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第1話

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2024/06/28 14:45



"大切な人を失う"



そんな経験をしたことがある人は、この世にどれだけいるだろう。

溢れんばかりの絶望感と虚無感に駆られて、何も出来ないままに大切な人の存在しない世界で生き続けなければならない。

意見のすれ違いによって、勢い任せで別れた人を知っている。

相手が夢を叶えるために国を出て、遠距離で自然消滅扱いされた人を知っている。

浮気をして、もしくはされてその関係に深い溝ができたまま埋められなかった人を知っている。

そんな別れなら、どれだけ良かったか。




私は知らない。


大切な人と、もう二度と顔を合わせられないと知ってしまった時のこの感情を、なんという言葉で表すのか。












"訃報から1年...事務所に多くの手紙"


1週間ほど前から、ネットニュースにはこの"訃報"の単語が何度も掲載されている。

この訃報が誰のものであるのか。

私は誰よりも覚えている。きっとこの先何十年、何百年経ったとしても忘れることは無い。



紗夏
紗夏
今日も大量に届いたって。手紙。
南
ん...知っとるよ。私も見たもん。
紗夏
紗夏
...やっぱり、なんか物足りんな。あの子がおらんと。
南
...うん


約1年前の、今日。春風が靡く晴天の空から降ってきた、突然の落雷。私の幸せだった世界を切り裂いた、マネオンニの一言。


"あなたが、自殺した"


そんな冗談、あまりにも不謹慎だって。朝の澄んだ空気を吸い込んで、ちょっと怒ったふうに言ってやろうと思ったのに。

マネオンニに連れられて、全員で向かったあなたの家には。警察がいて、鑑識の人もいて、よくドラマで見る、立ち入り禁止のあの黄色のテープが張られていた。

私がいつも、暇さえあれば遊びに来ていたあの空間は、もう存在しない。

それに気付いてしまったら、冗談だとは、思えなかった。

心に重くのしかかってくる絶望感。たった数時間前の清々しい気分を黒く塗り潰してくる、その現実。

その事実を受け止めるには、相当な努力と時間が必要だった。

誰にも、何にも変えられない大切な人が。何も言わず、何も残さず私の前から、世界から姿を消した。

本当なら、私以外のみんなも、きっと活動なんてしていられるほどの精神ではなかった。それでも、私達の仕事は、アイドル。

あなたがいなくなってから、笑顔も、歌声も、何も作れない。できなくなってしまった。

そんな私は、約半年前から活動休止という形で、今は治療期間中。何を治療するのか、治る方法はあなたが戻って来てくれること以外にないのに。


紗夏
紗夏
...みーたん、あんまり思い詰めんといてな。誰のせいでもないんやから、さ。
南
大丈夫やって、今はそれなりに...うん。現実、見れとるから。
紗夏
紗夏
そか...なら、今度あなたの家、遊び行く?
南
えっ...っ、それは、ちょっと...
紗夏
紗夏
...分かった。さなとももりんで行ってくるな?
南
っ......わ、わたっ...し、も...行く......
紗夏
紗夏
...大丈夫なん?
南
行かないと...前に、進めない、から
紗夏
紗夏
...分かった。じゃあ、ももりんにも伝えとくな






今行ったところで、玄関で足がすくんでしまうのは目に見えてる。なんなら、玄関にすらも入れないかもしれない。

インターホンを押して、寝起きでボサボサの頭のまま出迎えてくれるあなた。今はいないのに、インターホンを押したらまた出てきてくれるんじゃないかって、期待してしまう。

玄関から、リビングに向かう廊下。リビングのテーブルやソファ、壁掛け時計のような小さいものすら、あの頃を想起させてくる。

あの頃から1年。ここに来ることが出来なかった私の代わりに、さーたんとももりんが代わりに掃除しに来てくれていた。

遺品整理だって、しなきゃならないとはわかっていたけれど。

あの頃の私には、まだ現実を受け止められる余裕はなかった。

1年経った今。徐々にでも受け入れなきゃならない。

リビングと廊下を隔てる扉。1年前なら、日替わりでコーヒーと紅茶の香りが漂っていたこの扉の向こう。

目を瞑って深呼吸をすれば、ほんの微かに感じるコーヒーの香り。


...まだ飲めるんやったら、私、ちょっと貰ってもええかな




"ミナ、コーヒー飲めるの?笑"

"バカにしとるやろ。笑 一応私あなたより年上やからな?"




他愛もないあの頃の会話がふと頭をよぎる。

目頭がほんのり熱くなった気もする。

ほんの少しの、叶うことの無い希望を抱きながら。

ゆっくりと、恐る恐る扉を開く。













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