「危ない!」
その声が聞こえた後の事は何も覚えていない。物凄いブレーキ音と、真っ白なライトに照らされて、それで。
起きたらそこは白い部屋だった。
思う様に体が動かないので、私は顔を少し傾けて左右を確認した。
あ、病院か。
白いカーテンで区切られた並んだベッド、自分に巻かれた包帯、痛い体。
ただそう思った。でも何故病院に自分がいるかは分からなかった。
すると近くを通りかかったナースが私に気付く。少し驚いた表情で近付いてくると私に話しかけてきた。
「目が覚めましたか。少しお待ちください」
そう言ってナースは私のベッドにあるであろうナースコールでどこかに連絡した。
起きたばかりかぼやっとした冴えない頭で何を言っているかあまり聞き取れなかった。
次第に医者と他のナースが集まってきて私の周りを囲んだ。
「おはようございます。」
医者が私にそう言ってきたので私も挨拶を返した。
「…おはよう、ございます」
掠れた声になってしまったが声は出せた。そのまま医者が続けた。
「事故にあい五日程意識不明だったんですよ。奇跡的に命は取り留めたので、不幸中の幸いでしたね」
覚えがなかった。確かに体は痛い。頭も重く事故にあったと言われれば納得できるがその時の記憶があまりない。
轢かれそうという所まで覚えているがその後がさっぱりだった。
きっと、頭が真っ白になるってそういうことだろう。真っ白になって、何も考えられなかったんだ。
「飲酒運転だったみたいですよ。今は捕まっていますが」
歩道にいた私に突っ込んできたのは大型のトラックだった。
「ご自分の名前、言えますか?」
医者がそう聞いてくる事に疑問があった。何を聞いてくるんだろう、と当たり前のことを質問される事に少し眉間に皺を寄せた。
「っ…」
口を開いて声に出そうとした瞬間、それは声にはならなかった。
出来なかったのだ。
出てこない、どうしても。震える唇は何を言おうとしたのか。
「やっぱ、ですね」
医者をみるとため息をついていた。
どういう事だろうか。おかしい。
「ご自分の名前、思い出せないですか」
的確に突いてきたその言葉は私には鋭すぎた。
「記憶喪失ですね」
サヨナラの始まりに、僕は気付けない。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!