第2話

兄はすごい人
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2025/12/24 00:10 更新
有希にとって、朝の時間は少しだけ特別だ。

家の中が完全に動き出す前。
まだ空気が整いきっていない、その隙間に。
お兄さまの存在だけが、きれいに収まっている。

ダイニングの椅子に座る政近の背中は、いつ見ても真っ直ぐだ。
新聞を読む父と向かい合っていても、姿勢が崩れることはない。
制服の襟、ネクタイの位置、机に置かれた手の角度。
全部が「正しい場所」にある。

――すごいな、って思う。

有希は紅茶のカップを両手で包みながら、ちらりと兄を見る。
じっと見すぎると気づかれてしまうから、ほんの一瞬だけ。

お兄さまは、何でもできる。
勉強も、運動も、立ち振る舞いも。
褒められても顔色ひとつ変えないし、叱られても言い訳をしない。

「完璧」

その言葉が、いちばん似合う人。

でも――。

(……ちょっとだけ、遠い)

有希は、そう思ってしまう自分を、心の中で叱る。
遠いだなんて、そんなはずはない。
だって、お兄さまはちゃんと有希のことを見てくれる。

昨日だって。
靴紐がほどけていたのを、何も言わずに結び直してくれた。
今日だって。
目が合ったとき、ほんの少しだけ、表情を緩めてくれた。

それだけで、胸の奥があたたかくなる。

(……有希は、ちゃんと妹だ)

その確認を、何度も何度も繰り返す。
お兄さまの世界の中に、自分の居場所があると信じるために。

朝食が終わり、玄関で靴を履く時間。
政近はいつも、有希より少しだけ早く準備を終える。
周防政近
周防政近
忘れ物はないか
そう聞かれて、有希は慌てて鞄の中を確認する。
周防有希
周防有希
だっ大丈夫です!
政近は頷くだけで、それ以上は言わない。
過剰な心配もしないし、甘やかしもしない。
でも、その一言があるだけで、有希は安心できた。

外に出ると、朝の空気が少し冷たい。
並んで歩く二人の影は、長さが違う。

(いつか、追いつけるのかな)

背の高さのことじゃない。
お兄さまの隣に立って、同じ景色を見られるかどうか。

政近は前を向いたまま、迷いなく歩いていく。
その背中を見ながら、有希は思う。

――やっぱり、すごい人だ。

でも同時に、少しだけ願ってしまう。
完璧じゃないお兄さまも、いつか見てみたい、と。

それは、言葉にしない。
胸の奥に、大事にしまっておく。

周防政近は、遠くて、近い。
有希にとって、世界でいちばん尊敬していて、
世界でいちばん、目を離せない人だった。

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