それからは、夢のような時間だった。今思うとあっという間すぎて実感できていない。
ジェットコースターは心から叫んだ。怖い、とかじゃなくて心から楽しい、と思えているような叫び。とりあえず身長が足りて良かった。
お次はティーカップ。僕がはしゃぎ過ぎて回しすぎてお母さんを酔わせる羽目になった。お父さんは笑っていたけど。
お化け屋敷。探索型とはいえ、血だらけの骸骨や巨大グモの像、廃れた暖炉などが雰囲気を漂わせ、お父さんが意外と縮こまってて面白かった。お墓の部屋に来たとき僕も叫んだが、お父さんに関してはお母さんの後ろにいた。
他にも謎解きだらけの亡霊の館、景色が良い天空塔、煌びやかなメリーゴーランドにも乗った。
お昼ご飯も途中で食べたし、お土産売り場も覗いた。
最後は…。
うきうきした足取りで向かうのは、僕が最後に乗りたいとお願いした大きな『観覧車』。
まるで、この遊園地のシンボルのようだ。一目見て気持ちが高鳴った。
興奮は抑えられず、今度は逆に僕がお父さんとお母さんの手を握って引っ張った。
列に並んで、順番を待つ。
ゴンドラがゆっくりと円を描く。あっという間に順番が来た。
担当のお兄さんに、「いってらっしゃい〜♪」と言われガラス窓が付いたスライド式のドアを閉められ、ゆっくりゆっくりと僕たちを乗せたゴンドラは上がっていく。
お父さんがリラックスしながら聞いてくる。
窓から差し込むオレンジ色の光。真っ赤な太陽がゴンドラとは反対の方向に進んでいく。
青空が橙に染まっていく。カラスが列を作って飛び去っていく。遊園地一帯が覆い被されるみたいだ。
本当に、美しかった。
『金木犀』、で思い出した。
…急に手汗が滲み出る。
そういえばこれって…最後の思い出作り、なんだよね…?
同時に自分自身を曝け出さないどうしようもない悩みも思い出された。…最悪だ。
せめて終わるまで思い出したくなかったのに。
ふいに、シャッター音が聞こえた。
お母さんが微笑んでスマホをカバンにしまう。
いつしかゴンドラは頂上に達し、今度はゆっくりと太陽と共に下がっていく。
いつまでも窓に張り付いて景色を眺めていたが、緊張感はゴンドラが下がるたびに増した。
これで、終わり。
…でも、なんで?
枯れた声が、漏れた。それは狭いゴンドラ内に響いた。
きょとんとして2人は僕を見た。
僕は窓から手を離して、2人に向き直った。
…聞こう。怖いけど、知らなかったままにしたくない。
震えた声を絞り出す。
運命は最悪な形で進んだ。
ガチャンッ
それが、最後に見た景色だった。
視界が、空間が、世界がひっくり返った。
ありえない速さで太陽を追い越した。
何かが潰れた音がした。
悲鳴が突き刺さる。足音が響く。
その中で、たった一つ、掠れた声がした。
真っ暗で、濁って、ぼやけた視界には何も映らない。
これが、〝最後の思い出〟そして
「俺」の〝呪いの始まり〟だった。
スクロールお疲れ様です。
第26話もお読みいただき、ありがとうございます!
初の7000字超えはいかがでしたか?
主は疲れました(⇦おい)
読んでもらってわかる通り序盤は特に重めの展開ばっかりです。こんなにお口が達者な小学一年生いないだろうなぁ…と何度も書きながら思ってます。でも平仮名ばっかりで書いたら読みにくいのでやめました。
しばらくはこんな口調が続きます。
では次の話でお会いしましょう。
…投稿遅れてすみませんでしたッ🙇
※コメントによると、内容が難しかったらしい…。急展開&内容重めの組み合わせは私には早かったらしいですね…。反省しています。(22時更新済)














編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!