翌日朝6時、まだ夢うつつの状態でにくるまっているイデアくんの毛布を勢いよく引っぺがす。いつも通りの平日だが、昨日我が家に突然転がり込んできたこの異世界からの訪問者によってそれは非日常へと変わった。まだまだ眠り足りない様子のイデアくんは、顔を顰めて唸りながら本能的に自分の布団を取り戻そうと手足をバタバタさせている。
そう喝を入れながらイデアくんをベッドから引きづり出し、脇を支えながら無理やり立たせる。それでもまだ眠いのかおぼつかない足取りでこちらに歩いてきて、しまいには私にハグをして甘えてきた。こ、こやつ、自身の可愛さを分かってるな……だがそう簡単に分かりやすいあざとさに私は揺るがんぞ!
ごめんなさい、完全KOです。イデアくんの可愛さに私は生涯勝てません。結局自分でリビングまで移動することができない彼を抱っこし、朝食が用意されている食卓まで2人で移動する。我ながらよく出来た力作のベーコンエッグトーストの香ばしい香りが鼻腔を擽り、思わずうっとりと朝食の香りに浸ってしまう。やはり伊達に一人暮らししてないだけあるな。
急に眠気が覚めたらしいイデアくんがこの状況に気づいた矢先、腕の中で急に暴れ出す。辞めてくれ、いくら君がクソ軽いとてこっちは結構ギリギリの状態で担いでるんだ。自分から頼んでおいて理不尽だなあ、と思いつつもこれ以上朝食が冷めてもよくないのでゆっくりとイデアくんを私の向かいの椅子に下ろす。
先ほどの暴れようはどこに行ったのか。椅子に下ろした瞬間冷静になったイデアくんは、食卓の上に並ぶ数々の物を興味深そうに見回す。きっと異世界にはこの地球にはないものばかりで溢れているのだろう、昨日聞かせてくれた話では向こうには人魚や妖精なんかもいるらしい。
思い出すのがだいぶ遅くなったが、聞いておいて損はないだろうと思い問いかける。私自身が好き嫌いは絶対許さない家庭だったのもあり、嫌いなものは無理して食べさせたくない。どうせ食べてくれるなら美味しいって思って食べて欲しいし。イデアくんはしばらく口籠もった後「……生魚」とぼそっとこぼした。
きっと来たばかりの環境で私にもいろいろ遠慮しているところもあるのだろうが、ちゃんと言ってくれてよかった。アレルギーもないかと追加で聞いたが特に当たるものがないらしいので、料理に関しては魚にさえ気をつければ良さそうだ。
ずっとお腹を鳴らしながらトーストをものすごい目力で見ているイデアくんが可愛くて、頭をわしゃわしゃと撫で回す。本人はだいぶ嫌そうにしていたが可愛いので無問題だ。燃えている髪を触るのは少し躊躇したものの好奇心に抗えず触った結果、とても不思議な感触を感じた。ほんのりと温かいスチーム蒸気が手に当たっているようで、髪の毛という個体は炎と独立して存在しているらしい。異世界パワーはなんとも不思議なものだ。
いい加減食事を取ろうと自分の席に座り、「いただきます」と手を合わせて念願のトーストに齧り付く。私も昨日は様々なことが立て込みすぎて夕飯も買い損ねたし、自炊する気力もなかった。うんま〜と心の中で感想をこぼしていると、イデアくんはあれだけ食べたそうにしていたトーストに手をつけずにこちらを不思議そうに見つめている。何か不満点でもあるのだろうか。
口からさらっと呪文という言葉が出てくるところに、改めて彼が魔法と共存する異世界で生まれ育った事実を実感する。何せイデアくんがあまりにも流暢に日本語を話すものだから。それはそうとして、日本独自のいただきますをどうやって彼に説明しようか頭を悩ませる。しかしあれこれ考えたとて余計に変な説明になりそうだし、彼は頭も良さそうだからとりあえず自分が出来る最大限の語彙を使って説明した。
こう言う優美で繊細な言葉があるから、私は日本の謙虚さを美徳とする美しい文化が好きなのだ。一人暮らしをしていると挨拶を面倒臭がって放棄する人もいるが、私はどんな状況であろうとするようにしている。挨拶という言葉の数々には、一つ一つ大切な意味が込められているのだ。それを日常的に言うことによって、私は人と人は真の意味で繋がれると思っている。
するとイデアくんは何かを思案するような顔で眉間に皺を寄せ目を瞑る。彼なりに自己解釈しようとしてるのだと見守りつつ、傍らで朝食を食べる手を進める。しばらくすると、イデアくんは不慣れな様子で不器用に合唱をし「イタダキマス」とカタコトで言って朝食を食べ始めた。
そんな様子にどこか心が内側からじんわりと温まっていくような感覚を覚える。慣れない異世界での生活文化に懸命に適応しようとしている健気な少年の姿を見ていると、私自身も彼のために今出来ることに尽力しようと思える。昨日の夜中もそうだったが、やっぱり彼はとにかく元の世界が恋しくて仕方がないらしい。それこそ私が魔法を使えていたら直ぐに帰るべき場所へ返せていたのかなと思うが、生憎この地球ではそれは非現実的なのである。
イデアくんはこれでもかと言うくらい頬を綻ばせながらトーストを小さな口でパクパクと食べてくれる。そこまで美味しそうにして貰えると、作った側としてもやはり嬉しくなるものだ。今度好きな食べ物も聞いて、それをふんだんに使った料理を作ってあげよう。
初めてのイデアくんとの食卓は慣れない部分もあったが、どこか優しくて温かい、居心地のいい空気が流れていた。











編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!